中高一貫進学校のガラパゴス化とグレートウォール

2019年6月18日追記:

画像出典:梶裕貴@staffさんのツイッター

 トランプ大統領誕生からはや3年。

その選挙は、東京五輪や築地移転問題同様、ほとんど週刊誌ネタ的な扱いといった印象が強く残りました。

特に大きな論争の一つとなったのが、メキシコとの国境に壁を築くことに象徴される移民問題。激しい人種差別の問題に発展しました。しかしこの移民問題は、視点を変えると、実は東京で高校受験に臨む中学生が受けることになる状況と非常に近いものがあることに気づきます。

それはいったいどんなことでしょうか?考えてみましょう。

中高一貫校、高校入学組は移民か?

 昨今の高校受験組にとって、志望校や併願校を選択するのはなかなか悩みの多い問題です。都立高校を除くと、従来高校入学者を受け入れてきた進学校が、この二十年近くの間にどんどん減っている現状があるのです。

実際に令和の時代に入ってからも、5月に男子校の本郷高校が、そして6月には女子高の豊島岡女子が高校募集の停止を発表しました。

私立のこの流れは、都立高校改革によって高校受験の学力上位層が都立高校に回帰した結果、優秀な生徒が集まらなくなったことが主な原因であり、中学に入学する早い段階から生徒を囲い込む方針に転換したと一般的には考えられているようです。

中学組と高校入学組の二重対応を行う必要もありませんから、学校運営上も効率がいいのでしょう。

でも、もしこの点が本当に高校募集停止の主な原因だとしたら、こうした進学校は教育や子供たちのことをどう捉えているのでしょう?

自校の求める大学受験合格実績を実現してくれる生徒は歓迎しこそすれ、そうではない生徒は学校のブランド価値を棄損し、学校運営の足を引っ張る厄介な存在と考えているのでしょうか?

もしそうであるならば、国力を高めてくれる知能や専門性の高いホワイトカラー人材は出生に係らず喜んで受け入れますよ。一般労働に従事する外から来たブルーカラーの皆さんは壁を作って追い出しますよ。

まさにこの発想と根が同じではないでしょうか?

高校入学組が中高一貫校入学後に感じる潜在的な違和感や疎外感。もしそれが実際にあるとすれば、それは特にここ数年世界中で問題が顕在化している、国境に押し寄せる難民や移民が受ける感情と同じ種類のものではないでしょうか。

そしてそれを迎える学校側の意識は、招かざる移民の流入を排除するという政策的動機に近いものなのでしょうか。

 

ガラパゴス化する中高一貫校の矛盾

 昨今高校入試を中止する中高一貫校も、当たり前のことながら、元来は高校入学組を受け入れることに対して積極的な理由があったはずです。

それが、学校創立精神の根本に係るような、教育理念や社会的使命に基づくものであるのか、あるいは補助金受入れや経営規模の確保というような、学校経営を支えるための財務的な理由であったのかは分かりません。

ただ、高校入学枠を廃止する要因が、先のような学校側が求めるレベルの受験生の確保が困難になったことであるならば、その原因は母集団としての高校受験生全体のレベルの低下に起因するものではなく、学校側が提供する教育環境やサービスが、従来支持者であったはずの受験生や保護者から評価されなくなった結果、つまり提供するサービスの市場における相対的な競争力の低下による顧客離れが直接の原因なのですから、厳しい意見ですが、学校が高校入学枠を削減したのではなく、むしろ学校側が高校受験市場から退場させられた、というのが正しい表現ではないでしょうか。

そう考えると、望むレベルの生徒を求めて高校市場を撤退し、中学市場拡大にシフトすることが、どれほど効果の見込める経営方針の転換であるか、少し疑問です。

つまり、高校入試という、都立学校群制度導入以降半世紀続いた超長期にわたる圧倒的な売り手市場の中で、不断の経営努力を怠った結果ブルーオーシャンから退場となったプレーヤーが、既に一定価値のブランド力を構築しているとはいえ、競争がより激しい中学受験市場というレッドオーシャンに、撤退した業績分の拡大を望むのです。

プレーヤーの増加に見合うほど、今後新たに中学受験生が純増するという継続的な状況は見込めるのでしょうか?

学校側が期待するように、従来確保していた学生レベルを維持したまま、入学枠の拡大につなげることは可能なのでしょうか?

そして何より、学校の内部要因を棚上げにしたまま外部環境に業績不振の原因を求め、堅牢な壁を高々と築いて外部からの侵入を阻み、内部をより手厚く保護するという方法は、教育機関としての社会的使命や教育環境の多様性、そして経営の可能性を考えた場合に、むしろ短絡的で大きな危険性をはらんだ方針の選択とは言えないでしょうか?

子供を預ける保護者としては、以下のようなテーマに関する学校側の言動一致が気にかかります。

  • 学校の授業では、グローバル時代の企業や社会人の国際社会との関わり、市場開放やTPPの意義について教えてはいないでしょうか?
  • 国境に高い壁を造ると主張する大統領を揶揄したり、政策的な問題点を指摘したりしていないでしょうか?
  • 人口減少と労働力不足への解決策の一つとして、また国際的な難民問題への対応として、移民の受け入れや活用について論じてはいないでしょうか?

将来のリーダーとなる子供たちへの教育内容と、学校側のリーダーが実社会で実践する経営戦略に相違はないでしょうか。そしてそれは同時に、

  • グローバル市場の中で孤立し取り残されたプロダクトに与えられる称号と同様に、教育環境のガラパゴス化を招いてはいないでしょうか?
  • 組織内の予定調和と環境最適化が進む中で、価値観の多様性や社会順応性の喪失という形で、組織に属する者の生存力の脆弱性を増幅してはいないでしょうか?

高校受験生の親から見れば、既存ブランド力のある高校入学枠の減少は非常に残念なことです。ただ長い目で見れば、ニーズがあれば必ずそれを受け入れるサービスが登場するのです。時代の変化に取り残された古いプレーヤが退場し、新しいプレーヤーが台頭するでしょう。

新しい学校が継続的な評価を受けて認められた暁には、それは強力な既存ブランドとして認知され、再び社会的なニーズは満たされるのです。

結局は高校受験市場におけるプレーヤーの新旧交代が促されたという結果に終わる。それが数十年の時の流れの中で、静かに進むのではないでしょうか。

それにしても、東大や京大をはじめとする多くの難関大学において、教育環境や人材の多様性を求めて推薦入試やAO入試などを実施し、様々な背景を持った学生に広く門戸を解放しようとする中で、それらを目標とする進学校側が、既存組織の活性化にとって大きな効果が期待できる高校入学組に対して城門を固く閉じて内に籠る姿は、矛盾というよりは、どことなく漂う哀愁の念を感じずにはいられません。

  

開成高校の努力と葛藤

  以前お伝えした通り、高校入学者の確保については、私学の雄たる開成高校にとっても、危機感を募らせている重要課題と考えてよいでしょう。 これまで見てきた状況に留意するならば、開成高校は非常に強い信念と忍耐をもって高校入試を継続しているということになります。

おそらくOBや現役の中学入学組の保護者の方などからも、高校枠の廃止について学校側に多くの意見が寄せられていることでしょう。

開成中学の合格枠の拡大は、他の中高一貫校にとっては歓迎すべからざる事態だとしても、中学受験生や保護者の方をはじめ、中学入試向け学習塾関係者からは熱烈な歓迎の意を持って受け入れられるでしょう。

学校運営上だけの都合を考えれば、これまで高校枠を廃止してきた学校と同様に、開成学園も中学枠のみに特化するのが合理的な選択といえるかもしれません。

ではなぜ開成は高校受験を継続しているのでしょうか?

これは個人的な考えですが、学園側が高校入学生の価値を引き続き認めているからではないでしょうか。

それは単に大学合格実績を上積みする業績確保への期待というよりは、予定調和に覆われがちとなる一貫校の教育環境に、新たな息吹を吹き込む重要な要素として認識しているのではないでしょうか。あるいは「私立トップ校」としての誇りやプライドが、撤退を許さないのかもしれません。

あるいは前向きに評価するならば、市場開放やグローバル化の時代と逆行するかのような組織のガラパゴス化に対し、健全な教育者としての許しがたい抵抗感があるのではないでしょうか。

開成高校の名前の由来である「開物成務」、人間性を開拓啓発し、人としての務めを果たす、つまり名前それ自体が閉じ塞がることを良しとせず、開いて物事を成すという、学園の理念そのものであるのですから。

開成は開成であって、平成の時代に閉成となってはいけない。

ですから開成学園は、自らの教育理念を否定するような安易な高校入学枠の廃止については、今後とも行わないものと信じています。まさか、新校舎が完成したとたん、高校入試を廃止するという品格のない二枚舌を準備してはいないでしょう。

開成高校には、全国の私立進学校の雄として、また引続き高校受験業界の頂点に君臨する圧倒的な存在として踏みとどまってほしいと思います。

 

中高一貫校に求められる意識改革

 一般的には、都立高校回帰の流れは、リーマンショックに端を発する保護者の経済的要因が主たる理由だと語られています。

本当にそうでしょうか?

保護者側の動機でみると、それは過去においては正しい側面があったかもしれません。しかし受験生の立場で見れば、それは主たる選択動機ではないでしょう。

生徒にとって、都立高校を志望する決定的な要素の一つは、多くの学校が校訓として掲げる「自主自立」を実際に体現できるフロンティアとして認識されているからなのだと思います。

自分たちが先駆者として主権をもって組織運営をリードすることができる、自らの母国となり得る環境だからではないでしょうか?

ネットや報道などで、国境に列をなす移民の姿やそれを受け入れる側の国民の感情を目の当たりにするにつれ、そのネガティブな思いは高校受験生の潜在意識の中に強く刻まれることでしょう。

それは高校入学者を受け入れる中高一貫校側が、高入生を無意識のうちに外来者として扱う潜在的な意識の裏返しでもあるのです。

 

保護者に求められる意識改革

 スマホで気軽に情報収集ができる時代、高入生を歓迎しない学校ハラスメントを見るにつけ、多感な子供たちは敏感に反応し、ブランドや進学実績だけではない人間としての誇りを求めて進学先を冷静に判断しているのではないでしょうか。 

中高一貫校が引き続き高校入試において意図する学生を確保したいと切に願うのであれば、そうした感情に対して誠実に真実を伝えることが、情報社会における学校側の誠意の現れであり、ガラパゴス化する現状を打破し内部環境の活性化へとつなぐ意識改革の第一歩だと思うのです。

今回は、減りゆく私立高校受験枠の背景について考えてみました。

本当は、改善を求めるべきは中高一貫校側の経営姿勢ではなく、大学進学実績で教育機関を序列化し、毎年の実績に敏感に反応するマスコミや保護者の側なのだと思います。

移ろいやすく利己的な消費者に迎合した教育を意識せざるを得ない学校側に大いに同情しつつも、地元の公立中学に進学する保護者の立場からすれば、やはりどの中高一貫校も、社会的教育機関として高校受験生に対して広く門戸を開き、しっかりと受け入れてほしいと願わずにはいられません。

ではまた次回。 


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