令和の始まりと平成の終わり、兄から弟へ

Hello令和,Good-bye平成

 短い昭和64年の冬、地方国立大学の下宿で、昭和天皇の棺が皇居から出発する様子をテレビの画面を通して見つめていたことを今でも覚えています。

一つの時代の終焉を迎えるその出来事は、悩み多き一人の青年の心に何らかの影響を与えたことは確かなようです。

平成元年へと変わったその年に大学を中退し、今にして思えばバブル経済真っ只中の東京に独り上京し、どの組織にも所属せず誰とも話さず、就学・就労・職業訓練のいずれにも従事しない、非生産的な人間として過ごすに至ったのです。

 

ニートから父親へ、平成の物語

 日比父ブログは、二人の子を持つ父親が、子育てや教育を軸に、現代日本と世界の現在を描き出す同時代の物語です。

そこに描かれるのは、家族を知る者からすれば真実の、家族の存在を知らない者からすれば創作であるかもしれない親子の物語。

もしかすると、本ブログが水面下で密かに産声を上げ始めたのは、物語の中心である子どもたちが生まれる一昔前の時代、父である私自身の高校時代に遡るかもしれません。

中学に入る頃からの親への強い反抗に自分自身が悩まされながら、中学、高校、大学と続く、人生で最も瑞々しく色鮮やかで希望に満ち溢れるはずの青春期を、社会への不満を引きずりながら、灰色に満ちた狭く暗い心の世界の中で過ごしたあの頃。

平成元年、ニートという言葉すらなかった時代に、今思えば完全にニートであった私は、おぼろげな志を胸に、毎日明確な目的もなく東京の街をぶらぶらと徒らに歩いていたのです。

平成は、バブル経済から始まる激動の時代。

マハラジャに代表されるお立ち台の煌びやかな女性の立ち姿が、平成の始まりを象徴する社会の共通認識だとすれば、個人的にはそうした世界とは全く対照的な、新宿西口の小田急百貨店前の柱を背に無言で現れる志集売りの少女の立ち姿が、私にとっては平成の始まりを象徴するアイコンです。

10代から20代の多感な青春時代を、世間の華やかな日常世界とは無縁な、暗い土の中の蝉のように過ごした日々。

あの時代、若者の間には「就職するのは愚か者、フリーターが人生最強」というような楽観的な価値観が、社会全体の共通認識として存在したように思います。

個人的な印象では、若者向け男性ファッション情報誌を筆頭に、そのような価値観を若い世代に積極的に流布していたと記憶しています。

おそらくは、精神と肉体の成長のバランスを自制できずに苦しんだ青年期に、それでも何とか入った大学を、哲学的な迷宮に足を踏み入れたことによって中退し、学生でも浪人生でも正規アルバイトでもない単なる無職として生きる私は、それでも『フリーター』という軽薄な響きが当時から嫌いでした。

何の社会的身分も持たないその時期、実感なきバブル経済の楽観的な空気の中で感じていたのは、時代背景とは対照的な、未来への絶望的な閉塞感。このままの状態では将来、社会不適合者か犯罪者になるのではないかという、自己予言的な焦燥感でした。

楽観的な時代の中で、出口の見えない無為な毎日を送る内、いつしかもう一度、大学で学びたいという強い思いがこみ上げてきたのです。

 

大学、就職、そして結婚

 今こうして文章を書くことができるのは、一度外れた社会のレールから、大きく回り道をしながらも、何とか再び社会の流れの中に戻って来たからに他なりません。

都心のぼろアパートの中で奮起し、半年感の独学で、現役時代には合格する見込みさえなかった国立大学に奇跡的に入学し卒業した私は、その後の人生において自分でも想像すらしなかった道を歩みます。

就職、結婚、そして我が家。

このどれもが、自分自身の価値観の中では無縁と考えていたものばかり。

給料やボーナスの意味さえ知らない、元来サラリーマンのいない家系の中で、同世代からは何年も遅れて社会に出る私が会社員になることを自ら選択したのは、世間の大部分の者が就くサラリーマンという社会的立場を自ら経験することが、向かないから止めろと周りから言われながらも、言葉では説明できない自分自身の課題のように感じたからです。

就職後、直ぐに辞めたいと感じたサラリーマンという立場を、維持し積極的に続けることになったのは、3年は続けるようにと言った医師である実兄のアドバイスと、その直後に忽然と現れた妻との結婚です。

そして長男が生まれ、2回目の上京を今度は家族とともに経験し、2人目を諦めていた頃に生まれた弟と、家族での海外生活、そして帰国。

結婚からのこの20年は、10代、20代の輝くべき20年よりもずっと充実した価値ある時となりました。私にとっての平成は、社会からの離脱と復帰がもたらした、深い孤独と家族の愛を経験した時代。

就職も結婚もマイホームも望まなかった私が、ただ若い頃から唯一求めたのは、子どもという存在だったのです。

 

父として生きる人生

 若い頃より社会に対して特に強い興味を持ち得なかった私自身も、10代の頃から既に、自分の子どもを持ちたいという気持ちを時折感じていました。

もし仮に、人は生まれ変わる存在だと考えるならば、今世の私は自分が功を成すための人生というよりも、父として生きることを経験するために生まれてきたのではないかと感じることがあります。

それは、企業や社会における自分自身の限界を感じた結果として形成される消極的な価値観とは異なる、自らの体内に予め組み込まれていた感覚です。

私自身が文章を書き始め続けるのは、自己顕示欲の表れや特定の価値観を社会に流布するための手段というのではなく、父親であるということの証を自分自身確かめるための一つの課題であることと同時に、父であることの文学的哲学的な意味を、現代社会の中に問い尋ね、確かめたいからなのかもしれないと思う。

社会人であること以上に父親であることを日々強く意識する自分自身に対し、子への過度な干渉を避けるべく注意しながらも、それでもそのような思いを人知れず抱きながら、これからも生きていくのだと感じています。

 

兄から弟へ、これからの主題

 半世紀を生きた節目の年に、一つの時代の終焉と新しい時代の始まりを迎える。

そうした巡り合わせに何か特別な意味を探しながら、折り返す半世紀の終わりに向かって今改めて気持ちを切り替え前に進もうと思う。

平成の終わりと共に長男の受験生活は終わりを告げ、令和の始まりと共に次男の新たな受験生活が始まりを告げる。

新しい時代の日比父ブログは、きっと兄から弟の学生生活へと主題が移り、特別な知能の持ち主から、大衆的な頭脳の持ち主が主人公となる物語の第二章を迎える。

変わりゆくべき東京大学から発信される兄の物語と、これから始まり中学、高校、大学へと長きに亘り続く、変わらない受験産業の中から発信される弟の物語。

日比父ブログは、昭和から平成を経て令和へと続く現代の教育界を象徴する日比谷高校の名前を冠しつつも、小学校から大学までの子育てや教育を巡る広大な海を渡るための、新しい時代に向けた情報発信プラットフォームとして引き続き存在します。

広告収入を目的としない、数少ないブログの一つとして、新しい時代に吹くべき風と、父親としての在り方や存在を確かめるために、書き続けていきたいと考えています。

Hello 令和、good-bye 平成

静かに見守ってくれた父と母への深い感謝と、決断力のない父親にいつも付き添ってくれる妻や子供たちへの愛情をこめた、過去から未来へと続く家族の物語をこれからもよろしくお願いします。

ではまた次回。

 

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