東京都知事選も決着がつきましたね。保護者の皆さん、投票に行きましたか?
このブログは政治的な主義主張を述べる事が目的ではないので、誰を支持するとか、選挙の結果についてどう思うかなどについては記述の対象ではないのですが、それでも今回の選挙は、都立高校に子供を持つ親としては考えることが大きい選挙でしたので、その点についてお話ししたいと思います。
都知事選ですが、選挙の結果というのは、都立高校、特に進学指導重点校に現在およびこれから入学する生徒や保護者にとっては、とんでもなく大きな影響が出る可能性があります。
過去の事例で見ると、前回臨海学校の文章で触れましたが、いわゆる「日比谷潰し」と俗に呼ばれる、昭和42年から実施された学校群制度の導入です。もちろん、教育委員会や都議会等との複合的要素にはなりますが、首長である都知事の意向は都の教育制度にとっての最大要素の一つに違いありません。
ちょうど現高校生の親世代が生まれた時代、この都の教育改革の結果、当時東京大学など大学進学の主役であった日比谷高校をはじめとする都立高校の教育環境や進学実績に壊滅的な影響を与えた歴史的事実は、都立トップ校を目指す受験生や保護者の方は特に関心の高い懸念材料の一つにお考えのことと思います。
例として、制度導入直前期の中でも特に顕著な1964年の東京大学合格者数を起点に、学校群制度導入前後の状況を見たいと思います。
東京大学合格実績
1964(昭和39) 1967(昭和42) 1970(昭和45)
- 日比谷 193人 日比谷 134人 灘 151人
- 西 156人 西 120人 筑駒 137人
- 戸山 110人 灘 112人 筑附 103人
- 新宿 96人 戸山 104人 西 100人
- 筑附 88人 筑附 84人 日比谷 99人
- 小石川 79人 筑駒 78人 開成 86人
- 麻布 78人 新宿 77人 戸山 80人
- 両国 63人 麻布 75人 麻布 80人
- 灘 56人 旭丘(愛知) 71人 湘南(神奈川) 61人
- 筑駒 52人 湘南(神奈川) 67人 ラ・サール(鹿児島) 59人
学校群制度導入までの永い歴史は、都立高校が圧倒的なパワーを発揮した時代でした。
ちょうど現在の私立一貫校と都立の立場を逆から眺めているようで面白いです。
都立高校が東大合格トップ10から姿を消すのは1975年(昭和50年)。一気に進学実績の崩壊に繋がったわけです。
自分で入りたい学校を選択できない制度ですから、教育費が捻出できる家庭が都立から逃げ出すのは当然です。そして東京では中学受験が標準的な進路選択となりました。
学校は進学実績以上に、同級生や教師等の人間関係を中心とする周辺環境が特に重要ですから、教育環境やモチベーションの高まる国私立高校に向けて、教育に関心の高い家庭からの優秀な生徒が集まった結果、中高一貫校の進学実績も自然と高まり更に優秀な生徒が集まる好循環が生まれ、逆に都立の教育環境や進学実績は下がる一方の悪循環に陥るのは自然な流れです。
生活費にゆとりがない等の理由により、止むを得ず都立を選択する優秀層や、高い意欲や志を持った当時の都立教職員にとっては、不遇の時代が訪れたことは想像に難くありません。
同時にこの学校群制度によって、国立高校がスターダムを駆け上がる基盤を造るなど、新旧都立トップ校をはじめ、現在に繋がる都立の再編も静かに進みました。
都立高校から見る都知事選の意味
当時の教育改革の背景には、一般に言われるような都立への進学希望者の集中による受験戦争の激化だけでなく、社会情勢もあったように思います。
1969年(昭和44年)は、大学紛争のために東京大学の入学試験が中止になった時代。
為政者の頭には、思想解体による大学予備生の軟弱化の意図などもあったのかもしれません。
逆に2000年代の都立教育改革も、首長である都知事の強力なリーダーシップを起点として始まりました。現在も継続する都立回帰の流れができたわけです。
この改革は、1970年代から脈々と続く中学入試バブルに沸いた塾や私立学校の関係者にとっては、若年人口の減少と並んで実に頭の痛い現実、今そこにある危機に違いありません。
学校や塾の運営方針が組織の存続に直結するような、経営者としての手腕が試される時代に入ったのです。
短絡的見地からすると、東京の私立進学校にとっては長らく継続した春の時代に終止符を打つ、望まれざる社会的変革です。特に先の東大合格実績トップ10に名前が挙がっていないような新興の私立進学校にとっては危機的状況です。
そういう意味では、都知事をはじめとする政治力によって都立回帰の流れを止めようと考えるのは、繰り返しですが、安易で短絡的見地から行動する経営者にとっては、容易に発想される行動の一つになります。
保護者としては、その点が気にかかるわけですから、今回の都知事選に対しても、最大の関心の一つが、候補者の都の教育制度に対する政策方針であったのです。
尚、補足ですが、東京で生まれ育った方にはピンとこないかも分かりませんが、現在でも地方都市では、公立高校は1960年代までの都立と同じ状況が多くあります。
言葉は悪いですが、進学という観点で見れば、一部地域の名門私立を除けば、私立高校は公立高校のすべり止め的な位置づけなのです。
つまり一般市民にとっては、教育環境の整備を重要な行政サービスとして公に求めるのは、日本においてはごく自然な流れであるわけですし、公立学校の充実は国力の源泉を担う重要な基本政策であるはずです。それが一つの政策の導入により、コインのようにドラスティックに表裏変化するわけです。
蛇足ですが、先の実績からは、学校群制度導入の前から変わらぬ私立名門校の姿も見て取れますね。素晴らしい教育環境と経営努力ではないでしょうか。
選択根拠に乏しい?今回の都知事選
さて今回の知事選挙は、待機児童対策という教育福祉制度が焦点の一つではありましたが、中高等教育に対するメッセージは見えませんでした。このため、誰を選択するか、他の論点を探ることになったのです。
大手マスメディアは、主要3候補に対しては、特に主だった政策の違いはない、という報道姿勢である印象を受けました。
論点が公費の使途の適正化とか、オリンピックの開催費用や利権だとか、世界最大都市の首長選挙としては、あまりにゴシップ誌的な話題が先に立って、知名度や人気投票的な要素が大きいような報道ぶりを感じました。
都知事の行動規定や出張規定は把握していませんが、合法的であることを前提にすれば、「必要であれば」ファーストクラスを利用することも、公用車を利用することも別に問題視するほどの事ではないと思います。
必要か否かの議論や適正判断はもちろんあってしかるべきですが、結果「必要であれば」、別の言い方をすれば、都民や都政、更には国政、地方自治にとってより望むべき結果を生むための手段として必要であるならば、与えられた権限を積極的に利用してもいいわけです。
都知事には、コンディションを常に整えて、集中すべき課題が山とあるはずです。(きっと)
そういうわけで、選挙で有効票を投じることは決めていましたが、明確なポリシーもなく漠然と支持候補を頭に描いていたのです。そうです、投票前日の夜までは。
マスコミにとっての不都合な真実とは?
投票を翌日に控えた夜の事、どの候補に投票するか最後の確認をするためにネットに情報を求めていたとこのことです。
ある政策に対して、主要3候補が明確に異なる主張を唱えている事を発見しました。
しかもそれは、都政というよりは、憲法改正にも匹敵するような国政にとっても重要な政策的主張だったのです。
その政策論点とは何か?
外国人参政権です。
主要3候補に対して、選挙結果の得票数の多い順にその主張を並べてみますと、
- 小池氏 明確に反対 2,912,628票
- 増田氏 基本的に賛成 1,793,453票
- 鳥越氏 明確に賛成 1,346,103票
ご存知でしたか?
公費の適正化とか、オリンピックの在り方だとか、外国人学校への土地の提供だとか、そんなことはこの論点と比較すれば些末な問題ではありませんか。
小笠原諸島をはじめ、島嶼部を含む国境近辺の小人口行政区域を多数所管すると共に、地方行政や国政にも多大な影響を与える東京の首長選挙にとって、この政策論点は正に大きく取り上げるべき論点の一つではありませんか。外国人参政権は、右とか左とか、排外とかいう論点とは異なるテーマだと、海外駐在経験を持つ者としては考えます。
この権利に反対する某与党政党が、賛成候補を擁立する意味はよく理解できませんが、今回の都知事選の関心は、行政改革以上に、この点に注目されてもよいはずです。
個人的にはこの点により、最終的な支持候補を判断しました。
教育政策は二の次です。
この論点がどうあるべきかというコメントは控えますが、後に残った疑問は、なぜこのように重要で、それぞれの候補者が明確に異なる立場を表明している論点を、マスコミが大きく取り上げないのか、という事実です。
有権者のミスリードに結びつくではありませんか。
マスコミのこの報道姿勢は意図したものだと思います。なんだか怖いですね。
でも、意図したような結果は得られなかったようですね。
これ以上詳しくは書きませんが、このサイトも含めて何が正しい情報なのか、また自分にとって正しいとはどういうことなのか、信じるべき情報を見極めるのはとても難しいことです。
信じますか信じませんかはあなた次第です。
ではまた次回。
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