日比谷高校フィルハーモニー歴史の響き

2022年3月12日更新:

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 都立学校群制度から半世紀が過ぎ、改めて東大合格でも注目を集める日比谷高校。

そんな賢い高校生にこそお勧めしたい部活の一つがオーケストラ部です。

入学式や卒業式での入退場の際に生演奏される『威風堂々』など、日比谷高校に入学する者にとって一度は耳にするハーモニーですが、首都圏の学校を見渡してみても、実は高校でオーケストラ部が存在する学校は、吹奏楽と比較して圧倒的に数が少ないです。

希少な高校生フィルハーモニー

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画像出典:スタディ高校受験HP

スタディ高校受験のホームページによると、その違いは以下の通りです。

  • 管弦楽部のある高校:  31校
  • 吹奏楽部のある高校:825校

私立か公立かに関わらず、管弦楽団を持つ学校は極端に数ないことが理解できます。中学や高校に管弦楽団があることは、入試偏差値や大学合格実績とは異なる学校の文化的素養や総合力を示す指標ではないかと感じます。

何しろオーケストラを新たに導入して定着させるのは、容易なことではありません。

中高一貫校で中学から楽器に取り組む場合はともかく、特に公立高校の場合、高校から新たに弦を始める生徒も多く時間も予算も限られた中で、弦楽集団を一定レベル以上に保ちながら、大ホールの舞台上で大勢の聴衆を前に弦を響かせるに至るのは、大学進学実績を短期間で向上させること以上になかなか困難な課題です。

そうした困難を乗り越え毎年一定の成果を出し続ける学校には、長い時間かけて築き上げた文化的な背景なり、生徒をサポートする内外の体制なりがしっかりと根付いているということが言えるのだと思います。

ですからもし仮に学校選びで迷い結論が出ないような場合には、オーケストラ部のある学校かどうか確認するのも指標の一つとして有効ではないかと思います。なぜならば、管弦楽を持つ学校の多くは、相対的に学力が高く、伝統校である傾向が全国的にも高いと思うからです。

音楽部合唱班とオーケストラ班

 日比谷高校のオーケストラ部の正式名称は、『音楽部オーケストラ班』です。

音楽部と呼ばれる組織の中で、合唱班とオーケストラ班が分かれる形となっています。何故このような馴染みの薄い組織構成になっているのでしょうか。この理由について、音楽部の歴史を紐解いてみましょう。

今年140周年の記念の年を迎える日比谷高校の歴史の中で、音楽部の発足に関する記述が登場するのは明治34年(1901年)のことです。

・・・明治33年4月再び唱歌科授業を起し1、2年級生徒に課した。ところが唱歌を課せられない3年以上の生徒中に多くの唱歌練習希望者があり、これは規定に制限があるため正科としてとり入れることが出来ないので、明治34年の五月雨の残る頃、学友会学芸部に音楽科を設け、3年以上の有志に唱歌の練習を行うこととした。

出典:日比谷高校百年史・上巻(以下同じ)

音楽部の前身である音楽科は、明治34年に歌唱の授業がない3年生の強い要望で始まったことが記述されています。音楽部の胎動を感じる瞬間です。

インターネットもスマホもカラオケもない時代ですから、音楽や文学、演劇といった学芸事は、自由恋愛もままならぬ当時の青年の想いやストレスを発散する貴重な娯楽だったに違いありません。青年期の自然な欲求から発生した活動といえるでしょう。

では、音楽部が産声を上げた際の様子を見てみましょう。

 明治36年3月楽友会規則の改正があり、音楽科は36年度より独立して音楽部となり、新たに楽器を購入し、指導者も新たに神田政雄先生を迎えて発展を図ることとなった。毎週土曜放課後が楽器練習日とされた。

学友会音楽部規則

  • 本部ニ教師一人ヲ置キ音楽ヲ練習ス、教師ハ会長之ヲ委託ス
  • 本部ノ稽古ハ放課後凡二時間トシ施行ノ都度随時之ヲ告示ス
  • 毎年一回大会ヲ開キ演奏ヲ行フコトアルヘシ

明治36年(1903年)が音楽部の正式発足といってよいでしょう。

合唱を軸に、現在のオーケストラ班の原型となる楽器演奏活動が同時に開始された年ですから、合唱もオケも、どちらにとっても創立の年ということになりそうです。

興味深いのは、部活の練習が放課後の2時間という、現在の部活動の活動方針の原型ともいえる考え方が既に生まれていることと、音楽部規則第3項(下線部)に、年に一度の定期演奏会の趣旨が明記されていることです。

 明治37年になると待望の音楽堂(音楽教室)が完成し、11月17日に音楽部第一回試業会が開催された。(後略)

 放課後会場は間もなく立錐の地なきまでに人を以て満たされ(中略)梁の塵も舞はんばかりとは偽りにて梁も見えで一点の塵もなきまでに清められたる堂は拍手の音に破裂せんばかりなりき。

記念すべき日比谷高校音楽部の第一回定期演奏会は、明治37年11月17日、当時は合唱と楽器のプログラムミックス発表でした。演奏会は新しい音楽堂と共に、生徒にも大歓迎大盛況の内に終了したようです。

この明治37年は西暦では1904年、2月に日露戦争が勃発した歴史に刻まれた年と重なります。新しい時代の日本人の青年が躍動する坂の上の雲の時代と時を同じくして、日比谷高校では音楽熱の隆盛を迎えたようです。

しかし活況に始まった音楽部も、時代背景からか、残念ながら6年後の明治43年(1910年)には活動が振わなくなったため、一旦活動中止となってしまいます。

ただ、この時代に音楽部が存在していた意義の大きさを、百年史は指摘しています。

そして大正元年(1912年)12月、童謡『どんぐりころころ』の作曲者であり、現在の日比谷高校合唱祭の特別優秀賞となる「梁田賞」が讃える音楽教師、梁田貞先生が着任します。そしてその後、再び熱心な音楽教育が行われることになったのです。

日比谷高校のオーケストラ部と合唱部は、日露戦争開戦の年に起源を求める百十余年の伝統を持つ部活動ということになります。

他校の部活の沿革は理解していませんが、日比谷高校は、日本の高校オーケストラ部の歴史の中でも最古参の一つと言えそうです。

日比谷と青山、異なる音の構成

 2018年度日比谷高校フィルハーモニー管弦楽団の定期公演は本当に素晴らしかったです。高校単独のオーケストラ部が望むべき、一つの高みが雲の隙間から垣間見えた気がしました。

そして同じく今年の5月には、定評のある都立青山高校オーケストラ部の定期演奏会にもお邪魔しました。こちらの演奏も力強く素晴らしい発表会でした。

今年は奇しくも同じ杉並公会堂大ホールでの演奏となりましたが、青山フィルの音には、日比谷高校よりもむしろ公立高校のオーケストラ部が目指すべき形があるように感じました。

どちらも素晴らしいには違いないのですが、求める音づくりや楽団の構成には大きな違いがあると気づくに至ったのです。 

青山フィルの力強さ

 青山フィルの定期公演は毎年学校内外に人気コンテンツです。3年生の音を軸に、生徒の自主運営を主眼に活動しているように思われます。

2018年度の演奏会が、私にとっての初めて経験した演奏であることを前置きとした主観的見解ですが、青フィルは、完成度の高い力強い管楽器の基礎の上に、弦楽器を載せているような印象に思いました。

これは高校単独校のオーケストラとしては非常に合理的な手法だと感じます。

中学から経験の高い吹奏楽をベースとして安定した旋律を作り、弦楽器を載せる。例えて言うならば、強固なコンクリートの1階部分と、柔らかい木造の2階部分から成る音づくりのイメージでしょうか。

これらはあくまで音楽素人個人の感想に過ぎませんが、非常にパワフルで自信に満ちた安定した演奏である一方、管楽と弦楽の音のバランスが、やや前者に寄っているのではないかという感じもしました。

しかし、高校からの生徒主体の単独管弦楽団ということを考えると、まったく素晴らしい演奏に違いありませんし、この構成や方法論は先に記載した通り、非常に有効な選択だと感じます。毎年安定した旋律を期待できるからです。

おそらくは、そういう手法を選択したというよりは、長い年月をかけてその様な成功方程式が導かれて落ち着いているのではないか、という気がします。

日比谷フィルの柔らかさ

 これに対し日比谷フィルは、高校から弦楽器を始める生徒も多い中で、大胆にも管弦楽団としての完成度を求めているように思われます。

そのために、サポーターとなる外部指導員を積極的に招いて技術を磨き、音を安定させるという手法をとっています。定期演奏会で指揮を執るのは、プロ指揮者です。

そしてプロが最低限妥協できる音になるまで、各分野で活躍する指導者の元に研鑽を重ね、音の向上を図るのでしょう。

こちらを例えて言うならば、硬さと柔らかさを兼ね備えた鉄骨造で建物全体を作るイメージでしょうか。本来のフィルハーモニーである全体の音の調和を重視しているように感じます。

ただしこの方法の場合、毎年の音づくりに苦労することになるでしょう。新入生の弦経験者の多少により、楽団の基礎技術に違いが出るからです。しかも2年生の音を中心に構成していますから、弦の響きに合わせて、管楽器の音を調整したり、サポートの大小を調整する必要があり、青フィルと比較して、年毎に期待できる音の安定性には欠けるように思います。

それでも2018年はなかなか見事に弦と管が響いており、サポーターの下支えはあるものの、高校生なりに非常にうまいと感じました。

近々、日比谷高校140年式典において卒業生や来賓方の前で演奏を披露することになりそうですが、今回の定演の力があれば、気後れすることなく堂々と奏でることができると思います。

もっと輝け、日比谷フィル

 そして定期演奏会が終了して感じる率直な意見としては、日比谷高校管弦楽団は有力なコンテンツであるにも関わらず、あまり内外に知られていなくて勿体ないということです。

オーケストラ部自身が、その存在自体の希少的価値や、先の歴史的な背景も含めた自らの立場の高い価値、暖簾の存在を理解していないのではないかという気がします。

星陵祭の3年生の演劇舞台にも匹敵する素晴らしい発表を、その存在さえ内外に知られずに自己完結する傾向があり惜しいと感じます。関係者やその周辺の方々だけでなく、もっと世間の多くの方に聴いてもらっていいのではないか、あるいは聴いてみたい方が潜在的に多くいるのではないかと、素直にそう思います。

特に楽器の大編成が必要となるオーケストラ部は、楽器移動の問題がありますし、全日本高等学校オーケストラ連盟なるものは存在しますが、合唱部が集うNHKコンクールのような優劣を競う大会などは存在しませんので、技術を向上させるための目標設定や外部にアピールする機会や果実が不足しがちでしょうから、自ら持つコンテンツの価値に気づかないことにも無理はないかもしれません。

現在合唱部はNコンで2年連続予選金賞、本戦銀賞の実力を発揮して、星陵祭でも人気が高いコンテンツとなっていますが、日比谷フィルも、もっと卒業生や在校生も含めた外部発信に力を入れてもよいのではないかと感じます。

日比谷高校の藝術面の充実

 2019年度の大学受験では、現3年生の芸大志望者は例年よりも多いようです。

昨年も東京藝大への進学者がありましたし、個人的には芸大を目指す生徒が増えるのは、日比谷にとっても歓迎すべき傾向ではないかと思います。

昨今は、全国的にも理数系中心の学校づくりに目が向きがちになる時代背景の中、学力の高い生徒が集う学校にあって、哲学的な側面や芸術的な側面を開花させる生徒が存在することは、日比谷高校のような教養主義を掲げる学校にとっては望ましいことではないかと思います。

そして馬鹿でかいオーケストラがしょっちゅう演奏会をやってたり、おかしな雑誌がボコボコ出たり、とにかくクラブ活動が滅多やたらとさかんで、生徒会活動の方もいつも超満員生徒総会を中心に猛烈に活發で、といったありさまで、(後略)

出典:赤頭巾ちゃん気をつけて/庄司薫 著

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学校群制度が導入される直前の1960年後半、高度経済成長を背景とした希望に満ちた時代背景の中での最後の狂想曲に踊る様子が描かれたこの直後、突然のシンバルの音が時代というホール全体を切り裂くように日比谷の時代は終焉を迎え、中学受験の時代がやってきます。

それでも脈々と受け継がれた音楽部の伝統を、学校創立140周年を迎える今、現代にあるべき活動の形で、合唱部と共にもっと世間に発信してみてはどうかと思ってしまう。 

人生も終盤戦に入った私のような者にとっては、来春の桜が咲く頃に星陵の丘にどのような初々しいタレントが集まり、秋にはどのような実りで大人の耳を驚かせてくれるのか、今から楽しみに違いないのですから。

音楽部合唱班とオーケストラ班。

今後改めての活躍が期待される、日比谷伝統の部活の一つです。

日比谷に限らず高校フィルの奏でる力強くもあり脆弱でもあるピュアな響きを、コンサートホールで一度体験してみてはいかがでしょうか。安定したプロ公演とは異なる、緊張感やライブ感が魅力の一つです。

高校フィルがある学校は、少し大人びて、少し知的な香りが響きます。

ではまた次回。