女系天皇とダヴィンチコード

ウィトルウィウス的人体図

ウィトルウィウス的人体図

 昨今、秋篠宮家のお家騒動と並んで大衆議論が目立つようになってきたのが、女性天皇と女系天皇の話題です。

個人的には「女性天皇はあってよい」、「女系天皇はない方がよい」という立場です。

理由は、女系天皇を認めた場合、天皇制そのものの意味が薄れると同時に天皇制が長くは維持できず、その結果、将来的に日本という国の枠組が消滅する、あるいは日本という国家が存在した場合でも、母語としての日本語を放棄する可能性が少なからずあると考えるからです。

ではなぜ「女系天皇」を容認すると天皇制が崩壊するのか。

その答えは、人類の経験則として『ダヴィンチコード』に書かれています。

今回は、女系天皇の賛否の在り方について考えてみたいと思います。

 

天皇制は日本語と国体の砦

 先ず天皇制については「あった方がよい」という立場です。

その理由は、多くの天皇制支持者とは異なる見解かもしれませんが、私的にはともかく世界には活きた言語としての『日本語』が必要だと考えていることが根源にあります。

その上で、日本語が生きた言語として存続するためには、天皇制は欠かせない仕組みだと考えるからです。

仮に天皇制が消失した場合、これは個人的な感覚ですが、おそらくはそれほど遠くはない将来、日本は積極的であれ消極的であれ、日本語を捨ててしまう状況に陥るのではないかと感じています。

そしてその場合、仮に日本という国家が引続き世界地図の中に存続していたとしても、「日本」という精神的な在り方は失われてしまうでしょう。

政治的な用語でいえば、国体の崩壊という状況が発生し、日本語はかつて存在した言語となり、その結果、日本人という民族それ自体がシュメールやその他の失われた民族と同じように歴史の中に消えていくのだと思います。

日本語の存続という立場に立った時、天皇制は母語としての日本語という本丸を外圧から守る外堀のようなものだと感じます。つまり、天皇制が存在しない日本という国は、外堀が埋められてしまった大阪城と同じように、もはや内と外を区別するための基準も独自性も持たないアイデンティティなき国家になってしまうのではないか。

そしてそのとき日本語は、非効率的な言語として捨てられてしまうのではないか。

そうした立場で天皇制を眺めてみると、現在の「男系天皇」という考え方は日本の在り方を継続するために必要な制度であり、一方の「女系天皇」という制度の導入は、ある意味自ら外堀を埋める行為に等しいのではないかと感じてしまうのです。

 

「女系」天皇と天皇制の瓦解

 仮に私自身が天皇制否定論者だとした場合、あるいは日本民族や日本という国家を地球上から消し去りたいと考る立場であった場合、戦争やテロをはじめとする大量破壊兵器のような手段を用いることが現実的でない現代社会の中にあって、日本を消滅させるために最も効果が高い方法が天皇制を廃止させることだと考えるでしょう。

理由は先に述べた通り、天皇制がなくなれば、日本という文化的精神的な拠り所が瓦解し、日本という枠組みそのものがやがて消滅していくことになると考えるからです。

そして天皇制を廃止に追い込むための平和的手段として、現在最も効果的で実現可能性の高い方法が、「女系」天皇を法的に認めることではないかと考えます。

仮に女系天皇が誕生した場合、具体的には、例えば現在皇族関連問題の筆頭の一つに挙げられる眞子様の結婚問題に関し、仮に民間人のK氏が眞子さまと結婚して女性宮家を創出し、更にその結果生まれた子が皇族唯一の嫡子となった場合、神武天皇以来2,600年以上続くとされる天皇家の血筋は途絶え、それに代わって日本にはK王朝が新たに誕生するという、民族の歴史的かつ精神的困難に直面することになります。

その場合、おそらくは多くの国民の心の中に、前例のない大きな喪失感と、それ以降の皇族に対する大いなる疑義が生じるのではないでしょうか。

イギリスでは、エリザベス女王をはじめとする女系嫡子(嫡女)が既に歴史の中で受け入れられてきたという背景がある一方、万世一系を強調し拠り所とする日本の皇室の場合には、嫡女を受け入れた後の血統の正当性を主張するには相当大きな困難が伴うと共に、国民の中に恒常的に芽生える疑念が天皇制の存続に対してネガティブな影響を及ぼすように思います。

その結果、多くの国民の心が天皇から離れると同時に、天皇制にはもはや意味がないと潜在的に考える国民が増え、やがて天皇制そのものに対して否定的な論調が高まるでしょう。

少なくとも私が天皇制否定論者であるならば、まずは男女平等や多様性を求める時代背景を盾にして、表面上皇族の消失を憂う立場の者として女系天皇制の容認を高らかに謳い、実際に女系天皇が誕生した暁には、今度は一転して天皇制には守るべき意味がないとのプロパガンダを押し出して騒ぎ立てるという戦略を取るだろうと思います。

あるいは女性嫡子の配偶者として、意図した勢力が天皇の血統に納まった場合には、あらゆる手段を用いてその新たな王朝を存続させようと試みるでしょう。

現在は、図らずもそのようなことが実際に起こる可能性を否定できない現実が積み重なった環境にあり、上記のような妄想でさえも簡単には笑い飛ばすことができない状況にあるように思います。

 

種の保存とダヴィンチコード

 種や民族の遺伝子情報の保存に関し、遺伝学的な根拠があるにしろないにしろ、人類の歴史の中では過去の事実において嫡男を種の正統後継者として認めるということが、長らく自然発生的に行われてきました。

そしてそのために、正室の他にも側室という存在を確保し、男系嫡子を絶やさずに存続させるという考え方が多くの王朝や権力者の間に生じます。

物語「ダヴィンチコード」からは、その意味を明確に確認することができます。

この先はネタバレになるので恐縮ですが、このフィクションを天皇制という視点で要約すれば、以下のような物語であると言えるのではないでしょうか。

「ダヴィンチコードとは、かつて人として地球上に存在したキリストの血筋を絶やさず後世に残すため、秘密裏に創設されたキリストの正統嫡男をリーダーとする秘密結社とその反対勢力の抗争を描いた物語である。」

物語のヒロインであるソフィーは、キリストの血を引く女性非嫡子であり、おそらくは一人の女性として幸福な人生を送ることができるよう、出生の意味や結社の存在とは隔離されて育てられることとなったのだと思います。

一方で結社の内部では、キリストの遺伝子を絶やさないための方法として、正統嫡男と複数の女性メンバーの性交が儀式として執り行われ、おそらくは誕生した男子の内で最も優秀とみなされた子供が次の正統リーダーとして選出されるという仕組みが、2,000年以上に亘り行われてきたのだということです。

この物語は、男系嫡子の意味とそれを維持する覚悟について、図らずも現代の日本に向けて語りかけているのだと感じます。

 

女系天皇誕生に向けた詰め

 繰り返しになりますが、私自身は「女性」天皇はあってよいと考えています。その一方で、「女系」天皇はない方がよいという立場です。

その理由は既に記載した通り、

  • 女系天皇が誕生した場合、それ以降の天皇家に対する国民の精神的な支えが脆弱なものとなり、やがては天皇制そのものの瓦解につながること
  • その結果日本的な国体の意義が失われ、やがては日本語そのものが母語として消滅する恐れがあること

と考えるからです。

現代をこうした視点で眺めてみると、現在は女系天皇誕生に対して明らかな追い風と環境が整っているのではないかと思うのです。それはまるで、天皇制を快く思わない者による陰謀に思えるほど、でき過ぎた状況ではないかと疑うほどです。

妄想的陰謀論に立った場合、平成から令和の時代に向けて生じた次のような社会的事件や状況は、女系天皇制の容認に向けた長期的な戦略に基づく社会的価値観の醸成のように感じることがあります。

  • 眞子様を取り巻くK氏の登場
  • 眞子様の結婚問題に端を発する秋篠宮家バッシング
  • 悠仁さま発達障害説や性格難報道による、次期天皇不適格気運の創出
  • 愛子さまの東大レベル頭脳優秀説の流布による、女性天皇誕生気運の創出
  • 悠仁さま刃物事件の発生

特にネット上の報道や情報では、女系天皇容認という直接的な発信以上に、悠仁さま下げ愛子さま上げの間接的なプロパガンダが目立つように感じます。

その他の社会的事件やトピックとして、

  • 東京医科大入試における女子受験生への差別的対応や、東大上野祝辞で広く再認識される男女不平等への批判意識の高まり
  • 外国人労働者受け入れに伴う、社会ルールの変化と多様性への門戸開放圧力

なども、妄想的観点からみれば女系天皇容認への社会的空気の醸成の一つではないかと感じてしまいますし、竹田恒和JOC会長の辞任劇についても、男系天皇制度維持を阻む旧宮家封じとさえ捉えてしまいます。

そして何よりも、次期男系天皇候補が悠仁さまただ一人であるという事実は、歴史が動く極め付けの状況であると言わざるを得ません。

 

絶対ルールが天皇制存続のカギ

 このように多様性や男女平等に関する世の中の動きを俯瞰してみると、現代の天皇制の堅牢さを担保している理由の一つは、嫡子の決定に対して恣意的な意図が介入せず、絶対的なルールに基づき厳密に嫡子が決定されるということにあるように思います。

女系天皇が容認された場合、この文章を読む男性の方にも、その他外国勢力の方にも、天皇の父親としての地位に座すことが可能になるのだと思います。

その点に、引き続き天皇制の意味を見出すのであれば女系天皇制もよいでしょう。

ただしその場合には、ダヴィンチコードという物語に描かれた秘密結社は、それがたとえフィクションだとしても、意味のない価観感を守るために、法律や社会のモラルや伝統や世間の常識に反しながら、多くの血の犠牲と引き換えに時代を超え、2,000年以上も存在してきたことになり、物語自体の背景が成立しないこととなります。

個人的にはこれまで書いた理由により、女系天皇を容認する前に、男系天皇嫡子の解釈の幅を広げることを優先した方がよいのではないかと感じます。

理由は繰り返すまでもなく、女系天皇の誕生により天皇制そのものに対する意義が否定される可能性が少なからずあると考えるからです。

女性天皇と女系天皇の問題について、今どう考えるべきなのか。

この設問への回答は、日本的なるものや日本語の未来を大きく左右するものであることは間違いありません。

君自身も今一度、この歴史的命題について真剣に考えてみてはいかがでしょうか。

ではまた次回。 

 

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