日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

星陵祭2018レビュー ~クラス演劇の魅力と可能性

 今年もまた星陵祭を訪れ、クラス演劇を鑑賞してきました。長男の高校受験のための下見から始まって、今年で4回目です。

これまで演劇に特に造詣のなかった私自身も、続けて観ることで、高校生が文化祭で公演する演劇のレベルに対して一定の評価を持つに至ります。同時に、劇団四季など大型のプロ公演とは異なる、クラス演劇特有の魅力が存在することにも気づきます。

そして今年もまた、素晴らしいクラス公演がいくつもありました。

大学進学実績への期待が高まるにつれ、受験前に行われる文化祭に対して3年生や保護者の心が離れ、次第に演劇公演のレベルが下がっていくのではないかという漠然とした懸念を抱いていましたが、それは杞憂であることが改めて理解できました。

今回は、日比谷高校の星陵祭におけるクラス公演を軸に、高校生が文化祭で創作する演劇の魅力と可能性について考えてみたいと思います。

 

クラス演劇を支えるもの

 今年は3年生の公演を複数鑑賞することができました。

その中で一番作品の完成度が高いと感じたのが38Rの『レ・ミゼラブル』です。
(Rはルームと呼び、日比谷高校におけるクラスを表します)

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土曜の公演を見た保護者からの情報では、31Rと38Rがよかったという感想をいただいており、バイオリンの生演奏があると聞いた38Rを観ることにしました。

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大道具/画像:【H30】日比谷高校38Rさんのツイッター

舞台上の生徒の躍動感や緊張感を写真や映像で直接内容をお伝えすることができないのが本当に残念ですが、50分という短い時間の中で、ジャン・ヴァルジャンとジャヴェール警部の人間模様を中心に大作をうまく凝縮した、過去に見た作品と比較しても完成度の高い作品だなと感じました。確かに自信をもって第三者にお勧めできる公演です。

私自身は演出家でも脚本家でも舞台評論家でもありませんが、これまでの鑑賞経験から判断すると、クラス公演であっても観る者に作品の完成度が高いと言わせるためには、少なくとも以下のような要素を一定レベルに維持する必要があるのではないかと思います。

  • 脚本
  • 演出
  • 歌唱力(ミュージカルの場合)
  • 演技力
  • 衣装
  • 舞台演出、大道具、小道具
  • 照明演出
  • 音響演出
  • エントランス装飾
  • パンフレット・ポスター

演劇公演は舞台に立つキャストに目が向きがちですし、ミュージカルの場合は音程の確かさが作品の印象に大きく影響するとは思いますが、それでも作品全体の質を決めるのは、裏方も含めた総合力なのだと今回改めて感じました。

これらの要素が高いレベルで総合的に完成されて初めて、観る者の心に深い感動を運ぶことができるのだと理解するに至りました。どこかに大きな穴があると、作品に込めたはずの情熱やエネルギーがそこから漏れ出して、熱い思いを届けることができないのだと。

商業公演では当たり前のそうした精度に対する努力は、学校行事では自主的な取り組みであるからこそ、観客にもストレートに伝わるものです。努力した者とそうでない者の差が、目の前にはっきりと現れるからです。

小学生のわが家のチビも、今ではプログラムの終演後に、独自の講評を口にします。

 

クラス演劇がもたらすもの

 そして、逆にだからこそ、学校行事として全学年が演劇に取り組む意味があるのだなと感じます。生徒や集団の成長の過程が、自分にも周囲にも、年を追うごとに目に見える形ではっきりと表れるからです。そして観る側の保護者や観客の目も肥え、学年が上がるにつれて求める要求も上がってくる。

総合芸術とでもいうべきクラス公演を支える各要素には、生徒一人一人が得意とする分野がどこかに存在するものです。公演を楽しみに訪れる観客の期待を上回り、感動を届けるために、得意分野を追求し、毎年努力する価値が生じるのでしょう。

日比谷高校が3年生になっても受験勉強一本にシフトせず、最後の文化祭まで取り組む機会を確保するのは、1年生から少しずつ積み上げた個々の生徒の想いの集大成を発表する場を確保すること、つまり生徒の成長機会を奪ってはいけないと学校が考えているからではないかという気がします。

3年生の様々な行事を制限して生徒を受験勉強に追い込むことが、必ずしも進学実績を上げることに対して効率的な方法であるとは限らないし、保護者の側もそれを求めているわけではない。そして何より、青年期の最後の成長曲線が、最後の星陵祭で一気に伸びを見せる。

星陵祭の3年生の公演を目の当たりにすることで、毎年改めて思い直すことです。 

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画像:平成30年度38R演劇パンフとポスター

レ・ミゼラブルの他に、ミュージカルでは35Rの『ライオンキング』を鑑賞しました。

鑑賞後の個人的な意見としては、演出面と音程の安定性で38Rの方が上回るかなという印象を持ちましたが、妻は35Rの衣装やパンフレットの出来を絶賛していました。

結果として、38Rのレ・ミゼラブルは本年度第2位、ライオンキングは第3位となり、自分の中の評価と同じだと感じました。3年生の公演は、誰もが知る有名劇団の方などが審査しているようです。

それは同時に、これ以上に完成度の高い公演があるということです。今年の優勝は、31Rの『ユタと不思議な仲間たち』となりました。

その事実を思う時、高校生の創り上げるクラス演劇の総合表現力に大きな可能性を感じずにはいられません。まだ一度も遭遇したことのないその年の星陵大賞作品を、早くこの目で確かめてみたいなと思います。

星陵祭演劇の魅力は、必要最小限に設定された「時間」と「空間」と「予算」の中で、どのように高いクオリティを実現し、観る者の予定調和を前向きに破壊して驚かせ楽しませるのか。そして1年生の初々しさと、上級生の確かな成長の足跡を確認すること。

演出側と観客側の間に暗黙に了解された、ある種の真剣勝負ではないかと思います。

 

クラス演劇の挑戦 

 日比谷高校の3年生は、毎年ほとんどのクラスがミュージカルを披露します。これは公演に対する順位付けに関し、ミュージカルの方が評価の基礎点が高いということがベースにあると思いますが、それ以上に、演じる方もメリハリをつけて演出しやすく、観るほうも総合的に楽しめるという面も大きいかと思います。

直近の演目は以下の通りとなります。

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直近4年間の演目として、重複が多いものほど濃い色で表示していますが、単独の演目も含め、全体としてはほとんどがミュージカルであることが分かります。

そんな中で今年異色の演出となったのが、34Rの『銀河鉄道の夜』です。 

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大人も子どもも誰もがその名前を知っているはずの物語であるのに、原作を読んだことのある者はそれほど多くはない物語。原作を最後まで読んだとしても、何が書かれていたのかがよく分からない物語。

銀河鉄道は、そんな未完の大作です。

保護者や関係者を除き、おそらくこの公演を鑑賞した多くの観客は、『銀河鉄道の夜』という魅力的なタイトルの響きや宮沢賢治という名前に惹かれてこの作品を選んだのではないかと思います。どんな心躍る冒険劇が待っているのだろうかと。

そんな期待感を、歌も踊りもない原作のセリフそのままに、まるで独り語りのように、ジョバンニの言葉を中心に淡々と進めるその内容に驚きました。

作品が面白いとか面白くないとか、そういう感情以前に、ジョバンニ役の女子生徒のいつまでも聞いていたいと思わせるような語り口の魅力と、まるで初めて原作を読んだ後のような、ピュアでありながら煙に包まれたようなもやもやとした気持の再現性に心惹かれました。

こうした喜怒哀楽や善悪のはっきりしない演出を、最終学年の演目として試みたところに、ミュージカルとは異なるシリアスな世界観を提供するクラス公演の可能性を見出しました。 

まだまだ精度を上げるべき点はたくさんあるように感じましたが、3年生がこうした哲学的な課題に真剣に取り組むのであれば、それもまたありだなと感じました。

ただ、この公演を最初に観たり、この作品だけ観た方は、高校生の演劇や星陵祭についてどう評価してよいものか、きっと面食らっただろうなと思います。

 

最後の星陵祭

 3年生の子を持つ保護者である私にとっては、これが最後の星陵祭となりました。

長男が卒業した後も、引き続きクラス演劇の魅力を確認するために、星陵祭を訪れるか否か、今はまだ分かりません。

ただ現在一つだけはっきりと分かることは、高校の文化祭で全クラスが演劇を行うことは、子の成長にとって、小さくはない意味を持つだろうということと、多くの制限のある中で若いエネルギーが創り上げる作品は、生徒の保護者でなくとも十分な魅力に溢れたコンテンツであるだろうということです。

日比谷高校は勉強ばかりさせる学校ですか?という受験生からの質問をネット上で見かけることがあります。

保護者の立場としてのその答えは、今もこれからも、3年生の星陵祭でのクラス演劇を、学校も生徒も止めることなく続けてほしいということです。

私立の学校を中心に、高校3年生は文化祭などに参加しないという学校も多くあるだろうと思います。中高一貫校の先取り授業と比較して遅れているにも関わらず、受験期に及んで演劇などに時間を取られてよいのか、という指摘もあるかもしれません。

ただ、今年正に大学受験生の息子を持つ父親としては、それでも今のまま続ければよいと思います。そのような進学校が一つくらいあってもよいではないですか。

芸術っていうのはいつの時代でも一種の贅沢品なのかもしれないが、とにかく受験生には余計なものだってことなのだろう。(中略)要するにお芝居はやめよう、キザなインチキはやめて、受験生は受験生らしく素直に受験勉強に邁進しようとことなのだ。(中略)ああいうキザでいやったらしい大芝居というのは、それを続けるにはそれこそ全員が意地を張って見栄を張って無理をして大騒ぎしなければならないけれど、壊すだんになればそれこそ刃物はいらない。誰かほんの一握りの生徒が「勉強がありますから」と平気で星陵祭を欠席すればもうそれで最後といったそんなものだったのではないだろうか。もっともこれは日比谷だけではないかもしれない・・・・

出典:赤頭巾ちゃん気をつけて/庄司薫 著
(下線文字部分はmommapapa変更)

実際に、クラス演劇のような取組みを、学校側の強制力のない自主的な活動として大学受験生を含む生徒全員が行うのは、現在のような効率重視の世の中においては珍しいことかもしれません。

こんな下らないキザでインチキな学園ゴッコに付き合うのは御免被る、僕は関わらずに塾に行くよ、と考える生徒もいるかもしれない。

まあでも、人生も半分以上過ぎた者から見れば、そういうことに真剣に取り組む学校が、この東京のど真ん中にあるのは捨てたもんじゃないって思ってしまう。

なぜならば、「かわいい子には旅をさせろ」とか、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とかいう言葉が過去の笑い草になるような、マラソンで他の選手よりできる限り前からスタートさせることや、無菌室のような汚れのない環境を好んで与えるような先物取引好きの保護者が多いと感じる今の世の中で、夕焼け小焼けや七つの子のメロディが夕空に大きく鳴り響いても、辺りが暗くなる時間ぎりぎりまで泥にまみれて遊びに夢中になるような、そんな学校生活もあるんだなと思える学校が、 やっぱり一つくらいあってもいいと思うから。

星陵祭に参加することは、生徒にとっても保護者にとっても、大学受験という現実的で誰にでも分かりやすい目の前の成果を求めること以上に、これから先、長く歩むべき人生における自らの在り方を自問したり、仲間との意見の違いや時間との戦いに挑んだりする平坦ではない環境の中で、どのように目標や成果を達成するのかというような、そんな総合学習とでもいうべき壮大なプログラムに参加することではないかと思う。

わが家にとっては現役最後となる星陵祭を、そんなことをぼんやり考えながら過ごした二日間でした。皆さんにとってはどのような星陵祭になったでしょうか。

ではまた次回。

 
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