日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

日枝神社山王祭と日比谷高校

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 アジサイの開くこの季節ともなると、日比谷高校には祭り囃子の軽快な調べが風に乗って届くもの。

日比谷のお隣さんとなる日枝神社では、毎年6月中旬に伝統の山王祭が開催されます。
今年平成29年度も、6月7日から週末17日までの11日間の日程で行われたこのお祭りは、日比谷生にとっても身近な祭事。

今回は、毎年合唱祭の時期に行われる山王祭を垣間見ながら、昭和初期から仲良く並んで日本の現代史を見守り続けた日枝神社と日比谷高校の絆について覗いてみたいと思います。

 

米寿の友 日比谷高校と日枝神社 

 日枝神社が現在の地に鎮座したのはそのちょうど270年前の1659年頃。
一方、日比谷高校が現在の地に移転したのは1929年、昭和4年です。

以来88年の間、日比谷高校と日枝神社は現在の国会議事堂が建設される以前より、戦争をはさんで、この東京の中心を仲良く並んで見守り続けているのです。

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昭和33年頃の航空写真(出典:如蘭会会報72号)

こうして見ると、今では衆参議員議長公邸、議員会館や国会議事堂などに囲まれている日比谷高校ですが、実は現存する周囲のどの建物よりもずっと前から現在の場所に位置していることが分かります。

校舎の配置も、平成26年改修工事後の現在と同じ東に開いたコの字型。
東西を軸線に、現在と同じように日枝神社と並行して並んでいます。

日比谷の西側には、昭和の大火災を引き起こしたあのホテルが建設中。
東京大空襲により、官邸、永田小学校、一中(日比谷高校)の講堂、山の茶屋を残して周囲はことごとく焼失したのです。

日枝神社も国宝の社殿が戦火で焼け落ちた後、ちょうどこの昭和33年に本殿が再建さてていますから、もしかすると写真の昭和33年当時は日比谷高校が周辺で最も古い建築の一つであったかもしれません。

そんな中、日枝神社の大銀杏は、日比谷高校講堂と共に戦火を免れた遺産の一つ。
先の古い写真にも、表参道男坂の長い階段下の右の脇に、太陽の光を受けて白く映えるこの雄大な銀杏の姿を見ることができます。
これは日比谷高校校歌の中に唄われる、あの大イチョウではないでしょうか。

大いちょうみどりに茂り
やがてまた風に黄ばめば
過ぎ来し年 更に新たに
進みゆく道は あかるし

なぜ突然に大銀杏が歌詞に登場するのか、年月の流れを表現するためになぜこのフレーズが使われたのか、これまでは不自然な印象を抱いていましたが、実はこの日比谷高校の校歌は日枝神社との長い歴史的関係性を密かに歌い上げていたのですね。
今回はじめてその意味に気づき、文章を書きながら少し感動に手が震えています。

当時は日比谷高校の敷地から東北に皇居、南西に富士山、そして空には星ヶ岡の名前の由来となったように、輝く星を見渡すことができたのでしょうか。

戦後10年経っても尚、周囲は低層建物ばかりの中、星ヶ丘の上にそびえる堅牢な校舎は、新しい日本の社会を担う人材排出の役割と共に、戦後の復興を志す人々にとって、都市再建の象徴のように映ったのかもしれません。

その中でも日比谷高校を象徴する建築の一つとして、そして何よりも東京大空襲を生き残った数少ない歴史遺産の一つとして、この写真には1994年に惜しまれながら取り壊しとなった旧講堂が、日枝神社を真っすぐ望んで建っている様子が写っています。

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旧講堂/出典:ぼくの近代建築コレクション

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出典:日比谷42年卒同期会文集『ときめき私流』

2010年に取り壊しとなった旧歌舞伎座の設計など、大正・昭和を代表する建築家の一人である岡田信一郎設計の、端正で美しいファサードを持つ、日比谷高校のシンボルともいうべきこの講堂が、B-29の爆撃に耐えながらも都政の判断には耐えられず現存しない点はいささか残念です。

星陵会館大ホールと機能が被っていたのかもしれませんが、老朽化の問題があったとしても、東京大学でいえば安田講堂のような学校の顔、歴史の証人でもというべき建物を全部取り壊すのではなく、写真に映るファサードは残したまま体育館に改築することも検討してほしかったなと感じます。

現在の赤煉瓦の日比谷高校校舎も、この先時代と共に歴史の深みをたたえる建物だとは思いますが、新しい体育館にも、旧講堂の時計台のような求心力となる象徴的な意匠があれば尚よかったと感じます。

ただ一つの救いは、解体工事前に講堂の実地調査が行われたことです。
この価値のある建築は、『日比谷高校講堂記録調査報告書』として、88ページの書物の中で今も静かに眠っています。


2017年6月18日追記:
校歌の大イチョウについて、先に日枝神社との関係性を指摘しましたが、実は旧講堂前のシンボルツリーのことを指すとの情報を、記事を書いた後に改めて発見しました。

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出典:珊瑚会(日比谷昭和35年卒同期会)

「日比谷高校 大銀杏」で検索すると、多くの卒業生のページがヒットします。
例えば珊瑚会では、上記写真を『講堂と大銀杏』として掲載しています。

つまり、今はなき旧講堂とシンボルツリーである大銀杏が、春夏秋冬表情を変えながら日比谷生の学生生活に寄り添う姿が、生徒の心に深く刻まれたのでしょう。

そして多くの卒業生がこの大銀杏は現存しないと書いていますが、当時の場所と思しき位置には現在も巨木が立っていることから、この大銀杏の存在については次回学校を訪問する際の検証課題としたいと思います。

いずれにしても、現在の校歌はちょうどこの昭和33年頃に旧府立一中校歌に代わって制定されたもの。
今も当時もそしてこれからも、星が丘の地に根を張る銀杏の大木が、日比谷生を見守る存在として、校歌と共に生き続けるのでしょう。

 

日本三大祭で江戸三大祭の山王祭

 日枝神社のホームページによると、この6月の山王祭は江戸三大祭りであると共に、日本三大祭りの一つに挙げられています。

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出典:日枝神社HP

こういうことを書くと怒られそうですが、実際には京都の祇園祭と比べ、この山王祭について知っているという方は多くはないのではないでしょうか。

日本三大祭で検索すると、山王祭りよりも神田祭を挙げる場合が多いように思います。

ただ、元々神田明神と日枝神社は江戸城を挟んで対峙する、鬼門と裏鬼門を抑える表裏一体、陰陽一対の江戸の守護神。
神田明神から日枝神社に向かって線を引けば、東北から南西に真っすぐ伸びる線分が、旧江戸城、皇居の中央を斜めに通過するのが分かります。

このためこの二つの神社は隔年交互に神幸祭を執り行い、市中巡幸によって土地を清め歩いたことから、本来は二社一対で日本三大祭りと言うべきかもしれません。

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余談ですが、この地に日本の政治の中枢が集まっているのは単なる偶然でしょうか。
裏鬼門であればこそ、魑魅魍魎と呼ばれるような政治家がこの地に集まるのも頷けます。
そして日枝神社の眷属が猿であるのも、もしかすると神社の位置が申の方角だからでしょうか?この説は何処にもないようですが。


閑話休題、さて祇園祭であれば、山鉾巡行の人の出もさることながら、そこに至るまでの宵山、宵々山の夜の屏風祭りが何よりの楽しみ。

浴衣に下駄を鳴らして三条辺りの路地を歩き、普段は覗くことができない京町屋の間口から垣間見る奥座敷や坪庭の風情は、夕風に揺れる風鈴の軽やかな音色と相まって、本当に心豊かで楽しいひと時を過ごすことができるもの。
雨に濡れた路地に映る提灯の淡い光も雅に美しい風景。
若かりし頃の妻との思い出です。

一方、山王祭の期間中は、都内を巡幸した王朝行列が神社に還御するクライマックスを除き、人込みで境内に近づけないような状況もなく、いたって穏やかな日常です。
メディアでの露出そのものが、他のメジャーな祭りと比べても少ないように思います。

京都の方で祇園祭を知らない人はいないと思いますが、東京に長く務める会社員でも、この山王祭の催行を知らずに過ごす方は案外多くいるようです。
特に今年のような奇数年は神田明神の神幸祭の担当の年。
山王祭での巡幸は執り行われませんから、注目される機会がないようです。

日枝神社のある赤坂周辺には何万人という社会人が働いているはずですが、祭りの期間中であっても、この身近な氏神様の良き日に境内に足を運ぶサラリーマンは、残念ながら多くはないように思います。 

梅雨入りの時期に執り行われる珍しい祭りなのですから、例えば境内を取り囲む敷地に何万株ものアジサイを咲かせ、紫陽花祭りの名で広く親しまれるようなことがあってもよいのではないかと、昼休みに外堀通りを歩く多くのサラリーマンの姿を見ながらそんなことを考えてしまいます。

 

山王祭巡行と日比谷高校

 今年は開催のない神幸祭の巡幸ですが、昨年の様子を捉えた写真が手元にあります。

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巡幸を終えた行列が日枝神社に帰還する際には、必ず日比谷正門前の角を通ります。
ここは神社の表参道に位置する場所ですが、見物客も多くなく、穴場的なスポット。
緑に茂る大銀杏の前を通過して、緩い女坂から本殿に還御します。

巡行が通過すれば、見物客は男坂を通じて境内に馳せ参じます。

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この時ばかりは境内も人ごみにあふれ、祭りの大団円を迎えます。

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一行が神社に戻るのが概ね夕方5時近く。
この時期日比谷生は合唱祭のクラス練習で忙しく、この時間になかなか外には出られないのか、制服姿は見かけません。

折角なので、来年の巡行の際には、江戸時代から続くこの由緒ある祭りのクライマックスを、部活や歌の練習を中断して見学するのもよいかもしれません。
日本三大祭りと呼ばれる歴史的イベントの大団円が、これほど目と鼻の先で行われているのですから、卒業までに一度は経験してみたいものです。

 

日枝神社納涼大会と共謀法案デモ

 巡行に目が奪われがちな山王祭りですが、期間中の夜には夜店の屋台と納涼大会、盆踊りが開催されます。

6月に開催される盆踊りは少し珍しいようにも思いますが、夏を待たずにどこよりも早くお祭り気分が味わえる、ちょっとした催しです。 

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ただ、日本三大祭りの期間中に行われる行事としてはかなり規模が小さく、写真で見ると地元神社の夏祭りといった趣です。
ただし、ここが首相官邸や国会議事堂と同じエリアであることを考えると、都心の穴場的な癒しのイベントといえるかもしれません。

そして陽が落ち始めたころになると、練習が終了したのでしょうか、日比谷生と思しき姿もちらほら散見されます。
特にリア充カップルには気軽でうってつけのデートスポット。
もちろん、部活やクラスの仲間と訪れるのも楽しいもの。

盆踊りの音楽が、帰宅時間と重なる頃には赤坂側の外堀通りまで風に乗って流れてくるにも係らず、見通しのきかない丘の上での催しだからでしょうか、会社帰りに立ち寄るサラリーマンの姿は、労働人口と比較すると、やはり圧倒的に少ないように感じます。

この赤坂外堀通りに面した巨大な山王鳥居から、隣接する山王パークタワーの広場にかけては、ちょうど盆踊りには最適な大きさのイベントスペースが広がっていますから、本当はこの基幹大通りに面した場所で盆踊りの櫓を立てるなどして人を呼び込み、赤坂界隈や丘の上の社殿まで夜店や祭りを楽しむスーツ姿のビジネスマンや浴衣を着た何千人もの人波が続く景色が見られてもいいはずです。
それこそが、三大祭りにふさわしい光景といえるのではないでしょうか。


皮肉なことに、日枝神社の人出とは対照的に、今年は同じ時間帯に近くの国会議事堂前には改正組織的犯罪処罰法成立に反対する人々が集結していました。

こうした法律の成立に関わらず、携帯電話やパソコンに入力する個人の検索ワードや通話内容は、警察や公安だけではなく、グーグルをはじめとするIT企業に昔から監視されているとは思いますが、今後はそのビッグデータに基づく個人の思考や指向の分析、他者との関係性などの把握や解析が更に進むのでしょうか。

スマホを片時も放すことができない君は、逆の視点で見れば、片時も誰かの監視の目から放たれることがないということでもあります。

できることならば、スマホもインターネットも電子マネーもクレジットカードも利用しないような、君の想像できないアナログの生活に戻ることが自分のプライバシーを守るための日常的な防衛手段の一つになるのでしょうが、お出かけの際に電子マネー決済のない公共交通手段利用はもはや考えられません。

生活の利便性の代償として、我々は個人の独立性を切り売りしながら生きているいるのかもしれません。 
従来は罪を犯す前の活動や思考であった行為それ自体が罪になるという法律が、我々の進みゆく道を明るく照らすものであることを願わずにはいられません。


本日は平成29年度山王祭の最終日。

先の見えない不安な時代に、多くの不安をよそに星陵の丘に向かって一途に進む君の姿を、星が岡の上の山王さまも目を細めて見守っているのではないでしょうか。
これから始まる学校訪問の機会には、日比谷高校正門のすぐそばに立つ大銀杏の太い幹に触れ、隣人たる山王さまに来春の再開を誓い合うのもよいかもしれません。

ではまた次回。


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