日比谷高校では何を学んでいるのか?

2020年8月9日更新:

昭和12年日比谷高校正門

画像出典:日比谷高校百年史/昭和12年正門

 

 都立の雄としての地位を取り戻した日比谷高校。

都立改革以降の急激な大学合格実績の回復から、受験マシーン養成校と捉える向きもあるかもしれません。

2019年に卒業した長男を見る限り、むしろ日々の勉強に関しては緩すぎる学校ではないかと思うのですが、実際のところは保護者や部外者にはわからないのが実情です。

そこで今回は、個人の感想に依存しない客観的な資料に基づいた、日比谷高校の学びについてお届けします。最古豪の一つである日比谷の学びの本質が浮かび上がります。

 

日比谷高校の意地

2018年度 日比谷2年進路通信PATH19号

 日比谷校内で生徒と保護者向けに定期的に配布される進路指導通信の内、長男が2年生の1月に受け取った紙面にはこんな言葉があります。

日比谷高校の意地

日比谷高校にはゆずれないことがあります。

① 全科目履修型・教養主義カリキュラム
→幅広く何でもやる。やがて関連づけができるはずだ。

② 3年生まで全員行事をやり抜く
→調整する力・まとめる力がつく。ラストスパートでのエネルギーの基となる。

出典:2018年度 第2学年進路通信「PATH」第19号

センター試験が終わり、間もなく受験学年となる2年生に向けた教師から生徒へのメッセージの一つです。近年の大学合格実績は、まさにこのような地道で真摯な取り組みの成果と言えるかもしれません。

ただし、こうした言葉は多くの場合、学校や教職員側が思い描く理想主義的な独りよがりに陥りがちです。

生徒は白けて取り合わない、あるいは授業を無視して内職に精を出すという状況も生じやすいように思います。ところが日比谷高校の場合には、教師だけでなく、生徒も保護者も、この一見受験勉強からは大回りともいえる考え方にすこぶる肯定的なようです。

 

学校評価アンケート

 日比谷高校では、毎年生徒による科目毎の学校授業の評価および、生徒、保護者、教職員に対するアンケート調査があり、その結果は校内関係者に開示されています。これを見ると、先の肯定意見が数字として見えてきます。

平成29年度学校評価アンケート

有効回答数:
生徒98.8%、保護者72.6%、教職員100%

Q2:日比谷高校の教育で評価できる項目を選んでください。

  1. 文武両道の教育方針
  2. 自主自律の校風
  3. 良き伝統
  4. 全ての科目をまんべんなく学べる教育課程
  5. 授業の充実に努める学習指導
  6. 生徒が主体的に取り組む学校行事や部活動
  7. 充実した進路指導
  8. SSHなどの取り組み
  9. 評価できる項目はない

Q2・回答トップ3

  • 生 徒:6 ⇒ 2 ⇒ 
  • 保護者:6 ⇒ 2 ⇒ 1
  • 教職員:6 ⇒  ⇒ 5

日比谷高校では、6の生徒の自主性に任せた学校運営が生徒、保護者、教職員の共通認識として支持されていることが理解できます。

同時に生徒と教師の間では、4の全科目履修型カリキュラム、つまり先の教師のメッセージに掲げられた①と②が、教師と生徒間で肯定的に共有されている状況が浮かび上がります。

理系であれば日本史や世界史に加え地理や倫理まで、文系であれば生物、化学、物理までも学ぶことに対して前向きな経験としてとらえているということです。

日比谷の教養主義とは、校内アンケートの結果からは、受験生やマスコミ向けの見せかけだけではないようです。

実際長男も、倫理を学ぶと世界史の理解が深まると評価しているのは確かです。センター試験の理社対策を、本番1週間前から始めて間に合ったのも、そうしたベースがあったからなのかもしれません。

もちろん、本人の希望にかかわらず、受験に関係ない科目や苦手な科目まである意味学ばされるのは、鬱陶しいに決まっていますが、それでも生徒から評価されているという点は、特に注目したいポイントです。


Q12:日比谷高校の学習指導で評価できる項目を選んでください。

  1. 45分7時間授業
  2. 2年まで共通履修、3年で文理選択のカリキュラム
  3. 「学習と進路」による3年間の学習の提示(シラバス)
  4. 進路別に分けない学級構成
  5. 英語・数学の習熟度別授業
  6. 3学年の選択科目
  7. 土曜講習や長期休業中の講習
  8. 評価できる項目はない

Q12・回答トップ3

生 徒:7 ⇒ ⇒ 1

保護者:7 ⇒ 2 ⇒

教職員:2 ⇒ 1 ⇒

こちらの回答でも、文理クラス分けしない学校運営に肯定的、つまりは受験に集中するまでの広い学びに対して積極的に容認する姿勢がうかがえます。

少なくともアンケート結果からは、日比谷の学びの環境は、大学受験に不利と言われる3年間という短い時間にも関わらず、地道な教養獲得に対して寛容かつ積極的な生徒、保護者、教員から成る三位一体の学びのベクトルがそろった、前向きな学習集団ということができると思います。

もちろん、全ての生徒や保護者がそのような意識ではないと思いますし、きれいごとばかりでもないとは思いますが、数字からはそのような意思が多数を占めることは疑いない状況ということがいえる結果でとなります。 

画像出典:日比谷高校百年史/昭和48年漢文発表授業

画像出典:日比谷高校百年史/昭和48年漢文発表授業

日比谷高校の授業が目指すもの

 アンケートで明らかな通り、日比谷高校が広い学びを積極的に受け入れる集団ということは確かなようですが、全教科履修のカリキュラムという響きからは、センター試験対策のような広くて浅い知識の詰め込み型授業を想像するかもしれません。

学校や学びに対する姿勢を確認するのが学校評価だとすれば、学びの質的状況を示すのが、生徒による授業評価といえるでしょう。

日比谷では、学校評価アンケートと並んで、生徒による全教科に対する授業評価アンケートも毎年行われています。

授業評価を行う目的は、評価結果の公表に向けて語られた、武内校長の次の言葉に現れます。

・・・私は、学校経営計画に「質の高い授業の創造」を目標として掲げています。これまで何度も申し上げてきたように、質の高い授業は、先生と生徒との双方で創り上げていくものです。(中略)

現在、高校教育は変革の渦中にあります。すでに知識を一方的に伝達するだけの授業は終焉を迎えたのです。一人でできることは授業の外に出し、集団でしか学べないことを大切にした授業づくりが求められています。

・・・日本の高校教育が「主体的・対話で深い学び」に向かっていることは世界標準に近づいていく歩みを進めたのだ、ともいえるでしょう・・・

そういう背景を踏まえると、質問事項「生徒・教員間のやりとりを通して考え、考えを表現する場面がある」に対して、高い評価結果が出ている科目があることは大変うれしく思います・・・(後略)

出典:平成29年度後期授業評価校長メッセージ

ここでいう質の高い授業のイメージは、テレビ番組『世界一受けたい授業』で紹介されたような対話型や発表型授業のことだと考えられます。そして授業評価は、学校が目指す授業の方向性と生徒のギャップを明らかにする羅針盤の役割を果たすのでしょう。

対話型の授業を止めて知識提供型の授業を行えば、実は大学実績はもっと上がるんですよ、とつぶやく日比谷教師の言葉を耳にしたことがありますが、それでも学校側が今の流れを止めることはないでしょう。もちろん、授業のすべてが対話形式に置き換わるとは思えませんし、知識伝達型の授業構成が必要なことも確かです。

「一人でできることは授業の外に出し...」

自宅や電車の中でもできる知識の取得を、知的好奇心の高い仲間が集まる授業の中で行うのはもったいない。そんな気持ちで様々な取り組みを行っているのでしょうか。

何れにしても日比谷高校の中には、短期的な大学進学実績だけではない、将来に向けた学びの本質を追求する意識が確かにありそうです。

授業評価アンケート

 実際の授業評価アンケートは、以下の二つの大項目から構成されています。

  • 生徒の授業に対する取組み意識
  • 各授業に対する生徒の評価

生徒や保護者に開示されるのは、個別の教員毎の結果ではなく教科毎の集計ですが、それぞれの教科の傾向からは、学校と生徒の学びの姿勢をうかがい知ることができるように思います。

生徒の授業に対する取組み意識

 生徒自身の授業への取組みの自己評価としては以下の項目が設定されています。

  • 1:授業への意欲、予習復習や自主学習
  • 2:授業中の「居眠り」「内職」有無
  • 3:学習と学校行事・部活との両立
  • 4:幅広い教養か大学受験対策の拡充か

上記4項目については、学年毎の集計として開示されています。

傾向としてQ1、Q2に関しては、1、2年生ではそれほど高くない授業や自主学習への取り組みに対し、3年生になると大部分の生徒が意識して積極的に取り組み始めるような結果となっています。

休日の自宅学習時間が4時間以上の生徒の割合は、1、2年生では30%未満であるのに対し、3年生では85%を超えています。

2年の秋までは塾にもいかず、家でもほとんど勉強する姿を見せなかったわが家の長男も、2年の秋口からは人が変わったように急に勉強に取り組み始めたことと近い状況でしょうか。

部活を引退するまでは、学校生活でのリアルな青春を第一に考えている生徒が多いのかもしれません。

Q3:学習と行事・部活との両立

 興味深いのは、文武両道を示すこの問いに対しても、3年生が最も高いという結果になっていることです。

部活を引退していよいよ受験生となった後も、日比谷高校の意地に込められた思いを体現するかのように、合唱祭や受験直前まで続くクラス演劇中心の星陵祭などに集中して取り組む姿勢がうかがえます。

1、2年生では部活や行事への意識が高かった生徒達が、受験という現実に対峙した際に、学校行事も受験勉強も疎かにしたくないという葛藤の中で、ある種の時間マネジメントを強く意識した結果が、アンケートに現れているのではないかと思います。

Q4:教養主義より大学受験対策か

 そしてこのあからさまな質問に対する回答も、ある意味面白い結果があります。

1、2年生は学年全体の意識として、授業に対して大学受験対策を求めないという結果が明確に現れます。そして3年生になって若干受験向けの対策を望む声が上がりますが、それでも少数派という程度です。

つまり授業は学び、授業時間外での学習活動を受験対策として区別しているのではないかという事です。授業以外の学習活動とはどのようなものでしょうか。これを推し量る前に、授業以外の学習の場として一般的な、通塾の現状を確認してみましょう。

平成29年度 塾に通っていない割合
  • 3年生:22%
  • 2年生:45%
  • 1年生:69%

夏期講座などの短期講習に参加する場合や、週1度2時間だけの利用者も通塾としてカウントされますから、上記の数字は全く塾を利用していない割合となります。

高学年になるにつれ、学習塾などを利用する生徒が増えるのはある意味自然だと思いますが、各学年の塾利用の割合が多いのか少ないのか、大学合格実績で上位に位置するような中高一貫校の状況と比較するとどのような状況なのでしょう。

少なくとも上記の通塾傾向は、やはり2年生の冬休みまで塾も通信教育も全く利用しなかったわが家の状況に近いといえます。

そして、塾を利用しない生徒の学習の穴を埋めるのが、夏季休暇中などに校内で開かれる教職員による無料の校内講習会です。

これは先の学校評価アンケート「Q12:日比谷高校の学習指導で評価できる項目」で生徒と保護者の支持が最も高かった「7.土曜講習や長期休業中の講習」という結果との相関関係がみて取れます。塾に通うよりも、校内で済ませようという意識が、おそらくは中高一貫校よりかなり高いように思います。

日比谷高校の学びの環境

 

 日比谷高校は、この10年で急激に大学合格実績を回復したこともあり、ともすると新興進学校に見られるような受験対策に特化した学習カリキュラムだと考えられることも多いかもしれません。

そこには、高校3年間で中高一貫校の先取り学習に現役で追いつくはずがないという先入観や、宿題やミニテストやガチガチの行動管理によって、上位中高一貫校に対抗できる受験マシーンのを量産しているイメージが伴うのかもしれません。

しかし実際には、これまでのアンケート結果が示すように、少なくとも学校に関わる学びの環境の中では、そうした受験監獄のような状況からはむしろほど遠い状況と言えるでしょう。

早期の理系文系クラス分離、受験に特化した集中カリキュラムを支持する生徒や保護者からすると、日比谷の学習環境は、受験で選択するはずもない理科や社会の授業を選択させられるという、ある意味受験妨害型カリキュラムとさえ言えるかもしれません。

日比谷高校の日々の学びの中では、生徒も教師も、そして保護者の方も、目先の大学入試でない何かを求めているのでしょう。

おそらくはその集合意識を集約する言葉としてあるのが、武内校長が常々口にする「グローバルリーダーの育成」であり、昨今の概念で言えば「シンギュラリティ時代のリーダーシップの養成」、つまり目先の大学実績よりもこれから迎えるAI時代に社会で活躍する人材の育成、それが外向けの美辞麗句に終わらない日比谷の学びの本質なのではないでしょうか。

2018年の東大入試の結果に対し、前年の合格者を大きく上回り、ランキング上位に入ったある一貫校教諭の言葉が印象的です。

授業などを通して、本質を理解して考え抜く力を育てています。そうした力を身に着けた生徒は、どんな問題が出ても対応できるものです。

出典:サンデー毎日2018.3.25増大号

数学が特に不利だと言われる公立高校にあって、この指摘こそが日比谷高校の進学実績の増加を端的に説明している。そう考えるのが自然な評価なのではないでしょうか。

ではまた次回。

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