いざ、伝統の第129回 勝山臨海合宿~日本泳法の伝承

2019年7月6日更新:

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 日比谷高校夏の伝統行事、勝山臨海合宿について、わが家の長男が参加した合宿の様子を基に、高校では珍しいこの日本伝統泳法を学ぶ、謎に包まれた合宿についてお伝えします。

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 愚息の参加した2016年の勝山臨海合宿には、男女合わせて100名程の生徒の申込みがありました。その内20名程は女子の参加です。

今回第129回ということは、129年間続いている行事ということなのでしょうか?

実はその通りです。第1回は明治24年です

もしかして、大先輩の夏目漱石も、初期の頃に参加したのではないかと思って調べてみましたが、漱石が日比谷高校に入学したのは明治12年、前身となる旧制東京府立第一中学校でしたので、残念ながら参加はしていないようです。

でも、このような行事が脈々と受け継がれているのはうれしいですね。単なる進学校ではない所以です。

この勝山臨海合宿は、日比谷高校に入学すべき、大いなる価値の一つだと思います

ところで、臨海合宿では何を行うのでしょうか?実は、古式泳法を習得するのです。古式泳法とは聞きなれない言葉ですね。

でも、あのオリンピックの水泳競技団体である、公益財団法人 日本水泳連盟も、競泳やシンクロナイズドスイミングと並んで認める由緒ある競技です。

というよりも、クロールが国際標準となるまでは、日本の水泳競技団はずっと古式泳法で世界と渡り合い、優秀な成績を収めてきたのだそうです。シンクロの基本動作にも、この泳法からの技術が多々あるようです。また、現在も毎年各種の協議会などが行われているようですので、興味がある方は同連盟ホームページの競技欄をご覧ください。

日比谷高校は、400年前に起源を発する古式泳法神伝流の伝承校ですが、都立高校で古式泳法を継承しているのは現在日比谷だけ。少し残念です。 

伝統を現代に継承する一水会

 そして当時のまま、合宿では、褌(ふんどし)です! ...男子のみですが。

ふんどしも、2m程のさらしを持参して自ら巻くのです。昔ながらの雄姿で沖に出る。そして初日は泳力の検査です。とりあえず40分間、沖に出て今ある技術で泳ぐのです。泳げば四級、基本ライン。全く泳げない人もいて、五級乙です。

しかし、4泊5日の最終日には、泳げなかった仲間も含めて、皆で遥か沖合に出て岬を回り、隣町の海岸まで隊伍を組んで遠泳を行うのです。3Km程の海路です。

2016年は潮に逆らうこととなったため、例年より長い2時間超の遠泳となったようですが、プールで何キロ泳ぐより、海の波間で身を処する術を学ぶというのは、確かな生きる力です。

集合写真を見ると、全員やりきった自信に満ち溢れた、日頃のスマホ世代とは異なる、威風堂々とした空気が伝わってくるではありませんか。

2016年 勝山臨海合宿記念写真

2016年 勝山臨海合宿記念写真

さて、合宿中指導に当たるのは、日比谷高校一水会の先輩方です。

この臨海学校参加者の親睦団体で、府立一中水泳部で一水だそうです。現役大学生の師範を筆頭に、老若男女のOB・OGです。学業や仕事の合間を縫って参加してくださいます。

宿泊は、日比谷高校父兄会と同窓会でつくる星陵会が自主運営する勝山寮。この伝統を見守るために、常に寮を維持管理しているわけです。

そんな母校愛に見守られた伝統行事ですが、この合宿も順風満帆とはいかない時代もあったようです。

臨海合宿に見る日比谷高校の盛衰

 明治から昭和の初期にかけては、概ね100~150人程度が参加していましたが、昭和12年の220人、13年の330人参加を最後に記録が途絶えます。そうです太平洋戦争の勃発です。

それでも昭和18年までは何とか続けていたようですが、昭和19年、20年は行われなかったようです。終戦です。

そして戦後直ぐの昭和21年から徐々に盛り返し、復興期と重なるように、昭和31年から41年までは概ね200~300人超が参加するまでに復活したのです。

ところが、昭和42年に突然前年の約半数となる150人を切って以来、参加者が急減してしまいます。

その後はずっと30~60人前後で推移し、つい最近のことですが、平成21年には何があったのか、30人を割っているのです。そして東日本大震災を乗り越えて、またこの数年で100人規模まで急激に増えている。

生徒の自主的な参加が基本ですから、時代背景や生徒のモチベーションで大きく揺れ動くのです。

これは想像ですが、いわゆる学校群制度が導入された時期と参加者が激減した時期が見事に一致するので、個人的には確実にその影響だと思います。昭和42年です。そして東大合格者やその他難関大学合格実績の伸びとも相関関係があるでしょう。

おそらくは、勝山合宿の参加低迷と、大学進学実績の低迷は根が同じです

その時代、日比谷高校といっても一般的な都立の高校で、学校への愛着もそれほど強くなかったのではないでしょうか。いやむしろそれは、教職員の士気の低下の反映だったのかもしれません。そして現在はまた、学校に対する誇りや気概が復活してきたようです。進学実績が驚異的に伸びる所以です。

こうして伝統行事の成行きを少し覗くだけでも、その時代の様子や学校の盛衰を伺うことができて興味深いです。

日本泳法神伝流と坂の上の雲の時代

 ところで日比谷高校以外にも、古式泳法を継承する学校は僅かですが残っています。

筑波大学附属(水府流太田派)、開成(同じく太田派)、慶應義塾(水府流)、学習院(小堀流)です。どこも皆、伝統名門校です。

せっかく受験して入る学校ですから、進学実績だけではない伝統の重みが残る学び舎を選ぶのは、人格形成期における一つの意味だと思います。

ただし、高校入学組で古式泳法を体験できるのは日比谷高校だけのようです

筑附も開成も、学習院や慶応も小中学生の行事。高入組は、新入生という立場ではないのでしょう。女子にとっては特に貴重な機会です。

 

神伝流は、伊予大洲に本を発する日本泳法で、松山を少年期の舞台とする、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場します。司馬ファンであれば要チェックです。

お囲い池の先生と世間で呼ばれている旧藩時代からの藩の水練神伝流師範正岡久次郎老人がそれであった。老人はいつも袴をつけ、夏羽織を着、扇子を膝に立て...

そういえば、NHKドラマ「坂の上の雲」にも、水練場のシーンが登場しました。
このお囲い池の場面では、真之は神伝流で泳いでいるそうです。

松山といえば、秋山真之と正岡子規は共立学校(現開成)、夏目漱石は府立一中(現日比谷)で、みな東京大学予備門(現東京大学)の同級生です。他に南方熊楠も同級だとか。何とも濃い時代です。

そんな明治の風を現代に感じながら学生生活を過ごすことができるというのは、本当に稀有な体験です日比谷に限らず伝統名門校の特権です。

国会議事堂を望む教室で授業を受け、与党本部を横目にグランドを走ったりと、東京府第一中学校としての創立以来、日比谷高校は歴史も存在も、ある意味特別な学校の一つではないでしょうか。


さて今回は、夏恒例の伝統行事を垣間見ながら、長い歴史を少し紐解いてみました。

この臨海合宿は、行内行事のためか公開情報が多くありません。ただ最近では武内校長の著書やメディアなどでも登場することが度々あり、その正体をうかがい知る機会も増えてきました。

大先輩方から受け継いだ伝統を愚直に守るというのも、なかなかよいではないですか。憧れの日比谷高校に入学した夏には、君も是非この伝統を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

もちろん、こうした集団生活が苦手な君は、参加しなければいいだけです。並行して夏山キャンプも実施されていますし、自主的な判断を旨とする学校ですから。

ただ、絶対参加しないと言っていたどこかの輩は、戻って来るなり、絶対来年も参加すると申しておりましたが。

ではまた次回。

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