日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

創立140周年、泰明小学校にみる都内伝統小学校の系譜

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画像出典:中央区立泰明小学校ホームページ

 アルマーニの制服で一躍日本中の注目の的となった、中央区立泰明小学校。

日比谷高校と同じ明治11年(1878年)創立の、今年140周年を迎える歴史ある学校です。校門を出て右を見ればJR高架越しに帝国ホテル、左を見れば東急プラザ銀座のガラスのファサードが間近に迫り、日比谷公園が最寄りの遊び場となる、正真正銘の都心の伝統校です。

創立140年を迎える節目の年に、場所柄に合うデザインの制服を、という企画が出るのも不思議ではないような環境であることは確かです。服のデザインがアルマーニではなくもう少し大衆的な日本のブランドであったなら、同程度の価格でも今ほどセンセーショナルに騒がれることはなかったかもしれません。

泰明小学校は確かに歴史ある学校には違いありませんが、都内全域を見渡せば、泰明よりも古くから開校している学校が100校以上あるのもまた事実です。祖父母の代から地元に暮らす家庭にとっては、そんな地域の伝統校は当たり前に存在するはず。
ところが、遠方から転入する家族にとっては、そうした感覚はつかみにくいものです。

この春新たに都内に転入する家庭の中には、将来小学校へ通う小さな子供を持つ保護者の方や、これから第一子の誕生を迎えるまだ若い夫婦の方も多いはず。
小学校の制服を巡るやり取りに対し、面白おかしく批判的にニュースを見ている子育て世代の方も、実際に引っ越しするのであれば、わが子が通う小学校の名前や環境にはこだわりたいと考えている保護者の方も多いでしょう。

4月の異動で都内に転入する家庭の多いこの時期に、住まい探しの一助となるべく、今回は誰もが気になる都内伝統小学校の状況についてお伝えします。

 

都内小学校の創立年代情報

 まずは平成29年度の事実情報として、東京都教育委員会がホームページで公表している情報をご覧ください。統計情報は東京都の公式のものですが、表や集計などはすべて日比父ブログのオリジナルです。

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この一覧を見ると、都内全域の傾向として、明治時代に創立された小学校が全体の2割程度存在することがはっきり理解できます。
個人的には、古くから続く小学校が案外多いという印象を持ちました。

都の統計集計方法を見ると、実質的には創立からの体裁を保つ学校であっても、統廃合や条例の変更に伴い新たな創立として集計される学校が、平成に入ってからも相当数存在しますから、実質的にはこの一覧以上に古くから続く学校は多いと考えられます。

そうした状況を確認するために、次に行政区毎の情報を掲載します。

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長くなるのでまずは23区の情報のみを掲載しました。各行政区で小学校創立の割合が最大となる時代に色をつけています。 

これを見ると興味深いのは、皇居のある千代田区をぐるりと取り囲むOLD東京6区に明治時代創立の小学校の割合が多い点です。そしてその外側に向けて、大正、昭和と開校が続く。これほどはっきりとした傾向が現れると、集計していて気持ちいいです。

ただここで、少し疑問を感じる方もいるのではないでしょうか?

歴史の中心となるべき千代田区の学校すべてが、平成の創立であるからです。
これが先に記載した、統廃合や条例の変更による創立年度のリセットです。千代田区の小学校は現在でも実質的には明治の初期に創立された学校が中心ですが、条例の改正に伴い、行政管理上は8校すべてが平成5年4月1日に新設された学校として集計されているのです。

そして都心から離れるにつれ、創立の年代は昭和へと移ります。長くなりますが、その傾向を確認するために、すべての地域を掲載します。

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ご覧の通り、多摩エリア市部については昭和時代の設立小学校が圧倒的に多く存在しています。他の統計資料がないのであくまで想像ですが、これは高度成長期のベビーブームや持ち家政策による人口や住宅着工数の増加により、世帯数や子供人口の増加が都心から市部へと広がる様子を端的に表した結果のように思います。

一見何の関係もなさそうな小学校開校の統計数字が、明治初期から現在に至るまでの都市の発展や経済成長に伴う社会の熱気を語っているようで面白いです。物語性のある、適性検査問題にでも使えそうな統計資料です。

そして都心から離れた八王子や郡部に近づくに従って、逆に明治時期の小学校割合が大きい状況となっています。この点は、高度成長期における人口の爆発的な増加が、どの程度の範囲まで及んでいたかを示しているようで本当に興味深いです。

そして同様に、島しょ部では新しい学校の建設が長きにわたって行われていない様子がうかがえます。活気に満ちた島内人口増加の時代から人口流出の時代まで、やはり数字が多くを物語るようです。

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創立140周年、日比谷高校との比較

 以上、小学校創立年代に関する全体的な傾向をつかんだ上で、次は各地域における個別の学校を見てみましょう。

先の一覧の数字の通り、都内には明治時代に創立した小学校が269校もありますので、すべてを掲載するには多すぎますし、あまり社会的な意味もありません。そこで創立年代による伝統校の切り分けの線引き基準として、ここでは日比谷高校を取り上げます。

日比谷の創立は明治11年(1878年)9月26日。
明治という新しい時代の幕開けから10年を経た年に、日本の近代化を支える人材の育成を担う東京府第一中学(府立一中)として開校します。そして明治初期の小学校設置を巡る制度の整備としては、以下の項目が参考となります。

  • 1868年(明治元年) 明治天皇即位
  • 1871年(明治4年) 文部省設置
  • 1872年(明治5年)  『学制』頒布
  • 1878年(明治11年) 東京府第一中学(現日比谷高校)開校
  • 1879年(明治12年) 『教育令』公布

明治政府が1871年(明治4年)に文部省を設置、全国的な学校制度として翌1872年には『学制(明治五年太政官布告第214号)』を頒布。1879年(明治12年)の『教育令(明治十二年太政官布告第四十号)』が公布されるまでが概ね明治初期の動きと重なりますから、日比谷高校の創立は、確かに日本が近代国家への坂道を駆け上がる明治初頭の黎明期を示す、教育史的にも意味のある分かりやすい指標といえそうです。
尚、余談ですが、9月26日は現在でも開校記念日として休校となります。

この日比谷高校の創立日を基準にして小学校を眺めると、1878年以前に創立した学校は明治創立269校の半数以上の143校が該当します。明治政府が立ち上がったばかりの時期に、東京都内で基礎教育基盤づくりが急速に進められたことが、この数字からうかがえます。

 

明治初期創立の伝統小学校

 では日比谷高校創立以前に開校した小学校を、具体的に見てみましょう。

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日比父ブログでは、一覧に掲載された小学校への入学を推奨しているわけではありません。歴史が長い学校が様々な意味で良い環境であるとは限らないからです。
長い歴史と伝統に裏付けられた意識やある種のブランドが、特定の生徒や保護者にとっては好ましい環境であっても、別の生徒や保護者にとっては耐え難い環境であるかもしれない。そこに集う教師や保護者の意識も学校により様々でしょう。

泰明小学校の制服報道については、まさにそんな状況を明らかにした一つの例だといえるかもしれません。伝統小学校は、そこに長く暮らす地域住民の母校であると同時に、地域の象徴であり誇りであり、心の拠り所であることが多いため、複雑な感情や環境を醸成することも確かです。

それが自分にとって望ましいものなのか避けるべきものなのか、教育に関心の高い保護者の誰もが気にする学校や周辺の教育環境と、そこに集う生徒や保護者のステイタスや意識というものを、昭和期以降に設立された大部分の学校を選択する場合以上に、こうした伝統校の学区に転入する際には予めリサーチが必要なのかもしれません。
一覧の小学校は、泰明小学校よりも設立の古い学校が大半ですから、それぞれに様々な思いの蓄積があることでしょう。

そして創立時の名称は、その学校がどのような性格の教育機関であったかを端的に示す参考情報となるでしょう。政府の枠組で設立した学校もあれば、私設塾的な背景を持つ学校など、様々な背景が存在します。そしてナンバースクールの符号を追って見れば、連番であるはずの多くの学校が、統廃合により消えていった事実も浮かび上がります。

では多摩地区および島しょ部についてもご覧ください。

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繰り返しになりますが、歴史ある伝統校が良いのか悪いのかは、それぞれの生徒や家庭の意識によって異なるのは明らかです。中学受験が盛んであったり、逆に地域の公立中学校に併せて通う割合が多いなど、教育環境も保護者の意識も学校や地域により様々。また制服に限らず、泰明小学校のような地域や環境に根ざした特殊な対応事例も、報道には乗らない状況で様々あるでしょう。

一覧の中には、個人的によく知った小学校も含まれますが、その学校は地域のモデル校に選定されており、すでに全教室にパソコンとWi-Fi、そして電子黒板システムのような設備が完備されていますから、伝統校には良くも悪くもそうした指定を受けやすい側面はあるのかもしれません。いずれにしても個々の学校や環境により状況は様々。転居を考える際には名前や歴史や誰かの評価に安易に飛びつくことなく、できれば不動産業者以外の地域住民に予め確認することをお勧めします。

ただ、どの学校にも共通して言えることは、140年以上も統廃合の波に呑まれず脈々と続く学校は、地域社会の安定と成熟を物語っていることは確かだと思います。そしておそらくは、そうした環境を好む家庭が相対的に多く存在することから、学区内の不動産価格は隣接する地域よりも割高であるかもしれません。ただ、例えば島しょ部の小学校のように、そうした意識とは異なる次元で、目立つことなく静かに続く地域の伝統校も様々存在することでしょう。

今回の記事をお届けする意味の一つには、外部からは見えにくい小学校の歴史的な背景についてフラグを立てることでもありますので、引っ越しを考える際の参考情報としていただければと思います。
 

千代田区の伝統小学校

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画像出典:千代田区・神田公園地区連合町会のサイト

 最後に、千代田区の学校について確認したいと思います。
千代田区の小学校は、学校設置条例の改正により、統廃合に関わらずすべての学校が、平成5年創立として再出発しています。

このため、これまで見た創立一覧には挙がってきませんので個別に確認する必要があります。千代田区の小学校がなければ、東京の小学校の歴史を垣間見たことにはならないからです。

では、まずは一覧をご覧ください。

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ここに掲載した情報は、各学校のホームページを中心に、公共性の高いページの情報のみを掲載しています。学校に愛着を持つ卒業生や地域の方の様々な方のページが散見されますが、情報の信頼性確保のため、公に確認できない情報は空欄としています。

例えばお茶の水小学校の前身の一つである錦華小学校は、1期生として夏目漱石を迎え、創立90年記念式典には昭和天皇皇后両陛下を迎えるなど、どの学校も千代田区という特異な地域に根差し、日本の近代国家設立と共に歩んだ永い歴史があります。

これらの学校については、玉石混交、本当に多くのサイトが情報を発信していますから、特に興味のある地域があれば、調べてみると面白いかもしれません。

 

港区鞆絵(ともえ)小学校

 さて、今まで見てきた多くの情報の中に、学校の沿革を語る上で最も注目すべき情報が抜け落ちていることに気づきます。

それは『東京府小学第一校』の存在です。

番町、麹町、日比谷、東大と言われた、今も残る千代田区の番町小学校が第二校。
最も古い歴史を持つはずの第一校が、どこにも記載されていません。

それもそのはず、この第一校である「鞆絵小学校」は既に取り壊され、現在は廃校となった他の4校、桜川小(明治6年)、桜田小(明治10年)、桜小(昭和39年)、神明小(大正2年)と共に、港区御成門小学校に統合されています。
昭和開校の桜小学校自体も、南桜小(明治10年)と西桜小(明治40年)の統合により誕生していますから、おそらくは街の経済発展と小学生人口の減少により、統廃合を繰り返した結果だろうと思います。

欠番となったナンバースクールの多くは、大なり小なりこうした歴史的背景を持っているように思います。

鞆絵(ともえ)小学校

明治3年(1870年)学制が発布され「仮小学第一校」として開校しました。東京で最も早く開校した小学校です。平成3年、120年の歴史を閉じ、閉校しました。

出典:港区御成門小学校ホームページ

小学第一校・源流院

 わが国の近代初等教育は、明治5年(1872)の学制発布に先立ち、同3年に東京府が府内の寺院を仮校舎として、六つの小学校を設立したことに始まり、その第一校は、6月12日に開校した...(中略)
 この小学第一校は、明治4年に、西久保巴町(虎ノ門3丁目)へ移り、その後、校名も、第一大学区第二中学区第一番小学、鞆絵尋常高等小学校、鞆絵国民学校、鞆絵小学校などと変わった。

出典:東京都港区教育委員会

旧鞆絵小学校は、米国大使館、虎の門病院、ホテルオークラ、虎ノ門ヒルズなどに囲まれた都心の一等地。虎ノ門ヒルズと同時に開通したマッカーサー道路の周辺は、虎の門という響きとは対照的に、まだまだ古い雑居ビルが多く残る、東京オリンピックを経てこれから再開発が急速に進むエリアです。

鞆絵小学校跡地も、2020年に気象庁と港区立科学館の入った高層ビルとして生まれ変わる予定です。

このような場所に小学校を単独で維持することの難しさは、容易に理解できます。
そう考えると、現在も脈々と残る歴史ある小学校の存在は、やはり住環境としての適性を示す一つの指標であることは確かでしょう。

いずれにしても、統廃合を繰り返すことによって、歴史を物語る学校の名称が失われていく状況は、市町村合併に伴う土地柄や史実をたたえた地域の名称の消失同様に寂しさを覚えずにはいられません。もちろん、歴史や伝統を守りたいと考える人々と、過去の事実を消して新しい価値観を作りたいと考える人々が存在するのもまた確かです。

そして余談ですが、御成門小に吸収された学校は、どこも桜の名前を掲げています。
地図の左上、ホテルオークラとインターコンチネンタルホテルの間に広がる桜坂は、その名の通り現在も桜の名所となっています。満開の桜が咲き誇る見事な並木道は、本当に見ごたえのある春の風物詩です。満開の桜を愛でながら、近代日本の初等教育の原点となった地まで足を運んでみるのもよいかもしれません。

さて、いかがでしたでしょうか。

こうしてみると、まだまだ話題の泰明小学校は、歴史というよりは、銀座という特殊な土地柄と呼応した特異な伝統校の一つということができるかもしれません。

多くの日本人が異動で行き交うこの4月に、これから小学校に通う子供を持った若い世代の保護者の方のもとに、それぞれの価値観にあった新しい素敵な街や学校との出会いが訪れることを願ってやみません。

ではまた次回。


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