漱石先輩永眠100年に想ふ ~夏目漱石と日比谷高校の結び

夏目漱石

 本日12月9日は日比谷高校の大先輩、夏目漱石の没後100年。

実は私がこのように文章を書くのは夏目漱石の影響が大きく、漱石は個人的に一番影響を受けた文筆家です。
その割に没後百年という事実は数日前まで知りませんでした。そしてもう十年以上その作品を読んでいないように思います。そういえば最近漱石関連のドラマをやっているな、と思っていた程度にこの頃は呑気な関わりです。

今回は、受験のちょっと小休憩。漱石との個人的な関わりや想いについて述べながら、夏目漱石と日比谷高校の現在に至る結びの妙についてお話ししたいと思います。

 

漱石との出会い

 私が漱石に出会ったのは確か高校生の時。

今時の教科書については不案内ですが、私が学生の頃には、たいてい漱石の『こころ』などが、一段落程度ですが教科書に載っていたものです。 

私は中学から高校の一時期、いわゆる文学作品というものを読まないといけないという強迫観念じみた想いに囚われていたようで、文学史に登場するような本ばかりを、本当の意味も分からずに無理をして読んでいた時期があります。

文学史に残る作品というのは、何も文藝として秀逸というものばかりではなく、時代を反映した社会的な作品も多分に含まれています。
今思えば中学生が何でこんな本を読む必要があるのかというような本も、ちっとも面白いとも思わずに読み終わることを目的に目を走らせていたように記憶しています。

30年前と言えば、現在のように何でも検索で気軽に情報を得る時代ではありませんし、文学に親しみやすくするために工夫を凝らした本の企画などもほとんどありませんから、嗜好に合った本や趣味に行き当たるのも、なかなかの試行錯誤がいる時代です。

地方の高校生だった頃、帰りの電車に乗る前にターミナル駅の大型書店に、特段目的もないのに毎日寄るような生活でした。なぜだか本屋には魅かれるのです。
本というよりは本屋にいると落ち着く感じです。その証拠に学校や街の図書館には全然近寄らない。本好きではないのかもしれません。図書館はあまり面白くないのです。

まあとにかく、そんなこんなでいつ漱石の番が回ってきたのか、詳細ははっきり覚えていませんが、三四郎に出会いました。

 

『三四郎』の今でも新鮮な世界観 

 『三四郎』は、『吾輩は猫である』、『坊ちゃん』、『こころ』ほどメジャーではなく、『それから』、『行人』といった作品ほど人間心理の深淵に焦点を当てた内容ではありませんが、個人的には今でも一番好きな作品の一つです。
すべての書籍の中で一番繰り返し読んだ、ベンチマーク的な本でもあります。
 

「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一にほんいちの名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄ぐろうするのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉ことばつきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓ひいきの引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯ひきょうであったと悟った。

出典:青空文庫『三四郎』

 

ああ、何だか今読んでも新しい。

明治時代の作品でありながら、初めて読んだ高校生の当時は、自分も三四郎と同じく新しい空気に触れた気がしただろうと思います。
現在の君であれば、熊本を東京、東京を日本、日本を世界に置き換えて読めるのではないでしょうか。


漱石の好きなところは、絵本のような日常的な風景の中に、社会批評や哲学的な知的活動を行う知識人の圧倒的な教養が溢れているところでしょうか。

そして一つ一つの文章が美しい。
意味や言葉を繋ぐための、捨ての言葉がありません。全ての言葉や文節が一つ一つ完成した絵のように配置されており隙がない。この点は、今でも漱石を越える作家に出会っていないし、また私自身の文章にも今でも大きな影響を及ぼしている。

地方が都会の意識に触れる、子供が大人の世界に触れる、一般人が知の巨匠に触れる、そんな少し背伸びをした青年時代の成長が瑞々しく描かれた『三四郎』。

東大生となった三四郎が主人公ですが、中学よりも少し大人に近く、少し自由な高校生活を垣間見る意味でも読んでみてはいかがでしょうか。

ライトノベルが好きな君には、漱石に触れるのにもちょうど良い作品ではないかと思います。ライトノベルがなぜライトと呼ばれるのか、それも自ずと理解できるでしょう。

そして同時に日比谷を目指す君ならば、漱石が単なる作家としてではなく、日本を代表する知の巨人の一人として、何故今でもこれほど特別な存在として生き続けているか、理由の一端が理解できるでしょう。

今の時代であれば、スマホから青空文庫にアクセスして無料でも読むことができます。
でもできれば文庫でも買って、縦書きで読んでほしい。
縦書きで右から左に読み進めるのと、横書きで左から右に流れるのとでは、精神構造がだいぶ違います。日本語は、決して縦書きを捨ててはいけない、、、


ところで、漱石先輩没後100年の今年、日比谷高校入試の国語の差替え問題に、大先輩である夏目漱石の文章を登場させるという、ちょっと洒落た演出は日比谷の国語教師陣にないものかな、と思います。
出題があるのであれば、先の男と三四郎の会話なども、日比谷高校らしく深くて面白い設問ができると思います。

[問1]
男の言葉を聞いて、三四郎が真実に熊本を出た心持がしたのは何故か、また熊本にいた自分を卑怯だと悟ったのは何故か、それぞれ理由を、百字以内で書け。

三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊ストレイ・シープ迷羊ストレイ・シープと繰り返した。

出典:青空文庫『三四郎』


十五歳、生きる意味や学ぶ意味に疑問を持ち始めるのもこの時期でしょう。
そして大人の女性に対する敬愛の情。

真面目に勉強して高校に入ったものの、何のために更に勉強して大学に行かないといけないのか。自分は将来何になり、何をすべきなのか。そんな悩みを抱えるのも、繊細で賢い君ならでは。
そんな君の代わりに、漱石は三四郎を動かして多感な青春時代の葛藤を垣間見せます。

本当に、日比谷高校生になる君にはぴったりの、そして漱石前期三部作の導入となる、受験を終えた君に是非読んでほしい一冊です。

  

『草枕』の導入の美しさ

 山路やまみち登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 

出典:青空文庫『草枕』

 

ああ、なんて美しく詩的な文章なんだろう。
冒頭の二行は、本当に好きなフレーズです。
私は文学には詳しくはないですが、個人的にはこの文章の美しい響きに匹敵するのは、カアル・ブッセ(上田敏 訳)『山のあなたに』のこの一節でしょうか。 

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。

出典:青空文庫『海潮音』

とにかく、漱石の紡ぐ文章は、どこを切っても、一文一文が額に入れて飾りたいほどに、完結した美しさを保っているように思います。

 

日比谷高校と漱石の不思議な結び

 

非科学的あるいは自意識過剰などと一笑に付されそうですが、半世紀をかけてゆっくりと仕組まれた壮大な歴史の仕掛けの中に自分自身も組み込まれたような、何か大きな意識との不思議な結びつきのようなものを感じずにはいられません。
それは私自身だけのことではなく、同時代に生まれ育ちこの文章を目にする保護者の方や、この時代に生を受け、日比谷を目指す君自身をも巻き込んでいるのです。

東大53人合格 東洋経済「高校力」に思う - 日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

  

今回の漱石没後100年の情報を耳にしたとき、何とも言えない不思議な感覚がありました。
本当に迷信的ですが、ここにも大きな意志からのメッセージを感じたからです。


<夏目漱石 年譜>

  • 1867年 誕生
  • 1916年 永眠

こじつけと言われればそれまでですが、

  • 1967年 漱石生誕100年

    学校群制度導入
    日比谷高校凋落の起点

  • 2016年 漱石没後100年

    東大合格44年ぶり50名超
    日比谷高校凋落の終焉
    長男日比谷高校入学
    日比父ブログ開始 


そして来春日比谷の門を叩く君にとっては、

  • 2017年 漱石生誕150年

    学校群制度導入後50年


つまり、漱石生誕100年を機に、日比谷高校をはじめとする都立高校の凋落が始まり、没後100年を機に、その終焉が世間に認知される。
その記録者のような役回りの一角を、おそらく私や同世代の者が担っている。
そして未来へのこの先の50年の折り返し地点に君が立つ。

本当に自意識過剰というか妄想癖というか、そう感じるかもしれません。
しかしそれこそが漱石の世界感に通じるものであるかもしれない、、、

ついでにもう少し妄想の範囲を広げると、先の都知事選やアメリカ大統領選の結果も、こうした地球意識の一つの流れの上にあるように感じます。

いずれにしても一つ確かなことは、私は二十代、三十代の頃から、夏目漱石が世の中に自分の文章を問うこととなった年齢に達したならば、私も自分の考えを世の中に問うてもよいだろう、もう二十年来ずっとそう考えていました。

そしてそれは図らずも、漱石の母校となる日比谷高校を通じて表現されることとなったわけですが、そうした百年単位の意識の中で結ばれる様々な歴史的なイベントを目の当たりにするにつけ、私自身も含めた個々の存在を超えた大きな意識というものを感じずにはいられないことも確かなのです。

今回は、非常に個人的な嗜好の強い内容となったように思いますが、受験勉強で疲れた君の頭に、ささやかながら新しい風を送ることができたなら、うれしく思います。

ではまた次回

 

日比谷高校の半世紀をめぐる結びの意識