星陵祭、心のレビュー

2018年9月22日更新:f:id:mommapapa:20170928064734j:plain
 2017年日比谷高校星陵祭が終了しました。
天候にも恵まれ、今年も本当に集中して楽しめました。そして2日間の行事とは思えないほど疲れました。当事者でもないのに何なのでしょうか、この充実した疲労感は。

そして今年も人が多かった。
特に昨年と比較して明らかに多くの方が、より朝早い時間帯から来校しました。

 

個人的なことですが、今年の星陵祭ではキャストとして人前で歌うわが子の姿を、小学校の学芸会以来初めて目にしました。
これは保護者として想像していなかった新鮮な体験であり、今まで気づかずにいた様々な才能や可能性の開花を感じると同時に、本人にとっても新たな気づきの機会となるイベントとなったようです。
そして正にそこに、星陵祭に参加する意味の一つを見出すに至りました。

そこで今回は、見る者行う者すべてに新たな気付きや成長を促すこの2日間の魔法の行事について、2017年度の星陵祭を振り返りながら、その教育的役割や意味について考えてみたいと思います。

 

別次元へと誘う小宇宙~教室劇場

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 今年も3年生のミュージカルを1本見る機会を得ました。

昨年のミュージカルも素晴らしいと感じましたが、今年の作品はそれを上回る出来で驚きました。これを見るだけでも朝早く起きる価値があるなと実感しました。
身内や関係者が出演していなくても、エンターテイメントとして掛け値なしで面白い。

そして今年は保護者として2年目の星陵祭ということもあり、見る側の心理も変わっていることに気がつきました。 

1年生と比べると、大道具や衣装をはじめ完成度は歴然の差、しかも主人公を中心に、かなりの歌の練習が必要になります。この人たち受験勉強ちゃんとやっているのかな?と心配になるほどです。

2016年 日比谷高校星陵祭レビュー


昨年3年生を観劇した際には、大学受験生が入試直前期にミュージカルに熱中していていいのだろうかと心配になりましたが、今年は心持ちがだいぶ違います。

「これだけの集中力をもってすれば、受験もうまく乗り越えられる」

これまでは一般的に受験勉強へのお荷物と評価されることが多かった受験期の学校行事への参加が、今ではむしろ、眠ったままの若い才能の目覚めや受験へと向かう意識の昇華を促す一つの通過儀礼のように感じます。
そこを通過した者としなかった者の、社会に出てからも続く明らかな違い。

入試直前期に溢れるほどの時間を行事に投入したために、浪人して意中の大学に入るではなく、これだけ集中して頑張れたのだから、現役で志望校合格も実現することができるはず。

駿台模試の合格判定とか順位とか、そうした社会の既成概念では測り知ることのできない可能性に満ちた、異なる次元に生徒を誘う特殊な舞台。
その未知なる洞窟への冒険を終えた時、人生の新たなステージへと進むのです。

それはあたかもこれまで見せた一次関数的に緩やかに上がる受験学力に、合格を得るために必要となる指数関数的な最後の伸びを与えるための魔法のランプ。
受験直前期に空飛ぶ絨毯に乗って、合格圏へと舞い上がるための秘密の奥義です。

日比谷高校では9月に行われるこの「星陵祭」に、全員が一丸となって取り組みます。
一生懸命に取り組む子ほど、第一志望の大学へと進んでいく。

出典:学ぶ心に火をともす8つの教え/武内 彰


受験生として高校生活最後の星陵祭に全身全霊で取り組み、若い生命のエネルギーを燃やし尽くすことで、遺伝子の記憶に眠れる細胞の共鳴を促し、個々の脳裏の奥に秘めた爆発的な能力を呼び覚ます。
その力はまるで無限の力を秘めた青い魔人のように、最後のグラフの伸びを決定づける指数の値を大きくしてみせる。

いやむしろ、大学受験という目の前の結果以上に、これからの社会を導き、人生の糧となるような得難い経験値の向上。
受験生として明らかな逆境の中で必死に取組む成果だからこそ、内に秘めた輝きを育む舞台となる。ダイヤの原石であるための試練です。

進学実績の数字の向上を一直線に目指す進学校が見失いがちな教育の本質が、宇宙空間を満たす不可知のエーテルのように、狭くて熱い教室舞台の隅々にまで広がり、見る者と演じる者の間にその確かな存在を知らしめる。

そこでは太陽を中心に浮かぶ8つの惑星の軌道のように、輝く生徒を中心に日比谷流8つの教えの確かな軌跡を確信することのできる小宇宙。

プロのステージとは異なる、演劇のための舞台ではない青春の舞台。
実際にそこに身を置いたものだけが知り得る未知であり普遍である世界。そう実感するに至った今年の3年生の公演体験となりました。

 

星陵祭、終わりの始まり

 そして今年はもう一つ、私自身にとっても大きな気付きのある星陵祭となりました。

日比谷高校の星陵祭は3学年全てが演劇発表。
毎年3年生の舞台が圧倒的な人気を誇る中、もちろん他の学年の公演にも面白いものはたくさんあります。今年は2年生の公演を鑑賞しました。

私が観賞した公演は、先に見た3年生の演劇偏差値と比較して明らかに足元にも及ばないレベル。圧倒的な力の差を感じます。来年の星陵祭では、朝早くから並ぶ観客の期待に応える作品を作り上げることができるのか、当事者となる保護者としては不安に感じる現実です。
なぜそれほどまでの実力差が生じるのか、星陵祭の謎の一つです。

受験を前に、上位入賞クラスはどれほどの準備をしているのでしょうか?
誰もが興味をもつ疑問です。

そんな素朴な疑問に真っすぐに応えるかのように、今年の星陵大賞を受賞したクラスのツイッター上では次のような言葉が語られています。

合唱祭の練習期間を含めると5月の体育大会終了時から星陵祭本番まで、夏休み中も含めて7時半に集合で歌練、劇練を重ねました。 

出典:日比谷高校36Rツイッター


2017年の体育祭は5月16日。
それから約4か月以上もの間、日々の授業や夏期講習の始まる前の朝の時間帯を活用して本番当日を迎えたのでしょうか。5月から練習を開始するということは、台本や楽曲などはゴールデンウィーク明けには既に固まっているということになります。

2年生から3年生にかけてはクラス替えがありませんから、2年の星陵祭終了直後から、1年かけて少しずつアイディアを練ってきたのかもしれません。

そして3年の親となって分かったことは、実際に2年の星陵祭が終了し、冬には概ね演目は決定しているということ。2年の星陵祭の終わりが3年の始まりです。

準備期間にずいぶん差がありますから、完成度の違いが出るのは当然かもしれません。

ただ同時に分かったことは、3年の中にも、のんびり構えて準備があまり進まないクラスもありそうだということ。対応も出来栄えも様々です。演目やチラシや前評判や、直観などで意にかなった公演を引き当てるのも、また楽しみの一つといえるでしょう。

いずれにしても、受験という振り払うことのできない現実と向き合いながら、蝉の幼虫のような地面の下で長く続く地道な陰の努力が、他学年との圧倒的なレベル差を生み、星陵祭本番で羽ばたく集中力の源であり、最後の涙の意味なのでしょう。

 

2年生、これからの成長物語

 そして同時に当事者となってはじめて理解したことは、2年にとっての星陵祭は、3年生とはまた異なる、なかなかに厳しい状況があるということ。
ある意味初めての舞台を迎える1年生よりも、全体的に準備のための時間の確保が難しい学年なのかもしれません。

なぜならば、部活動やSSH、その他の活動も含めて、2年生は学校生活を運営する上での中心的役割を担う学年。高校最後となる夏の大会や秋の発表会、海外研修でのプレゼンに向けた対応が、彼らの今年の主戦場。クラス演劇にかけるべきエネルギーが、どうしても外に拡散しやすい構造的な背景があるのです。

部活動や数々の行事で中心的な役割を果たし、同時に星陵祭に向けての準備を重ねる中で、忙殺される日々。

3年生が受験勉強と並行して舞台の準備に情熱を注ぐ傍らで、同じように部活やその他の活動に持てるエネルギーを注ぎ込む学年。

そう考えれば、2年生の公演レベルが今年A判定に届かないとしても、それを理由に焦ることではないように思います。ただその年は、自分を最も輝かすべきステージが異なるだけ。そう言える学年であるのかもしれません。

そしてクラスのベクトルが一つにまとまりにくい状況の中、星陵祭への関わり方を巡り発生する確執や、求める水準になかなか到達しない苛立ちや葛藤。そんな状況もあちこちで見られるはず。

ただし、そうしたネガティブな状況でさえ、実は2年生で感じるべき思春期の心の成長を促すスパイスの一つではないかと思うのです。

同時に部活と星陵祭、そして勉強といったどれも疎かにはできない責任と活動負荷を同時に負うことで、業務遂行や時間に対するマネジメント能力を高める機会を得る。
それはそれでリアルな青春の一コマ。偽りのない等身大の青春像です。

そう後から気付いた時、2年生の公演に対して感じたもやもやした評価が、腑に落ちた納得感に変わります。

部活を引退した来年にはベクトルの方向性が星陵祭一本に変わり、1年前には想像もできなかった驚異の成長曲線で、演劇偏差値70の壁をまずは突破してくるのだと。

動の前期を締めくくる星陵祭の終わりを機に、今まで学生活動を支えてきた中心的な立場から徐々に離れ、学業を中心とする静の後期を過ごすことで、少しずつ受験生の顔への変化を経験するのでしょう。

その2年生から3年生への成長物語は、来年の星陵祭に向けた楽しみなテーマの一つでもあります。 

 

生徒の覚醒を促す全クラス演劇

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 そして保護者として同時に感じることは、この3年間を通じた演劇発表という仕組みは、長い時間かけて生徒一人一人の自我の覚醒を促す誘導装置ではないかということ。

舞台で光を浴び、自らの存在を世界に発信する者となるのか、舞台の陰で光がより美しく輝くよう支える者となるのか、あるいは物語を描き、音を紡ぎ、全体を統べることで創作そのものを演出する者となるのか、3年間のクラス演劇を通じてはっきりと自らの志向や能力を自覚するのではないでしょうか。

それは自分の中に眠っていた才能を呼び覚ますための仕組み。

来場者に見せられるギリギリのレベルを浮いたり沈んだりしていたわが子のクラス演劇も、個人の能力を開発し見出す力はしっかりと機能していたように思います。

人生で初めて目にする、観客に向けたメッセージを送るわが子の歌や語りが、予想外に上手く板についており、家で見せる携帯を構う姿や日常の冷めた表情とは全く異なる意外な一面と才能を垣間見せる舞台。

それはおそらく他の生徒や保護者にも共通する、新鮮な体験ではないでしょうか。

そして星陵祭本番直前の1週間程と1日目の公演が終わった夜には、とにかく作品の完成度を高めるための影の作業に没頭する毎日。睡眠時間を削りながら、自身でも気づかなかった内に秘めた能力や興味を、それとは知らずに自ら呼び覚まし高めるひと時。

星陵祭を通じて己を知り、他人を知り、未知なる世界を知る。
日比谷高校の学校行事に隠された魔法の秘密を、保護者という舞台裏の特別席から眺め続ける贅沢な日々。
この日常であり特別である風景は、2年生の星陵祭の終わりを機に後半への折り返し地点を迎えつつ、それでも自然がみせる四季折々の豊かな表情のように、色や形を変えながら、まだしばらくは終わりそうにもありません。

 

こころのレビュー

 今回お届けしたレビューは、星陵祭を舞台裏から眺めた内面的な心の景色。多くの方が期待した、イベントの描写とはだいぶ異なる内容かもしれません。

急がば回れ、かわいい子には旅をさせろ、若い頃の苦労は買ってでもしろ。

志望校合格への最適化や経営の効率化にとっては、何世代も前の時代遅れの言葉です。

でもしかし、多くの学校や受験生が盲目的に最短距離だと信じるそのグラフの軌跡は、この世界の中で本当に求めるべき方程式なのか。あるいはそれは、同時に人生を幸福へと導くための最適解であるのか。

そして志望校という宮殿に真っすぐ向かう道程が、砂漠の王国のように平坦で無味乾燥な風景の連続でよいのか、また砂漠の先に見た憧れの王宮が、本当は周囲の期待が形成した実体のない蜃気楼に過ぎないのではないか。そしてそもそも、その王宮を目指すことにどんな意味があるのか。

そんな命題が改めて頭に浮かぶ、今年の星陵祭の気付きとなりました。


都会の砂漠の中で口を開け、15歳の君の勇気を確かめる魔法の洞窟。日比谷高校はそんな存在なのかもしれません。

そこは抗い難い厳しい試練が待ち受ける、内なる8つのダイヤの原石を磨く場所。
内側に輝きを秘めたる者が訪れる学び舎。そうでない者は、入り口を入ったとたん呑み込まれてしまう。

だからその入口に立つ出願の時、自分の心に聞いてみるといい。

君はなぜ日比谷高校に入るのかと。

そして推薦入試の面接官が、学力試験の自校作成問題が君に問いかける。君はなぜ日比谷高校に入るのかと。そして君は入る覚悟と磨くべき輝きを内に秘めているのかと。

日比谷高校星陵祭。

それは星陵の丘で日々磨かれる輝きを、一年に一度、皆で確かめ合う行事なのかもしれません。だからこそ、その得難い光を求めて朝早くから多くの者を惹きつける。

来春、君の内に秘めた輝きが、多くの仲間との共鳴を呼び、磨かれ、将来、世界を照らすダイヤとならんことを願います。

ではまた次回。


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