学ぶ心に火をともす8つの教え ~文武両道への道

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 日本テレビ『世界一受けたい授業』では、2017年の新常識ランキングで1位となった日比谷高校の教育活動。

昨今は公立高校復権の象徴として語られることが多かった同校の取り組みが、この番組では、これからあるべき教育のモデルケースのように扱われた感があります。

かつて東大合格者をへ200人近く出すような超名門校が、1967年の「日比谷潰し」と呼ばれた学校群制度導入により凋落。中高一貫校全盛の時代となり、1990年代は東大合格が一桁を推移するほど低迷が続いたのは衆知の通りです。

そして学校群制度から今年でちょうど半世紀、小学校から大学までを巻き込んだ大きな教育改革のうねりが押し寄せる混沌の中、日比谷高校が再び輝きを取り戻すと同時に、これからの時代をリードする存在であるように番組は世に示しました。
置き去りにされたかつての名門校は、大学実績の向上を求める小手先の対策ではなく、ある意味で急がば回れに近い王道を行く教育方針により、今再び注目を集めています。

そして番組のベースとなったのが、武内校長の著書『学ぶ心に火をともす8つの教え』
半年以上前に発行された本ですが、番組放映後からアマゾンや店頭の在庫が切れるほど、売れているようです。

同書の発売1年ほど前から、学校経営者の立場とは異なる保護者の視点で、日比谷高校の取組みや学校生活を語り始めたこの日比父ブログ。

『学ぶ心に~』を読んで最初に感じたことは、同書が伝えようとする内容が、図らずも日比父ブログが大切だと感じ、書き綴ってきた価値観と同じだという点。
そしておそらくは、日比谷を選んだ多くの保護者の方が同じ気持ちでいるのでしょう。部活や様々な学校行事で接する保護者の方からも、そうした環境にわが子を預け、親として身を置くことに対する充足感が伝わってくるのです。
校内アンケートで、保護者の入学満足率が98%を示すのも、実際その通りでしょう。

『世界一受けたい授業』の視聴者や『学ぶ心に~』の読者の中には、テレビや書籍では僅かしか取り上げられなかった日比谷高校の取組みや行事について、もっと知りたいという思いは強いはず。

そこで今回は、本ブログがこれまでお伝えした日比谷高校の行事や取組みについて、テレビや書籍で取り上げられた「文武両道」の取組みに沿って再構築することで、同校が体現する「8つの教え」の詳細をご紹介したいと思います。

 

「文武両道」に込められた真の意味

 「学校行事に一生懸命に取り組む子ほど、第一志望へと進んでいく」

武内校長が感じたこの実感を、わが家では図らずも高校受験の際に実感していました。

受験学力がどこまでも右肩上がりで伸びていくのではなく、ある上限に向けて収束していくとするならば、早くから受験に取り組んだ受験生とは異なり、2学期から短期集中勝負の生徒は、最後の1日まで受験学力を上げることができると思うのです。

むしろ、最後の収束点に近づく前に受験が終わることが多いように思います。それはつまり、まだまだ伸びしろが残されているということ。

だから部活や学校生活に集中してきた君の前には、最後の最後まで、可能性が残されていると思うのです。何よりも、実際に合格したという事実がそれを物語るに十分ではありませんか。 


現在でも非常にアクセスの多いこの記事は、高校受験で経験した、まさに文武両道がもたらす受験本番直前期の集中力による目標達成の経緯と、この冬休みからの過ごし方について書き綴ったものです。

受験に直接関係のない勉強や活動を遠ざけたからと言って、必ずしも子供は親の望む対象にその時間を使うわけではなく、逆に受験勉強に充てる時間が少ないからと言って、必ずしも不利になるわけではない。子が親の満足する姿を見せたとしても、それは密度の低い、むしろ人生にとっても受験勉強にとっても無為な時間であるかもしれない。

必要なのは時計で測る時間の長さではなく、その間を流れる時間の質的濃度。一般的に集中力と呼ばれる時間密度です。時間が半分しかないのであれば、密度が2倍に高まればいい。
その状態を如何に発現するのか、それ自体に意味のある活動であると同時に、受験という観点で見れば、その集中力を生み出す仕掛けとしての部活であり学校行事であるということでしょう。

結果を見て言葉で書き表せば簡単な理屈ですが、失敗するリスクを恐れずに、その力を信じて愚直に取り組むことができる環境が、日比谷高校という学びの場なのでしょう。

文化祭を頑張った子ほど伸びていく

 文化祭である初めての「星陵祭」で3年生の演劇を見た際には、高校受験の経験など忘れ、確かに受験直前に演劇などやっていて大丈夫かなと本気で心配したものです。

昨年3年生を観劇した際には、大学受験生が入試直前期にミュージカルに熱中していていいのだろうかと心配になりましたが、今年は心持ちがだいぶ違います。

「これだけの集中力をもってすれば、受験もうまく乗り越えられる」

これまでは一般的に受験勉強へのお荷物と評価されることが多かった受験期の学校行事への参加が、今ではむしろ、眠ったままの若い才能の目覚めや受験へと向かう意識の昇華を促す一つの通過儀礼のように感じます。そこを通過した者としなかった者の、社会に出てからも続く明らかな違い。

入試直前期に溢れるほどの時間を行事に投入したために、浪人して意中の大学に入るではなく、これだけ集中して頑張れたのだから、現役で志望校合格も実現することができるはず。

駿台模試の合格判定とか順位とか、そうした社会の既成概念では測り知ることのできない可能性に満ちた、異なる次元に生徒を誘う特殊な舞台。
その未知なる洞窟への冒険を終えた時、人生の新たなステージへと進むのです。

それはあたかもこれまで見せた一次関数的に緩やかに上がる受験学力に、合格を得るために必要となる指数関数的な最後の伸びを与えるための魔法のランプ。 受験直前期に空飛ぶ絨毯に乗って、合格圏へと舞い上がるための秘密の奥義です。  


大学受験ともなれば更に、受験勉強の邪魔になる行事や時間はできる限り排除して勉強時間に回そうとする学校も多い中、日比谷に限らず多くの都立進学校では、上位の学校であるほど日比谷高校同様に受験直前まで行事に手を抜かない学校が多いです。

確かにわが子を見ていても、時間があるから勉強する訳でないことは確かです。
たとえ時間に限りがあったとしても、時間当たりの集中度を高めることで、通常では考えられないような成果を上げることができるのでしょう。わが家の高校受験を顧みても、やはりそれは正しいことに違いありません。

確かに社会人となってみれば、充分時間をかけて準備する完成度の高いプレゼンよりも、短期集中で同等以上に高い品質が求められるプレゼン機会ばかりが多い。
プレゼンの目的とは、その企画なりサービスが採用されるということ。作品が獲得する点数よりも、選ばれることに意味がある世界。
それは受験でいえば志望校への合格に他なりません。

大御所と呼ばれるような立場を確立しない限り、自分の望むペースで仕事や勉強ができるのは、学生時代が大部分。逆にゆとりがないからこそ、社会で必要となる成果を上げるための方法論を、高校受験組は楽しみながら、知らず知らずのうちに高めているのかもしれません。
 

課外活動が育むもの

 そうした視点で学校行事を眺めてみると、様々ある活動の中に、学生時代の基礎学習やお楽しみ以上の意味を見出すこともできるといえるでしょう。
三大行事と呼ばれる「体育大会」、「合唱祭」、「星陵祭(文化祭)」は、多くの高校で行われる一般的な行事だと思いますが、ここでは日比谷高校の活動を通して8つの教えに通じる意味を考えたいと思います。

自主性と団結力を高める「体育大会」

 「体育大会」は、非公開行事であるため一般には伺い知ることができません。
他の学校の事情は分かりませんが、日比谷高校の体育祭の特徴といえば、何といっても参加する生徒がぶっつけ本番で実施する行事ということでしょう。 

そんなゆるい雰囲気の中で進行する体育祭ですが、見守っていると、なんだかんだ競技が進んでいきます。

日比谷の生徒数は3学年で1,000人程。
実行委員などは事前に綿密な打ち合わせを行っているのでしょうが、生徒全体がぶっつけ本番で進行していることを考えると、ある意味すごい事かな?と、最初の不安が次第にプラス評価に変わっていきます。   


数ある競技の中でも、私が一番好きなものは「クラス全員リレー」です。
これは名前の通り、学年毎の8クラス対抗リレーなのですが、とにかく男子も女子も関係なく、クラス全員が一つのトラックを走るのです。

走行順は各クラスで自由に決めますから、男子の隣に女子がいたり、大きい生徒や小さい生徒、足の速い生徒や遅い生徒、運動部も文化部もそれぞれのクラスの戦略に従い、全体で見ると無秩序の順番で40人全員が走ります。
ですから一気に抜いたかと思うと一気に抜かれたり、走者の組み合わせ次第ですから終盤まで、勝っているのか負けているのか見ていてもよく分かりません。

私が惹かれるのは、競技に対する興味や盛り上がりの高さという点ではなく、この競技が短い時間の中で実現する世界観が、現代社会で求められる男女平等参画や協働社会の実現を楽しみながら体現していると感じるからです。

男女が区別なく同じトラックを走るような競技は、幼稚園から始まる長い運動会観戦経験からしても例がないので新鮮であるのも確かですが、そこにはむしろ男女の違いよりも、足の速さという特定基準に基づく能力の違いを意識しながら、全体での最適化を図ってチームを勝利に導くという、男女協働戦略性が自然に実現されており興味深い。

そして何より好きな点は、走り終わった全ての選手が、着ていたゼッケンを脱いで所定の場所に順番通りに重ねていく光景です。

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 クラス全員リレー終了直後のゼッケン

大歓声の傍らで、この8色320人分のゼッケンが秩序よく静かに積み重なっていく過程を見ると、なぜだかとても落ち着いた気持ちになるのです。
事前の予行演習もなく係もいない中で、走り終わった者が一人、また一人、淡々と積み重ねる色とりどりの蓄積には、言語情報の伝達のみで高度に完成された自主自律が体現されているような、不思議な感動に包まれるのです。

あるいはこれは日比谷生の自主自律の現れではなく、日本の義務教育が積み重ねた成果としての協調性の現れであるのかもしれません。
そんな酔狂な心持ちで観戦しているのは私一人だけかも知れませんが、とにかく見ていて気持ちのよい光景です。

5月に行われる体育大会は、高度に組織化され準備されたその他の行事とは異なり、ある意味日比谷生の素の姿が見られる行事であると同時に、保護者にとってはテレビでも紹介された国会議事堂や自由民主党本部などに囲まれた立地の特殊性を、観覧という行為を通じて肌で感じる機会でもあります。
真正面にある衆議院議員会館の喫煙室から、日比谷生の躍動を見ている休憩中と思しき職員の数を遠目に観察するのもまた楽しいものです。

高みを目指す心を養う「合唱祭」

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日比谷公会堂/写真出典:㈱YRPのホールの情報

 日比谷高校にわが子が入学した喜びを最初にかみしめる行事は入学式ですが、体育大会が終わって僅か1か月後に行われる「合唱祭」も心に染みる行事です。

そして個人的には何といってもこの行事に参加する一番の楽しみである、最後に千何百人で歌い上げる校歌の大合唱に参加しない手はありません。

私自身はわが子の姿を見るよりも、実はこの瞬間のために、仕事を休んで参加しているといっても過言ではありません。
校歌の大合唱の中に身を置くその瞬間の感情は、日比谷生の親である喜びと、湧き上がる若かりし頃の青春の想い出が込み上げる、何とも言えない充足感。
私自身は日比谷高校のOBでもなんでもない一保護者ですが、生徒が歌い上げる日比谷の校歌は大好きです。

そして妻と並んで子供たちの歌声を聞く喜び。 長い子育ての1シーンを彩る束の間のご褒美。人生の中で静かに輝く時間です。 

 

そしてこの合唱祭は、保護者であることの喜びを音楽を通じてかみしめる行事であると共に、日比谷高校の藝術面での造詣の奥深さを味わう時間でもあります。
今も昔も、生徒の中には素晴らしい才能が隠れているからです。

昨年の合唱祭優勝クラスのピアノ伴奏者も、2016年度ショパン国際ピアノコンクール全国大会の年齢制限なし部門で金賞を受賞しています。
彼は小学生のころから様々な公式コンクールで第1位を受賞しているのがWeb上に記録されていますし、日比谷高校にはそういう生徒が毎年隠れているようです。東京は、隣にそういう才能がいたりしますから、いつも驚かされます。 


合唱祭のホームステージである日比谷公会堂の大規模改修工事が完了するまでの間、しばらく会場ジプシーが続きますが、現在小学校6年生の君が日比谷に入学する頃には、新しくなった日比谷公会堂の舞台に立つことができるのではないでしょうか。

名のある音楽家が有料講演で立つステージの上から、何千人の生徒と保護者に向かって高らかと青春の喜びを歌い上げ、その音と時間と空間の共鳴を仲間や家族と共有する。

日比谷公会堂がリニューアルした後の日比谷生とその保護者がつくる合唱祭を思う時、なんだか本当に羨ましい気持ちになります。

生きる力が磨かれる「星陵祭」

 演劇好きでもない私が毎年星陵最の舞台を楽しみにしているのは何故だろう?

おそらくはわが子が日比谷を卒業した以降も、妻と一緒に観劇に訪れるような気がしています。そこにあるのは限られた資源に対し、役割分担という組織力と、創意工夫という技術力、そして集中力というスパイスによって作り上げる一つの料理、アンサンブルではないかと思います。

決して三ッ星レストランの味ではないけれど、それでもそれを超える価値を持つ、もてなしの空間です。

都立国立高校や西高校、小石川中等教育学校など、都立には全学年演劇を行う高校は少なくありません。そしてそうした学校の中には、ずっと優れた作品を発表するクラスもあることでしょう。他校の実情は分かりませんが、日比谷の場合は予算を中心とする制約が厳しく定められているからです。

このため、実際にはいくらでもエネルギーを投入し、芸術的によりレベルの高い作品を作るのではなく、厳しい時間および予算的制約と、大学受験という現実と隣り合わせの環境の中で、最大限の感動を実現するという、正にある種のマネジメント力が求められる行事なのではないでしょうか。 

この日比谷高校の星陵祭では、マスコミや書籍が取り上げる、そして世の保護者の方が知りたいと思っている、自発的な子供のやる気や集中力を高めて結果を残す、ラジオでは『日比谷メソッド』と紹介された日比谷高校躍動の秘密が、演劇という表現により、目の前1mの距離に実際に見える形で繰り広げられます。 


星陵祭は公開行事であり、多くの情報がWEB上に溢れていますから、本記事では詳しくは触れません。
興味のある初めての方は、ここでご紹介する過去の記事で疑似体験していただくと共に、来秋実際に足を運んでみることをお勧めします。

乗り越える力を獲得する「臨海合宿」

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画像出典:勝山寮ホームページ


 数ある学校行事の中でも、特筆すべきはやはり7月に行われる「勝山臨海合宿」ではないでしょうか。 

せっかく受験して入る学校ですから、進学実績だけではない伝統の重みが残る学び舎を選ぶのは、人格形成期における一つの意味だと思います。
ただし、高校入学組で古式泳法を体験できるのは日比谷だけです。

筑附も開成も、学習院や慶応も、小中学生の行事。高入組は、新入生という立場ではないのでしょう。女子にとっては特に貴重な機会です。  

 

この臨海合宿については、昨今テレビ等での露出度が高いように感じます。
そのため、参加希望者も年々増えていくのではないでしょうか。

仕事や学業を抱えながら合宿を見守る府立一中水泳部、一水会の方々には頭の下がる思いですが、子供を送り出す親としては、何とか希望者全員が参加できるようなサポート体制を検討いただければと感じます。そのようなお願いをする立場にないのは承知の上ですが、強くそう思います。 

しかし、4泊5日の最終日には、泳げなかった仲間も含めて、皆で遥か沖合に出て岬を回り、隣町の海岸まで隊伍を組んで遠泳を行うのです。3Km程の海路です。
今年は潮に逆らうこととなったため、例年より長い2時間超の遠泳となったようです。プールで何キロ泳ぐより、海の波間で身を処する術を学ぶというのは、確かな生きる力ですね。 

 
遠泳は、等間隔で前後左右に並ぶ仲間の存在を感じるからこそ泳ぎ切る力が湧き上がるように思います。普通に考えれば、3キロの海路など一人で泳ぐことは困難です。

日ごろスマホのデジタルな仮想世界の中で結ばれる気薄な人間関係ではなく、非日常の自然の海の荒々しい現実の中で結ぶ、仲間や先輩方との濃厚な連帯感が、確かに学生生活とその後の社会人として生きる上での隠れた底力となりそうです。

坂の上の雲の時代から脈々と続く、日本全体で見ても珍しいこうした伝統行事が今も続き、現に参加できるのは本当に羨ましいことです。

これは参加した子供たちしか知らないことですが、私は臨海合宿の閉校式の場で、毎回一つのメッセージを送っています。

「この合宿をやり切ったことで、キミたちは真の日比谷生になったね」

出典:学ぶ心に火をともす8つの教え/武内彰


そして実は保護者にも、この臨海合宿を疑似体験する機会があります。
それは合宿前の6月に行われる保護者対象の「勝山寮見学会」です。勝山寮はこの臨海合宿で生徒が宿泊する施設。日比谷卒業生と保護者が支える星陵会の建物です。

このツアーでは、施設の見学や寮で出される食事を味わえる他、合宿を預かる一水会の方がまだ肌寒い海に入り、神伝流の基本形を目の前で体験することができます。
武内校長自身が参加する場合は、直接会話する機会にも恵まれるでしょう。

そしてあまり知られていませんが、この勝山寮は一般の方も利用が可能です。
教育関係行事や日比谷高校の合宿の雰囲気を味わいたい方など、海の家や民宿に泊まることに抵抗がない方にとっては、千葉の海を楽しむための一つの選択かもしれません。


さて、わが子が日比谷に進学し、日比父ブログが始まった2016年当時と比べても、わずか1年余りの間に日比谷高校のメディアへの露出度は格段高くなっていると感じます。
それは、この半世紀の間に時代遅れだと認識された感のある、中高一貫校ではない高校単独校の存在価値が、改めて認識されるに至った結果なのかもしれません。

中学受験で中高一貫校に進むのも、高校受験で高校単独校に進むのも、絶対的にどちらがよい選択ということはないでしょう。それは本人や家庭の判断で決めればよいこと。

日比父ブログが発信するのは、世間体や従来の固定観念に流されない、自らの判断を信じる気持。それが現在の日比谷高校の状況にどれほどの影響を及ぼしているかは伺い知ることはできませんが、これからも独自の視点を失わず、学びや教育の在り方について考えていきたいと思います。

ではまた次回。

 

日比谷の学びの本質に迫る

毎年秋に行われる日比谷高校訪問機会 

8つの教え・第2章 日比谷式「勉強」の作法