日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

働き方改革、子育てフラリーマンにお勧めしたい、読み聞かせのすすめ

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 2018年 明けましておめでとうございます

2017年も様々なニュースが流れましたが、年末にかけて気になったのが、NHKで取り上げられたサラリーマン世代に忍び寄る、時代の変化にまつわる話題。
働き方改革の影響で、残業なく早い時間で退社するサラリーマンが増えているとか。
そんな中でも、直ぐに家に帰るでもなく、街中で時間をつぶす「フラリーマン」と呼ばれる会社員が多くいるのだそう。

今まで残業が当たり前だった父親ビジネスマンにとって、早い時間に帰宅することは、わが家とはいえ、長い間自分が存在しなかった家庭での時間に、ぎこちない違和感を感じてしまうのかもしれません。
その裏返しが、妻の家事や育児の邪魔にならないよう、帰宅時間を調整しているという、ほとんど言い訳にもならない言葉なのでしょう。

他にも様々な理由があるとはいえ、おそらくフラリーマンの潜在意識に共通するのは、早々退社する事実に対して、組織や社会の中での自分の価値が相対的に低くなったのではないかという、受け入れがたい評価を意識してしまう点ではないでしょうか。

 

男の社会的価値とフラリーマン

 特に、男たるもの仕事を通じて家族を守り、社会に貢献する存在であると考えるビジネスマンにとって、会社から早い退社を求められることは、リストラにも通ずるような、自分自身も認めたくない自己否定にも似た不都合な真実であるのかもしれません。
妻には伝えず従来通りの帰宅時間を維持することで、容易に消化しきれない感情をなんとか紛らわし、男としての尊厳を維持しているのでしょうか。
もちろん、自分にも家族にも嘘をついている状態ですから、気持ちが晴れることはないでしょう。むしろ本人自身が虚しさを感じているはず。

街をフラフラしたからといって、否定したい事実や感情が消えるわけではありません。むしろ父親という新たな価値観で、家族や社会に関わり貢献する新たな機会の到来を、みすみす放棄してしまうことで、企業人としての社会的な価値の低下だけでなく、家庭人としての社会的な地位までも自ら毀損している可能性があるように思います。

しかしそうした事実は、フラリーマンたる本人は気づかないもの。
そしてそれを理解したところで、いきなり平日の家庭の中に自分の立場を求めるのもなかなか難しい現実があることと思います。

そこで日比父ブログがお勧めしたいのが、子育てフラリーマンだからこそ可能と言える、父親としての大切な役割。わが子に対する就寝時の読み聞かせです。
私自身は日比谷高校生の長男が幼稚園に通う頃に始めて、小学生の弟に至る現在までかれこれ十数年も続けているこの家庭習慣を、退社後の居場所と社会的な意義を見いだせずに夜の街を徘徊し、フラリーマンとして消極的に活動する男性子育てビジネスマンに向け、この正月を迎える機会にご紹介したいと思います。

 

家庭を通じた社会的地位の向上

 私自身は何者でもないため、世のビジネスマンや父親に対して上から目線で何かを提言するような立場でないことは重々承知しています。

それでも今回の文章をお届けするわずかな正当性を一つ挙げるとすれば、私自身の個人的な経験、つまり子供たちの生まれる瞬間を分娩室で目の当たりにし、当時はほとんど男性取得実績の無い育児休暇を取り、日常的に深夜のミルク遣りやオムツ換えを行うと共に、成長後は可能な限り多くの幼稚園行事や学校行事に参加することを、今なお現在進行形で続けているということかもしれません。
今にして思えば、当時は言葉さえなかった「イクメン」という在り方に、積極的に取り組んできた一人であるように思います。

そんな私がフラリーマンたる男性に読み聞かせをおすすめしたい理由は、それが子供の成長過程において親が期待するような学習効果をもたらすかどうかという価値観以前に、フラリーマンが抱える問題解決につながると考えるからです。

家に帰ることができず街中で時間を持て余している父親にとって、読み聞かせは具体的で取り組みやすいだけでなく、妻や子供からも認められる確固たる立場を早々に確立しやすく、実際に読み聞かせを実施した暁には、家族にとっても自分自身にとっても、そして世の中にとっても意味のある、幸福感を伴う社会的な貢献活動だと思うからです。

自らの心の虚しさを埋め合わせる夜の街歩きから、これまでの妻や子供に対する時間を埋め合わせるための読み聞かせに立場を転ずることで、企業人として迎えた社会的な劣勢状況を、新たに迎える家庭人としての社会的優勢に転換することが可能となる、ある種の魔法の時間。

そして何より、毎晩わが子の就寝に立ち会い、子供との二人きりの密度の高い時間を過ごすことで、企業人としては容易に到達することのできない充足した人生の一つの頂を、フラリーマンであればこそ、強く経験する機会を得られるからです。

 

フラリーマンの社会的価値

 読み聞かせの意義についてもう少し詳しくお話しする前に、ここではフラリーマンの社会的地位について日比父流に整理したいと思います。

個人の社会的立場

 まずは個人の社会的評価について考えます。
個人が社会に貢献に対する立場として、「仕事貢献度」と「家庭貢献度」の2軸から成る以下の4つのエリアを想定してみました。

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この図のエリアで潜在的にフラリーマン化する可能性のある立場としては、右下の「仕事人」にあるビジネスマンが多いのではないかと思います。

つまり従来仕事で貢献することが、社会人の是という価値観をもって生きてきた人々。そうした立場の被雇用者が、企業から仕事人としての相対的な価値の低下を宣言される状況。つまり上の図でいえば縦軸より右側にあった自分の立場が、相対的に左側に移動するということ。

この場合、社会貢献度が保たれる縦軸の右側に残ればまだよい。退社後の数時間をつぶして帰宅することで、妻にも悟られずにフラリーマンとして従来の価値観の中で過ごすことができるかもしれませんが、縦軸を超えて左側に移動した場合には、会社にも社会にもどちらにも貢献することのない社会的負荷としての迷惑な存在に陥りかねません。

そしてこの悲しい状況は、現役世代でフラリーマン化する企業人として、相対的に能力が低いとみなされた人々だけの問題ではなく、現役時代の能力に関わらず退職を迎える全ての雇用者が、必ず訪れる会社人生の終わりを期に迎える潜在的な結末であるかもしれません。
企業からも家庭からも見捨てられた存在。

これは決して他人事ではなく、働き方改革という社会の中では誰もが迎える可能性のある状況。もしかすると、これからの少子高齢化や男女平等参画社会の到来と、外国人やAIも含めた労働力の多様化を迎える社会の中では、むしろ多く見られる社会的にメジャーな存在にすらなるかもしれません。
最近スマホや雑誌、電車の広告でよく見る「将来なくなる仕事」という謳い文句で不安を煽るあの世界です。悲観的で暗い未来の到来を予感するかのような変化の兆しです。

 

フラリーマンの明るい可能性

 新年を迎えた今、このような話題を取り上げるのは、世の父親世代の不安を煽るためではありません。むしろ新しい年の新しい世界を迎えようとする現時点で、従来の価値観とは異なる個人としての明るい未来を見いだそうとすることが目的です。

ここで注目したいのは、社会的な貢献軸には企業を中心とするX軸方向の左右バランスだけではなく、Y軸方向の上下バランスも存在するという点です。つまり先の図の中で横軸よりも上の立場を確保することで、社会人として家庭を通じた社会貢献が十分に可能だという点です。

しかもこの家庭を通じた社会貢献は、先に見た働き方改革や少子高齢化、男女平等参画といった社会状況の変化に応じる形で、今後相対的に価値の向上が見込める評価軸。

つまり、従来の仕事が主、家庭は従といった価値観から、家庭が主、仕事は家庭を維持するための従属的な立場の一部に過ぎないという社会的価値観の変化の到来によって、むしろ社会の中心的な評価軸となる可能性がある成長分野だということです。

これから日本社会に求められる、新たな労働者であり消費者であり納税者であり、かつ日本語と日本的価値観を後世に伝える新しい命を生み、育むという行為そのものが、実は現在既に始まりつつある社会の地殻変動によって、いつの間にか企業人として求めた頂点よりも社会的に高い場所に位置する可能性があるかもしれません。

企業人としての頂と、家庭人としての頂。
人生におけるその二つの双璧への登頂を、どちらも真に実現する人物は歴史を振り返っても多くはないように思います。それを決定するのはお金や社会的立場の使い方ではなく、企業人であると同時に父親である一人の人間にとっての時間と空間の使い方の問題ですから、ある意味当然の結論です。
仕事に偏るか家庭に偏るか、あるいはどちらもほどほどに関わるのかという選択的課題であると同時に、従来は仕事に軸足を置くことが、社会において男性に求められる価値観であったことは確かでしょう。

しかし企業が個人の人生をもはや担保しない時代にあって、個人も企業への従属意識をどこまで担保するのか、これから世の父親に求められる立場と価値観の多様性に、われわれも柔軟に対応していく必要があるように思います。

明らかな労働力不足が到来するはずの日本社会の中で、何故だか労働力としての相対的価値が下がる父親サラリーマンが、従来の価値観の地盤沈下と共に海底に沈むことなくむしろ新たな新大陸に新天地を築き上げるチャンスの到来。
それこそが、社会や家庭のお荷物であり時代錯誤の存在として嘲笑の対象となるようなフラリーマンが潜在的に手にする宝の山。
フラリーマンであるからこそ従来価値観の中でも堂々と手にすることができる新たな頂です。しかもその頂点は、社会的頂点とは異なり全ての親に一つずつ存在する。それをつかむかどうかは組織の中の相対的な能力の差ではなく、自分自身が求めるかどうか。

フラリーマンや潜在的なフラリーマン候補者であるということは、社会の変化に取り残された時代遅れの存在ではなく、社会改革の先に求められる新しい社会人としての在り方を開拓し、先駆者となる可能性のある希望の立場。まずは自分の置かれた立場をそのように前向きで肯定的に捕らえてみること。

そしてその新たな希望を育む社会貢献の内、家事や配偶者への直接的なサポートとは異なり、特別な能力も経験も必要なく、今日から直ちに実現可能な家庭内での役割の一つが、読み聞かせという活動なのです。

 

ミケルソンの行動に心震えた日

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 2017年のニュースの中でも、個人的に最も新鮮な驚きとして歓迎を持って受け入れたニュースは、プロゴルファーであるフィル・ミケルソンの「全米オープン」欠場のニュースです。
この大会は日本の松山英樹選手が、日本人初となるメジャー大会優勝の可能性が高いトーナメントとして日本でも話題となりましたが、私が注目したのは日本人選手の動向ではなく、ミケルソン欠場の理由です。

男子ゴルフ界には、全英オープン、全米オープン、全米プロゴルフ選手権、マスターズの4つのメジャー大会があります。
そして同じ年に開催される4大大会全てを制覇することを、グランドスラム達成といいます。もしかすると多くの世代にとっては、錦織選手が活躍するテニス界のグランドスラム制覇の方が認知度が高いかもしれませんが、元来はこのゴルフ界から生まれた言葉です。

このゴルフの年間グランドスラムは前人未踏の境地。達成する者のいない絶対王者の証です。これに対して実際に偉大なプレイヤーとして認識されるのは、キャリア・グランドスラムと呼ばれる、現役選手としての生涯を通じて達成する4大大会制覇です。
それでもこれを達成した選手は、1935年以降過去に僅か5人しかいない偉業です。
直近でこれを達成したのはタイガー・ウッズ、そしてジャック・ニクラウス。帝王と呼ばれる由縁です。

そしてこのグランド・スラムに大手をかけているのが、ミケルソン選手です。

彼はその時47歳、あと何年その偉業への達成機会が訪れるか分からない年齢です。その彼が手にしかかっているのは、近代ゴルフ80年余りの歴史の中で、僅か5人しか実現した者のない偉業。それを達成するか否かでこれからも続く長いゴルフ界の歴史に刻む名前の重みが全く異なります。

その望みをかけた彼が、選手生活の晩年に迎える重要な大会を欠場する理由は、

「娘の高校卒業式に出席するため」。

スポーツ界のレジェンドとなるべき偉業と比較して、余りにも陳腐な理由だと驚いた方も多いかもしれません。

 

日比父ブログが大切にするもの

 このニュースを耳にした際には、私自身とても勇気づけられました。そして彼の気持ちがよく理解できました。

親としても子供の年齢も近い同世代の存在であることには違いありませんが、置かれた環境や社会的な立場、名声などは明らかに異なる彼の判断を、親として十分理解できるのです。

社会的に何者でもないこの私が語っても何の説得力もありませんが、その時の彼の気持ちはこうだったのではないでしょうか。つまり、

「スポーツ界のレジェンドには誰かがなれる。しかし娘の卒業式に出席することができる父親は自分だけなのだ」と。

父親としてわが子の成長に寄り添えるのは、歴史的にも地政学的にも自分以外にはどこにもいない。
これは、一つの精子が一つの卵子と出会うことによって新しい命が生まれるという生命の奥義が存在する以上、人種や性別、社会的地位や収入に関わらず全ての時代の人間に等しく与えられた真理であり立場であるはずです。
そしてその父親であり母親である立場には、上下や大小の違いなど全くない。

2017年の全米オープンの彼の欠場は、今まで自分の中に感じていたそうした事実と価値観を、目に見える形で私の前に提示してくれました。それはこの日比父ブログが大切にし、伝えようと試みる価値観の一つに違いありません。

 

読み聞かせの効果と青い鳥

 わが子への就寝時の読み聞かせを行う明らかな効果の一つは、読み聞かせる自分自身が親であることの深い幸せを感じることができるということです。
世間で様々語られる科学的な効果については、私には断定できません。

ただ親であることの喜びを実感できる。そして子供が寝る時間までに帰宅することができる父親であれば誰にでもできる。これは確かです。
だからこそ、フラリーマンと呼ばれる父親にお勧めしたいのです。ミケルソンがグランドスラム達成を手放してまで実現しようとしたその同じ幸福の感情を、誰もが身近に実現することができる日々の行為です。

物語を読んでもらうことを楽しみにしている子どもが、半分寝かけた布団の中で、まるで芋虫のように体をよじって話の続きを求める姿は、なんとも愛らしくもあり親として本当に幸福を感じる瞬間です。時折意地悪な気持ちになって、まだ寝ていないことを知りつつわざと読むことを中断しようとしてみたり、会話はなくとも伝わる親子の心の絆はあるものです。

私自身はきちんと読んだことがありませんが、もしかするとそれこそが青い鳥なのではないかと思うことがあります。きっとそれは、日常のささやかな瞬間に舞い降りる。
社会の中の相対的な状況が決めるものではなく、親というそれぞれが唯一無二の存在であるという事実の中に潜む絶対的な価値。

その事実に気づく者だけが手にすることができる、誰にも等しく舞い降り等しく掴むことができる秘密の鳥。ただその鳥が舞い降りるのは、心の充足を求めて彷徨う夜の街のどこかではなく、何でもない日常の中にある子供の寝顔や妻の穏やかな顔。

そう考える私自身が、今でも子どもたちの学校行事に積極的に参加しようと努めるのは、様々な姿をした鳥たちに出会えることに密かに気づき、楽しみにしているからに他なりません。

もちろんそうした父親の姿を好ましく思わない方や、社会的価値の低い存在だとみなす方が多くいるであろうことは理解しているつもりです。ミケルソンが手放した栄光が、人間にとってより上位にあるべき価値だと捉えることは、まだまだ一般的な価値観なのですから。

でもそれは気にすることではありません。
むしろ世の多くの父親世代がそのような従来の価値観を抱き続けていることで、私自身が長い列に並ぶ苦労なく、秘密の鳥たちに出会う機会を得られているのですから。


正月はフラリーマンである父親の多くが、否応なく家庭で過ごす時間が増える時期。
わが家の中で自分の収まるべき場所がなく、どことなく居心地の悪さを感じることがあれば、騙されたと思ってこの期に読み聞かせを始めてみてはいかがでしょうか。

必要なのは読むための本と子どもに寄り添う時間。特別な投資や元手はいりません。
最初に読むべき本に迷った際は、ネット上に答えを求め、新たに買う手もありますが、まずは既に家の中にあり、子どもがお気に入りの本を手にすることをお勧めします。

子どもにとっても既に何回も読んだ物語。父親と過ごす突然の機会に緊張することなく、自然な気持ちで状況を受け入れることができる環境です。
そして子どもにとっても、聞き慣れた母親の声ではなく父親の優しい声で聞く物語は、日頃親しんだストーリーとは異なる新たな物語の一面に出会う、楽しい思い出のひとときになるに違いありません。

2018年。父であり母である全ての子育て世代の皆さんに、今年もわが子との素敵なひとときが訪れますように。

ではまた次回。


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