日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

高校受験と中学受験はどちらが旨いか ~戻り鰹と初鰹の比較

f:id:mommapapa:20171028084918j:plain
写真出典:PRIDE FISHホームページ

  今年は例年にない海水温の影響で、秋の味覚、戻りガツオの水揚げ量が激減しているとか。長雨による農作物の不作と並び、1次産業にとっても家庭にとっても頭の痛い問題です。

この戻りガツオについては、春の初ガツオと比較して、どちらが美味いか、どちらを好むか、どちらの栄養価が高いかという比較記事や話題を多く見かけます。

元々は同じ群れや集団に属する個体の収穫時期の違いにより発生する生態差を思う時、個人的にはいつも、グルメな世界とは異なる、受験業界に古くから存在する一つの議論を思い浮かべます。それは、

中学受験と高校受験はどちらがよいのか?

というテーマ。
「よい」という言葉の定義の曖昧さもあり、初めから紛糾することが運命づけられた感のあるこの議論。 
その答えは、先の初ガツオと戻りガツオの優劣を結論付けようとするが如く、結局は個人の嗜好次第といったところではないでしょうか。 

しかし受験とは全く異なる、春秋二つの顔を持つカツオという魚の生態について考える時、一見何の関係もないように見えるこの中学受験と高校受験の優劣比較論に対して、大いなる示唆に富んだ答えをいくつも得ることに気づかされます。

カツオと受験生との間にどんな関係があるのか?
そういえば、磯野家のカツオは11歳、中学受験が盛んな世田谷区の小学校5年生であるにもかかわらず、受験に向かう様子は一向に見られませんが、これは余談。

今回は、価格高騰著しい秋の味覚に思いを馳せながら、現役公立高校生の親であり、現役中学受験世代の小学生の親でもある二つの顔を持つ立場から、結論づけることが困難な中学受験と高校受験の違いや優劣について考えてみたいと思います。

 

初鰹と戻り鰹の生態の違い

 中学受験と高校受験について語る前に、まずは比喩的表現の基となる初ガツオと戻りガツオの個体の違いについて確認してみましょう。

f:id:mommapapa:20171027235223j:plain
 画像出典:PRIDE FISHホームページ

熱帯から温帯海域に生息するカツオは、【スズキ目サバ科マグロ族カツオ属】に分類される回遊魚です。日本近海では毎年春になると、フィリピン沖から黒潮に乗って北上してきます。この時期に獲れるカツオが「初ガツオ(上りガツオ)」です。
その後、エサを捕食しながら三陸沖まで北上したカツオは、水温の低い親潮にぶつかるとUターンして、初秋頃から南下してきます。この時期に獲れるのが「戻りガツオ(下りガツオ)」です。

出典:tenki.jp

つまり、南方から上ってきた春の鰹が初ガツオ、その群れが東北まで上り、秋に再び南下したのが戻りガツオ。結局群れや個体としては同じ魚です。
しかしその性格や味覚は全く異なります。比較してみましょう。

初ガツオ
  • 脂身よりも赤みが多い
  • カロリー控えめ
  • サッパリしたみずみずしい味わい
戻りガツオ
  • 夏場に餌をたっぷり捕食
  • 肥えて脂の乗った状態
  • 濃厚でコッテリした味わい

個体としては当然のことながら、初鰹よりも戻り鰹の方が年齢は上。
義務教育に例えるならば、初々しさの残る小学生と、青年期に差し掛かる中学生の差と呼べるかもしれません。

そして正に鰹におけるこの生態の違いが、中学受験と高校受験の相違を象徴的に示す、一つの評価になるように思うのです。
 

初ガツオである中学受験生

 高校受験との比較でみた場合の中学受験の特徴といえば、当たり前のことですが、まずは全員が小学生ということでしょう。そしてだからこそ、親の受験という言葉が使われる状況となります。親が調べ、親が先導する中学受験。

もちろん、中学受験に向かうことを自ら親に願う小学生も一定数いるとは思いますが、大部分の受験は保護者の意向によるものでしょう。

学力や家庭環境、保護者の教育に対する理念の近い生徒が、それを満たす学校環境の中で6年間を一緒に過ごすということが、保護者が受験に期待する基本要素の一つではないでしょうか。 

中学受験の網にかかって早々引き上げられることで、大海原を徘徊する大型魚や数々の危険を排除した環境を手に入れることができる。DQNと呼ばれる理不尽な生徒や保護者、そして教師らと交わることなどさらさらない選ばれし環境。
そうした安全を脅かす危険から距離を置き、個体の生育に適した温暖で栄養価の高い餌に恵まれた環境を手にすることができるとの強い思いがありそうです。

そして大学の進学実績。
入学時の偏差値にかかわらず、6年間という時間の連続を有効に活用した先取り学習の大学受験に対するアドバンテージは、わが子の明るい未来を望む保護者には絶対不可欠な要素であると映るに違いありません。

更に大学附属私立であれば、大学卒業までの10年間を受験に煩わされることなく穏やかに過ごすと共に、社会人となってからも有効に働く濃厚な人脈を築くことへの期待もあるでしょう。
もっとも、幼稚園や小学校という稚魚からの20年近い年月を附属の水に預けて将来の基盤を築こうとする家庭から見れば、中学受験で血眼になる一般家庭のこうした期待は、雲の下の喧騒にしか過ぎないのかもしれませんが。

いずれにしても、こうした早期に囲った生徒たちを、適切に管理された環境の中で育むという方式は、漁業に例えれば養殖という手法に近いのではないかと感じます。

安全な環境、適正な水温、良質な飼料、品質管理による個体の安定性。
つまり、安心で良好な教育環境が実現できるというわけです。

一人の親としては、そうした安全で質の高い環境への憧れや期待はもちろん理解できますが、同時に過大な幻想を抱いているのではないかとの懸念もあります。
そして、公海とは異なる特別な環境を整備するためには、それなりにお金もかかる。

一兆円規模と言われる受験産業の恩恵を受ける、多大な利害関係者の不断の営業努力により、わが子の明るい未来を描き、あるいは逆に将来への漠然とした不安を覚える保護者に対しては、中学受験の結果がもたらすはずの数々の前向きなメッセージが魅力的に響くことは間違いないでしょう。

同時に学校側から見た場合には、まだ何色にも染まらない無垢で新鮮な素材を、まとめて確保できることが中学受験枠の魅力でしょう。
将来の学校価値を高め経営基盤の安定を約束する大学合格実績を意識したカリキュラムに、成長期に向かう初々しく真っすぐな生徒を乗せて教育することができるわけです。

 

戻りガツオである高校受験生

 これに対して東京における高校受験生は、中高一貫校の生徒と比べると、各校明らかに個体のばらつきが見られます。それは一貫校に通う家庭から見れば、揶揄する意味も含めて文字通り雑魚と呼べる状況にあるのかもしれません。

それは小学校半ばから始まる中学受験勉強という一定のルートとは異なる、高校受験生となるまでに歩んだ経歴の多様性からくるもの。

統計上、首都圏でさえ全小学生の8割が公立中学校に進学するという事実があるにもかかわらず、中学受験で一貫校に進学しない生徒に対しては、何かむしろ特殊な選択をしているかのような空気を感じることがあります。

その特殊性とは、マイノリティであるはずの中学受験利害者が、メディアを通じて発信する大量のプロパガンダによって醸成されたもののように思いますが、それは中学受験に組しない家庭に対する概ね以下の評価から成り立ちます。

  • 教育意識が低い
  • 所得が低い
  • 子供の将来への無関心
  • 負け組

要するに、「わが子の未来の可能性に留意しない、教育意識も所得も低い親」という、反証のやり場のない無言の社会的圧力。あるいは、保護者自身の中でそう自問してしまうこと。

それが積極的な選択であるか何らかの原因に基づく消極的な選択であるかは別にして、中学受験を選択しないサイレント・マジョリティである保護者の多くは、首都圏において醸成されるそうしたある種の差別的意識のために、わが子の将来やそれに対する親の責務という点について、絶え間ない自問自答を心の中で繰り返しながら暮らしているという状況があるのかもしれません。

そうした社会の圧力の中では、誤解を恐れずに言えば、ある程度の収入や社会的背景を持つ家庭にとっては、わが子を中学受験に向かわせる事が、親としては一番楽な選択であろうと思います。
過程や結果がどうであれ、親の責務は全うしたのだと、自分自身や社会に向かって発信することができる。


そしてそんな背景があるからこそ、逆に都心で高校受験を迎える受験生とその保護者に対しては、たくましさを感じるのも事実です。
親も子も、雑魚と言われる状況を甘受しながら、巨大な中学受験利権者からの同調圧力や網の目をかいくぐり、よくここまでたどり着いたなと。

そして公立中学をはじめとする、必ずしも平坦とは言えない様々な環境を成長の糧として回遊し、荒波にたっぷりと揉まれながら高校受験生として再び漁場に戻ってくる。
その経験は、良くも悪くも子供たちの生きる力となって一人一人の生徒の中に蓄えられ、それぞれの個体の中で社会的な経験値という脂となって人間の旨味を形成する。

  • 保護者のポリシー
  • 保護者の無関心
  • 海外駐在
  • 地方在住
  • 経済事情
  • 家庭問題
  • 中学受験の失敗
  • 一貫中学での挫折
  • 内部進学への不安

都心の高校受験生の背景には、一貫校生から見れば決して穏やかとは呼べない、それぞれに異なる多様な環境が隠れているのかもしれません。
いずれにしても、安心快適で粒ぞろいの教育環境とは異なる、何らかのストレスや挫折の中を潜り抜けてきた魚たち。

養殖場の経営者から見れば、そんな様々な背景を持った生命力の高い天然魚を、養殖魚の活性化のために少しだけ選んで養殖場に放ちたいという気持ちも分かります。

ただ、放つ動機が既存環境の最適化のためであることや、放つ魚の数が少なすぎること、放つ先が自然環境からは閉ざされた世界であるために、放たれた魚たちの環境適応に対するストレスは相当大きいと容易に想像できること。

高校受験生の都立高校への回帰。
その明らかな魚群現象は、急激な水質変化に対する環境負荷を嫌い、既得権者のいない真っさらな環境の中で一斉に泳ぎたいと希望する受験生が増加した結果ではないでしょうか。

それは高校受験生の精神的な弱体化によって生じた現象ではなく、都立高校の水質環境向上への努力が、学校群制度以降の長きに渡って抑圧された声なき回遊魚の本能に訴えた結果なのだと思います。

 

天然物と養殖物 

 スーパーの生鮮食品売り場で、天然物のカツオと養殖物のカツオが並んでいた場合、どちらを選ぶでしょう?

刺身好きの私は自然と天然物に手が伸びます。何故でしょう?

天然物は大自然の脅威の中で様々な小型魚などを自ら捕獲し、大きく回遊しながら成長したために、身が締まりながらも柔らかく、そして何より旨みが養殖物に比べて総じて高いと感じるからです。

その一方で、天然物は数が少なく価格が高いために手が出しにくいという感覚が、現在の社会では一般的な評価となっているのではないでしょうか。

もしかすると、大学生を一般社会に対する出荷前の商品と位置づけた場合、消費者となる企業や社会の側から見た際にも、このカツオと同じ印象があるのかもしれません。

安定した環境で長く過ごした学生よりも、多様な社会の中で揉まれて成長してきた学生にこそ旨みを感じるのだと。
ただそうした学生は、企業の眼鏡に叶う一連の大学群の中ではこれまで供給量が少なく確保が難しかったのだと。

多様性の中で培われた脂が醸す濃厚な旨み。
公立中学から高校受験を経て大学に進学する生徒の最大の価値は、実はこの偏差値では測りきることのできない経験値という生命力や栄養価にあるのかもしれません。

そしてそれに気付いているからこそ、東京大学や京都大学のような最高学府が、固定化された工場からの粒のそろった養殖魚の大量供給に飽き、未知なる爆発力を秘めた天然魚を求めてより広い海に網を張るという方針を打ち出してきたのかも知れません。

そしてその思いを実現するために、推薦入試といった土佐の一本釣り的な入試方法や、地方の女子学生を支援するような制度を新しく整備し始めたのではないでしょうか。

大学入試改革や国立大学附属校の役割の見直し、そして教育の無償化など、都立学校群制度からちょうど半世紀となる今年、教育環境という未来を担う若者を育む母なる海の水質改善に向けた新たな取組みや意識改革が今、始まったのかもしれません。

 

中学受験か高校受験か

 結局のところ、中学受験がよいのか高校受験がよいのかということは、中高一貫校へ進学するのか公立中学への進学するのかという二者択一の問題以前に、何をもってよしとするのかという、各家庭がわが子に求める人間像の問題であるように思います。
そしてそれは、単に学校や教育といった枠で語ることではなく、むしろ人生の意味にもつながるテーマであると思うのです。

「どちらがより偏差値の高い大学に合格しやすいか?」

こうした基準で教育を考える保護者もいるでしょう。そしてこの基準であれば、週刊誌の特集号のように、偏差値の高い大学の定義を決めれば求める答えは出そうです。

「どちらが将来高い所得を得ることができるのか」
「どちらがより高い社会的地位を得ることができるのか」

こうした基準も、高さへの定義や卒業生の統計データを集めることができれば答えが出ることでしょう。
そしてこれらの質問は、わが子を思う親の気持ちという以上に、世間に対する保護者としての自尊心を満たすための子供の在り方、という姿勢の現れではないでしょうか。
ですから本当に保護者として望むべきことは、

「どちらがより幸せにつながるのか?」
[どちらがより豊かな人生を送ることができるのか?」

ということであるかもしれません。
そしてこの問いは、次の質問と同義ではないでしょうか。

「あなたにとって幸せとは何か?」
「あなたにとって人生とは何か?」

この問いは、もはや中学受験と高校受験の比較論や社会との関わりの中に求める答えではなく、わが子の将来に対する思いでもなく、親である我々自身が人生に求める哲学であり、心の内に求める答えであるように思います。


さていかがでしたでしょうか。
現在小学生の弟は、兄と同じ地元の公立中学校に行きたいと言います。
親としてはそれでよいという気持ちを持ちながら、一方で本当にそれがわが子のために最善の選択なのだろうかという思いも正直あります。

中学受験をするにしろしないにしろ、親が求める水質基準に合った環境を与えるのではなく、それぞれの子供たちにとって、本当に気持ちよく泳ぎ回り成長することができる大海原がどこにあるのか、水を探し求める冒険は、まだしばらく続きそうです。

ではまた次回。


都立受験生のたくましさの源泉を知る

 中高一貫校から日比谷高校受験の実態

中高一貫進学校の排除の理論 

日々父中学(非)受験部創設