東大入学式は特別な知の祭典

2022年4月12日更新:

 コロナの影響により、2020年度は入学式そのものが中止、そして21年度は保護者の参加が認められない不自由な入学式が続く東京大学。

2022年度も保護者の参加なしで行われることが決定しています。

2019年、平成31年に行われたコロナ前最後の保護者参加式典であり、上野千鶴子女史の祝辞により一つの伝説となったの東大入学式に参加し、生の空気で感じた式典の様子をお届けします。

平成31年度東京大学入学式

平成31年度東京大学入学式 撮影:mommapapa

 平成最後の、そして令和最初の学生を迎える平成31年度東大入学式に出席しました。

正直、大学生の子の入学式に親が出席するのはどうかと思いましたが、妻に強く誘われて一緒に武道館を訪れました。

結果的に、仕事を休んでまで参加して非常に良かったです。

東京大学の入学式は、入学を祝う祝賀イベントというよりは、未来の社会を担う若者に対して現代社会が抱える矛盾や長期的課題を提起し、それらを解決し進むべき世界を導き実現する真のエリートとなるための最初の心構えを、新旧の知識人が共有しようとする試みであり、その過程を保護者が見守り承知する儀式なのだなと感じました。

東大総長から3つの提案

 総長の式辞がこれほど長いものであるとは知りませんでした。

30分近くもあったでしょうか。それでも歴代の総長式辞の中では長すぎるということはないようです。

五神総長が式辞の最後に新入生に送った以下の3つの提案は、東大生だけでなく、全国の中学生、高校生に対してもそのまま有効なメッセージとなるものだと感じました。

これから始まる学生生活を実り多きものにするために、私から皆さんにアドバイスを送るとすれば、大事なのは、「まず、踏み出すこと」です。

明日からでも踏み出せる一歩の例を、3つ伝えておきたいと思います。

 1.教師を活用する
友人や先輩と交流し、教授にも説教的に質問することです。特に先生方を大いに活用してください。学生時代の好奇心と情熱そのままに研究者となり、教員として学生と学問に真摯に向き合う先生方が集まっています。

学問のことで相談したいと思った時、世界の最先端で研究者として活躍している先生方が時間をいとわず議論に付き合ってくれるでしょう。そのことが皆さんの成長を促し、挑戦を勇気づけてくれるはずです。遠慮せずに、先生方の部屋の扉を叩いてください。

 2.図書館の活用

学問の世界は、皆さんの想像を遥かに超えた広がりを持っています。そのことを実感できるのが、図書館です。足を踏み入れ歩いて回り、背表紙を眺めているだけでも学術の広がりを感じることができるはずです。

図書館は、さまざまな学問の入り口になっています。ぜひ探検してみてください。

 3.国際感覚を鍛える

国際感覚を鍛えるための授業やプログラムに積極的に参加することです。

皆さんがこれから生きる時代においては、世界の様々な人々と関わり、その異質さを受け入れながら行動することが不可欠です。

総括 

これから始まる生活を楽しむためには、まずは心身の健康が大切です。どうか皆さんの人生が、充実したものとなるように、皆さんの健康と健闘を祈っています。

出典:平成31年度東大入学式・総長式辞抜粋

平易な言葉で構成された式辞の文面から、上記のように東京大学に関わる用語を省いてみると、すべての学生に向けたメッセージとなることができる内容です。

特に、高校生にとっては、大学受験のための準備はもちろんのこと、将来の学びの方向性を決めるために、教師のアドバイスや図書館を大いに利用すること。

大学入学後の学びの目標が明確だった長男の受験勉強を通じて感じたことは、大学で学ぶ目的を具体的にイメージしている受験生の方が、相対的に受験には強いのではなかろうかということです。

つまり、偏差値や世間の評価の高低、就職面での有利不利など、学びの本質とは異なる要素を軸にして選択した志望校を持つ受験生よりも、その大学のその学部を志望する学びの目的が明確な受験生の方が、受験の突破力が強いのではないかということです。

そのためにも、高校生活の最初の2年間を有効に使い、同級生や先輩後輩だけでなく、教師や図書館といった知の源泉を積極的に活用し、自らの志向や将来の目標を定めていくことは、確かに有効なことではないかと感じます。

多様性とグローバル化への対応は、好むと好まざるとに関わらず、この先日本社会が飲み込まれ用としている変化への対応です。それは高校生の視点でいえば、英語を勉強するということとは少し異なる、視野と価値観を広げ将来の選択肢を広げるという、学びの姿勢への準備なのだと思います。

東大ブランドとは何か?

 このように、東京大学の入学式は単純に入学を祝う式典ではなく、知の海に漕ぎ出す若者に対する学びの姿勢の転換を促すイニシエーション、通過儀礼なのだと感じます。

それは例えていうならば、SSHで迎えるノーベル賞受賞科学者の講演会のような、公演の内容そのものに価値のあるイベントです。

総長、教育学部長の式辞、および来賓の祝辞。そのどれもが長く、そして中身がある。

この平成最後の東大入学式に立ち会えたのは、後年振り返ってみても特に意味のあることだったと思う気がします。

他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。

「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。

なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。

出典:平成31年度東大入学式・来賓祝辞抜粋

上野千鶴子女史の問題提起です。

どこの大学か聞かれて東大の名を伏せるのは、女子東大生だけではないでしょう。

私自身も長男の学校を聞かれたら、理由は違えども全く同じような意識になります。

「息子さんどちらの大学に行かれますか?」

「あ、はい、国立大学に入りました」

そして敢えて大学名を聞かれたら、初めて東京大学と答えます。

早稲田や慶應、他の旧帝大や医学部であれば、初めから誇らしげに大学名を答えると思うのですが、東京大学という名前は伏せてしまいます。これはどうしたことでしょう?

その理由は、相手の反応が異常に過敏だからです。あるいは答える側がそのように過敏になっているだけなのかもしれません。

一族の誉れ。

田舎にある妻の実家の周囲では、今時なんだかおかしいですが、実際に親族がそのような言葉で反応しているようです。 

第二は、東京大学が創りあげてきた信用です。

出会ったどの方も、東大の学生ということで、最初からきちんと話を聞いてくれた、それが大変ありがたかった、と振り返っています。東京大学の学生となった皆さんもこれから様々な場面で、そうした親切を経験されると思います。これは私達、東京大学のメンバーのとても大きな共有財産であり、大いに活用すべきです。

しかし、東京大学という「銘柄」に甘えたり、よりかかったりするようではいけません。身を引き締め、自分自身の決意を新たにする機会だと受け止めてください。なぜなら、それはこれまでの数多くの先輩たちが、真摯に学問に取り組み、自らの力を高めることで創りあげてきた「信用」だからです。

そして、この「信用」という東大の資源をさらに豊かなものにして、それを後輩に引き継いでいく大きな責任を負うことになったということを忘れてはなりません。

出典:平成31年度東大入学式・総長式辞抜粋

平成・令和を遡る先の新しい時代、文明開化の靴音が鳴る明治から続く社会の様々な評価や経験が示すそうした周囲の反応が、SNSの発達した過度なバッシング社会の現在にあっても尚、引き続き力強いブランド、つまり社会的信用として確立している。

東京大学の入学式に出席して、保護者の一人としてリアルに感じたものは、東大は圧倒的な知の源泉であり、圧倒的に特別な存在なのだという実感です。

テレビ放映やネットの記事を参照すれば、東大入学式が特別なイベントであることが容易に理解できるでしょう。

それは母親だけでなく、父親の参加が驚くほど高い状況からも肌で感じることです。中高の入学式には参加しなかった父親も、会社を休んで出席しているのでしょう。

そして実際に参加した者から見れば、それはイベントという意味以上に現代の知的活動にリアルタイムで触れることができる熱い学びのライブ空間なのだと感じます。

皆さんは「テストの点数」という一次元のものさしで測られる世界から解放されました。

これからは、多次元な価値が支える学問の世界の広がりの中をより自由に歩んでいくのです。自分が見てきた価値が何であり、見てこなかった価値が何なのか。これまで関わったことがないようなタイプの人たちとの出会いを楽しみながら、ここで良く考えてみてください。

出典:平成31年度東大入学式・総長式辞抜粋

この言葉は、わが家の長男がずっと求めていた本当の学問への入り口であり、これから続く研究世界への期待と希望なのだと思います。

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。

出典:平成31年度東大入学式・来賓祝辞抜粋

個人的には現代は、「区別」が「差別」として排斥される傾向の強い社会になりつつあると感じるのですが、それはここでは触れません。

東京大学へ入学すること、それは排他的で選民的な意識とは異なる意味での、本当に特別なことなのだと感じます。

現在でも難関大学合格の指標とされる国立大学の一つを卒業した私自身も、東京大学の入学式に参加したその瞬間、その特別な意味の大きさが理解できる圧倒的な知の空間であることを実感しました。

なんだかんだ周囲が騒いでも、やはり東京大学は、今でもなお挑戦すべき価値のある圧倒的な学問の場なのだと思います。

私自身も、現代の「三四郎」の世界を垣間見ることを、楽しみたいと思います。そしてこれから東大を志す受験生に対しては、自らの学ぶ意思を確かめるために、平成31年度入学式で語られた3人の言葉を、一度自分の目で追ってみることを強くお勧めします。

ではまた次回。

平成31年度東大入学式・総長式辞全文

平成31年度東大入学式・来賓祝辞全文

平成31年度東大入学式・教養学部長式辞全文