日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

開成、筑駒からノーベル賞が出ない理由 ~週刊エコノミスト『ザ・名門高校』を読む

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 今年もまた週刊経済紙から、高校特集が発売されました。

今回の特集は、ステレオタイプな指標である東大合格者数とは切り口の異なる、まさに名門校を定義づける指標とでもいうべき内容です。

筆者は2012年7月から、同誌内で「名門校の校風と人脈」という連載を継続しており、今回の特集はそのまとめというべき内容。

結果は日比谷高校の伝統と格の違いを再認識するような印象があり、偏差値や東大京大国立医など、難関大の合格数で高校を序列化する志向の方には少し不都合で不満のある特集かもしれません。

個人的には、自分が高校を卒業する頃より感じていることに対して腑に落ちる発見などもありましたので、今回はこの雑誌の特集から見た東京で生まれ、進学することの意味について考えてみたいと思います。

 

東京のノーベル賞は日比谷高校だけの現実

 日本のノーベル賞受賞者は・・(中略)・・累計25人となった。
25人の出身高校に注目すると、東京都内の高校を卒業したのは、利根川進ただ1人だ。都内には、国公立、私立の進学校がひしめいているにもかかわらずだ。


 日本のノーベル賞25人の内、都内高校卒業は日比谷卒の利根川博士1人だそう。

この事実が確かなら、遥か昔から東大合格トップ10の大半を独占してきた都内の高校からの受賞者が少ないのは不可思議な現実のように思います。

現在最高偏差値の生徒が集うと目される筑波大附属駒場高校については、戦後創立した歴史の浅い学校だから仕方ないと言うにしても、日比谷と共に明治時代から日本の近代国家の夜明けを支え続け、東大合格ナンバーワンが今年で36年連続となる開成高校や、50年以上東大合格トップ10から陥落したことがなく、偏差値や学力主義的な立場とは異なる柔軟な発想の生徒が所属するイメージを持つ麻布、日比谷と共に開成麻布の台頭よりも古くから東大上位の常連で、国立屈指の伝統校である筑波大附属高校などからの受賞実績がない点は不思議に映ります。
早稲田、慶應もまた然りです。


利根川博士が日比谷を卒業したのは1958年。
ノーベル賞は1987年、卒業29年後の48歳で若くしての受賞ですが、70歳前後での受賞であれば高校卒業から50年程、1963年に初めて東大トップ10に登場し、今年ちょうど創立70周年となる筑駒高を含めて、どの進学校からの卒業生が受賞してもおかしくない時期に既に突入しています。

記事ではこの状況について、次のように断定的に述べています。

つまり、未知の分野をブレークスルーした世界的な研究者は、地方の高校出身者が占めているということだ。いわゆる「都会の進学校」を卒業しても、殻を破れないことは、歴史が証明している


そして日比谷を卒業した利根川氏もまた、実は生来の東京育ちではありません。 

名古屋で生まれ、小学校から中学1年生までは富山県大沢野町、中学2年生までは愛媛県三瓶町在住。
中学2年の終わりに、愛媛から兄と二人きりで東京に引っ越したのです。
教育と進学について心配した母のはたらきで、大田区雪谷町に住む叔父の家に下宿し、大田区立雪谷中学校に通ったのです。

利根川氏は、裕福ではない地方の苦労人であることが伺えます。
そういう意味では、彼もまた、根っこの部分は地方出身者に違いありません。

そして特集には記載がないものの、もう一つの重要な情報は、中学ではトップが当たり前だった利根川氏も、日比谷高校では半分から上、良くても上から3分の1くらいだったという本人の言葉。
現在でいうと100番台が精いっぱいといったところでしょうか。
決して青年期を神童として過ごしたわけではないようです。

日比谷にとどまらず、東京には文系理系問わずできる生徒が今も昔も大勢いるはずですが、結局現在まで、東京の高校からのノーベル賞は利根川博士ただ一人なのです。

資本を効率よく転がすことがスマートで偉大な存在と讃えられる今の世の中ですから、都会で生まれ育った少年少女にとっては、蝉のように長く時間のかかる泥臭い世界で生き続けることは、むしろ願い下げなのかもしれません。

 

身近な最高学府とモチベーション

 記事では東京の高校からノーベル賞受賞者が出ない理由を、東大生について開成高校校長が語る次の言葉に求めています。

大学ではいわゆる「燃え尽きた学生」「冷めた学生」となる。
大学合格を「ゴール」と勘違いするか、高校時代までと環境が変わらないため、大学で熱中するものを見つけられないタイプだ。
情報処理能力や要領のよさは折り紙つきで、官僚や会社などの組織を動かす上で一定程度必要な人材なのは確かだろう。しかし、秀才だが画一的になりがちなのも突破力のない要因だ。


自校の卒業生のタイプを「冷めた学生」と分析する姿勢は、教育者としての偽らざる実感が込められているのでしょうか。

この言葉を体感すべく、妻と下のチビを連れて東大五月祭に行ってきました。

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 平成29年 東大五月祭の銀杏並木の人込み


正門から安田講堂にかけての大群衆。
なぜかタピオカ売りが多い中、帝国大学当時からの面影を残した校舎やキャンパスを歩きながら、最高学府に足を踏み入れる感慨と同時に、確かにある種の冷めた感覚を覚えました。

これが三四郎のように田舎から上京して初めて訪れた場所であれば、意匠重厚な建築が醸し出すアカデミックな空気やその場の雰囲気に圧倒されたことでしょう。

私自身も大学と言えば、遠方から下宿して通う場所というイメージが今でもあります。

ところが現在わが家にとっての東大は、電車一本で正門にたどり着く、ある意味日常の延長線上に位置する存在。
その気があれば、ランチのために気軽に立ち寄ることができる場所。
学生の頃にあれほど輝いて見えた早稲田や慶應も、今では同じような身近な存在。
かつて地方に暮らしていた頃とは、その価値が全く異なります。

一方、上京した地方の高校出身者は、全く違った新たな環境で、大学生活を始める。
夏目漱石の『三四郎』や、五木寛之の『青春の門』で描かれる、地方出身者が東京で新たな刺激を受ける姿の通りだ。


確かに安田講堂は、イチョウ並木を抜けて最高学府の象徴たる威風堂々とした姿を現わすその瞬間から、地方から上京して訪れた者に対峙する際には、壮大で圧倒的な存在として目の前に現れることでしょう。

その一方で、東京の中高一貫進学校を卒業した学生にとっては、長年顔を突き合わせたクラスメートが集う高校時代の延長の場所。

自宅から通い、受験という重圧がなくなってむしろ楽になっている。
高校時代はみんな夢を持って、自分で人生を選んできた。そのため大学がつまらないと感じ、熱中できない。


バリバリと働いてきたビジネスマンが退職後に味わう燃え尽きた感情を、小学校から続く東大受験を経て入学した中高一貫進学校の卒業生は、一番輝くべき10代の後半で早くも経験するのでしょうか。

 

 

親元を離れて暮らすということ

 今回の記事に関わらず、実はずっと前からいつも思っていることがあります。

それは、家庭の経済事情は別にして、もしわが子が東大に合格するような学力があるならば、むしろ下宿して京大に通ってほしいと。
別に京大でなくてもいい。できれば地方の旧帝大にでも入って、親元を離れて一人暮らしを経験してほしいと。

私自身、大学入学から結婚まで、10年ほど一人暮らしの経験があります。
社会人になるまでには、地域の全く異なる3つの都市で一人暮らしを経験しました。

そこから何かを学んだという、明確な確信があるわけではありませんが、ずっと親元で過ごすのは、特に男子の場合は必ずしもよいことではないように思うのです。

この点は、大学も親元から通わせたいと考える妻とは意見が合いません。


私自身は中学に入るころから、異性への関心を除いては、とにかく早く家から出ること、東京で暮らすことばかり考えていましたので、親と暮らし続けることに抵抗を感じない今時の子供に対しては、嬉しいような物足りないような、いずれにしても、自分の青春時代の青年像とはだいぶ異なるという感覚を持っています。

この点は、都心で暮らす若者だけではなく、地元志向が強まる現代の若者全体に当てはまる心理なのかもしれません。


そんな私が、かつて東京で暮らすようになって最初に実感したことは、東京と地方とでは全然違うということ。
何がといって、何もかもが違う。

東京で生まれ育った人間は、日本を知らない。

いつもそう感じながら暮らしてました。その点は今も思います。
だからわが子には、外国に出るより先に、まずは日本の現状を知ってもらいたい。
それを理解した上で、好きな場所で暮らせと、そう思うのです。
それが親としての正直な気持ちなのです。

10代の頃、東京に出たいという強い思いと同時に漠然と抱いていた感情は、東京に生まれ育った子供達は、生まれた時点で既に地方出身者が追いつけないような文化的教養的アドバンテージを持っていると同時に、自分の殻を破るためには、外国に出るしかないだろうという感覚。

そして今回の特集を読んで思う事は、私が高校を卒業する頃に感じたその東京人の持つアドバンテージへの羨望が、実は逆に東京人の憂鬱とでもいうべきフロンティアの喪失を生み出していたのではないかという戸惑い。
冷めることで、自分だけでは如何ともしがたい喪失感を、無意識のうちに昇華しているのかもしれません。

現在、日本の大学に進まずに直接海外の大学を目指す志向が増しているようです。
それがチャレンジ精神なのか、別の意図があるのかは分かりません。

日本で生まれ育った人間は、世界を知らない。
それは海外を経験したものから見れば正しい認識でしょう。

ただ、将来わが子に再び外国に出る機会が訪れるとしても、個人的には日本の大学学部を卒業した後に、確固たる日本のアイデンティティをもつ者として旅立ってほしいと思います。

 

 

日比谷の偉大な先輩伝

 筆者は日比谷高校ファンというわけではないのでしょうが、名門校を定義づける指標の上位の多くを、日比谷OBが占める結果となっています。

日比谷嫌いの方には鼻持ちならない結果が並ぶ今回の特集記事で恐縮ですが、偏差値や大学合格数といった単眼的な視点とは異なる興味深い集計を、カテゴリーごとに簡単に紹介したいと思います。


1.名門高校「三冠王」
  • ノーベル賞
  • 首相
  • 金メダリスト

筆者いわく、この3部門の人材を輩出するのが名門高校三冠王なのだそうです。

そしてこの実現困難と思われる三冠を達成している高校は、実は全国で2校あります。

  • 日比谷高校
  • 横須賀高校

どちらも公立高校です。

日比谷の三冠は、

  • ノーベル賞: 利根川進(医学生理学)
  • 首相: 阿部信行(戦前)
  • 金メダル: 西竹一(ロス五輪馬術障害)

この中で何といっても興味深いのは、映画『硫黄島からの手紙』にも登場するバロン西こと西 竹一でしょう。

西洋社会も一目置き、ロサンゼルス名誉市民でもあるこの先輩は、現在からみても本当の意味での国際人だった人物ではないでしょうか。
何処となく白洲次郎や南方熊楠といった人物像に重なります。
そして彼は日本馬術界にとって、現在に至るまで唯一のオリンピックメダリストです。

正直、東京大学に毎年何百人合格するよりも、西男爵のように歴史や時代を代表する魅力のある人物が卒業生として並ぶ方がおもしろい。
同期には小林秀雄がいるなど、往年の日比谷ならではの豪華な顔ぶれが並びます。


2.文化勲章

 1位(23人) 日比谷
 2位(14人) 開成
 3位(11人) 洛北(京都府立)
 4位(  8人) 銅駝美術工芸(京都市立)
 5位(  5人) 両国(東京都立)


こちらも日比谷の圧勝です。
気になる雑誌の指摘としては、開成高校は東大合格者が伸びた戦後の卒業生の受章者は、2010年に受賞した、演出家の蜷川幸雄だた1人という記載。
大学進学実績が伸びたことに起因する結果だとしたら、ちょっと悲しい。
戦後の日比谷高校卒業生は、ノーベル賞の利根川進含めて受章者が散見されます。

 


3.経団連会長

 1位(4人) 日比谷
 2位(2人) 半田(愛知県立)
 3位(1人) 京華(東京私立)、関西(岡山私立)、錦城(東京私立)、新潟(新潟県立)、松坂工業(三重県立)、小山台(東京都立)、甲南(兵庫私立)


これらは過去の栄光と語る向きがあるかもしれません。
しかし、その実績に追いつくには、まだまだ時間がかかりそうです。


その他掲載されている指標の内、日比谷高校からの人材輩出がないものとして、「4.戦後の首相」、「5.日銀総裁」が挙げられています。

いずれにしても気がつくのは、特集で取り上げられた5つの指標に登場した計118名を輩出したのは、公立高校を卒業した人材が圧倒的に多いということ。

  • 公立高校 90名(76.3%)
  • 国立高校   3名(  2.5%)
  • 私立高校 25名(21.2%)

ただし、こうした社会的なトップと目される人材は、現在1950年代~60年代に高校を卒業した者が大部分であり、都立全盛の時代。

118名中、筑波大附属駒場から唯一登場したのは、現日銀総裁の黒田東彦氏。
1960年代、都立学校群制度が始まる前の高校卒業ですから、これから1970年代卒業の過渡期を経て、今後は開成や筑駒といった都内中高一貫校の人材が社会の主要ポストを占めるような状況が到来する可能性を示唆した変化なのかもしれません。

半世紀の歴史の流れの中で、新興勢力が台頭したり伝統校が凋落したり、波が満ち、そして引くように、学校も時代の流れと共に諸行無常の響きの中で大小の盛衰を繰り返すのでしょう。

今回の記事の内容は、日比谷高校や公立の隆盛を支持する方には心くすぐられる内容だったかもしれません。
あるいは国立や私立、現代の中学受験市場を経た偏差値至上主義の方には、許されざる歴史上の真実だったかもしれません。

個人的には、どの高校が上だとか下だとか、そういう局部的なプライドの衝突に目を奪われることなく、我々が生きる日本語の世界観が、引続き世界の中で継続する世の中を現在の高校生にも実現してほしいと願います。

バブルの発生とその後の長い処理に埋もれるのではなく、都立全盛の時代を引き継ぐように、次の半世紀の日本の未来を、是非東京の中高一貫校の卒業生に支えてほしいと思うのです。


さて、本日の午後より武内校長の本が書店に並び始めました。
アマゾンでは予約の早い段階から既に、カテゴリーのベストセラー1位を獲得していたことが印象的でした。
この永く圧倒的な伝統に裏付けられた新しい日比谷高校の活躍を、日本中の保護者や教育関係者の方が気にしているに違いありません。
そしてこの日比父ブログも、皆が気になる等身大の日比谷高校の姿や東京の高校事情について、引き続きお伝えしたいと思います。

ではまた次回。

 

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