日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

韓国GSOMIA破棄に思う選挙と報道

北朝鮮ミサイル/画像出典:NHK NEWS WEB

北朝鮮ミサイル/画像出典:NHK NEWS WEB

 最近のニュースといえば韓国周辺の話題ばかりに感じる中で、報道の中身はともかく強く思うことが一つあります。それは、

「選挙は大切だな」

ということです。

政権交代と国体の変化

 先の参議院選挙では、若い世代の投票率が伸びなかったとの報道がありました。

確かに日本で暮らしていると、選挙に行っても行かなくても、誰に投票しても社会はあまり変わらないだろうという感覚に陥りがちな中で、韓国文政権の立ち居振る舞いを目の当たりにするにつれ、政権によって本当に国の在り方が変わってしまうのだなという事実を、他国の状況を通じて客観的に認識する機会になっていると感じています。

市民運動やクーデター等によって政権が変わるような場合、例えば正に現在の文政権を誕生させた韓国のろうそく革命や、現在進行中の香港のデモのような一連の出来事には、報道で知り得るような相応の社会的混乱や苦痛が伴い、一般市民の多くがその社会の変化の過程を自ら体験する機会がある一方、国会議員の任期満了や解散に伴う国政選挙により理性的に政権交代が進むような場合には、いつの間にか国家の在り方が変わってしまう可能性があるのだと、今回改めて認識した次第です。

例えば日本の場合、自民党政権を支持する立場からよく聞かれるフレーズとして、

「民主党政権時代は最悪だった」

という言葉があります。

そう言われても、10代の君にはどういうことなのか実感の伴わない言葉に違いないと思うのですが、例えばこれを保守政権から左派政権への交代があった現在の韓国の状況を参照するという解説を付けてみれば、もちろん現在の韓国の混乱と当時の民主党政権時代の日本の状況は異なるわけですが、「最悪」という言葉が概ねどのような意味を表すのかについての想像はできるのではないでしょうか。

あの当時は、韓国や香港のような革命じみた狂気はないまでも、日本国内に自民党政権への相当な不満が高まっていたのと同時に、批判や誤解を恐れずに書いてしまえば、「子ども手当」という有権者買収のための公的な撒きエサに、子育て世代の多くが相当やられてしまった結果だったように思い出されます。

であればこれからも、保守二大政党が存在しない現在の日本の政治状況にあっては、社会全体を包む大きな不満や感情をきっかけに、あるいは何がしかの政治的な扇動によって、やはり左派寄りの政権が誕生する可能性があるということになります。

そんな前提に立って今回の韓国の状況を見ていると、日本において左派政権が仮に誕生した場合には、もしかすると恒常的であるはずの社会的価値観が覆るような状況に陥るかもしれないというある種の恐怖体験を、日々の韓国に関わる報道を通じて日本の多くの有権者が潜在的に認識したのではないかと思うのです。

GSOMIAを破棄した韓国での混乱を日本に置き換えてみると、

  • 外国人参政権
  • 天皇制の廃止
  • 自衛隊の解体

といった国体の解体につながる一般的には非常識的な政策を、文政権のような感覚の左派政権が誕生した場合には、実際に推し進めるのではないかという疑念が生じることになります。

直近の参議院選挙では、N国という政党が誕生した事実に対する有権者へのある種批判めいた論調がある中で、文政権に関わる様々な報道を見るにつれ、選挙での冷静な投票の大切さを改めて感じるのです。

例えば現在であれば、子が生まれた場合に一人当たり1,000万円が支給されるというような公約を掲げた政党が次の衆議院選挙に登場した場合を考えてみると、その点だけに着目した多くの支持が集まる可能性を否定できない一方で、本当にそれでよいのかということを真剣に考えてみる必要があるということです。

これから選挙権を手にする中学生や高校生の君にとっては、変わらない日本の政治体制の代わりに、現在進行中の文政権の意思決定や出来事が、保守から左派政権に変わった際の社会の劇的な変化を疑似体験するよい機会になるのではないかと感じています。

今回の隣国での騒動を目の当たりにすると、現在では全く期待できる状況にはありませんが、やはり保守二大政党の必要性というものが改めて実感として感じられるのです。

 

報道や言論する立場

 韓国にまつわる現状の報道を見ていると、日本の報道機関や識者であっても、日韓衝突の原因が韓国側にあるという日本寄りの立場と、原因が日本にあるという韓国寄りの立場で書かれている文章が並立して存在し、しかも韓国側の方が相対的に危機感が高いが故に、その立場が相当分かりやすく表明されていると感じます。

現在の韓国を巡る報道は、一般によく言われるような、どこどこ新聞やテレビは右寄りで、どこどこは左寄りという立場が明確で、報道機関の政治的立場を確認する上では、中高生にとってよい機会ではないでしょうか。

そうした中で私自身が以前から非常に気になっているのは、報道や言論の内容以上に、それを発信あるいは発言する者の立場がどのようになっているのか、という点です。

具体的には、発言者の国籍がどこにあるのかということです。

例えば、現在韓国でベストセラーと報道されている『反日種族主義』という書籍。

これは韓国人が書いているからこそ韓国にとっては価値や意味があるのであって、仮に日本人や日本からの資金により書かれたものであれば、むしろ韓国世論を操作しようとするプロパガンダ書籍、日本からの攻撃という全く異なる評価になるでしょう。

翻って『NO安倍』というスローガンを掲げた場合、日本籍の者がそれを主張しているのであれば日本にとって含蓄のあるメッセージと考えられますが、韓国籍の者や韓国からの資金により掲げられた場合には、それはやはり別の意味として判断されるべき内容です。

そうした観点で整理すると、日本の報道や言論においては、日本人を装った外国籍者による発言が相当数含まれているのではないかという疑念を解消する手立てがないという論壇の脆弱性が課題として挙げられます。

こうした報道や言論における立場の曖昧さという問題が顕著であるために、報道や言論そのものの価値や信憑性が著しく棄損されているように感じるのです。

個人的には、日本で生まれた外国籍の方が、日本社会で生きるために日本名を名乗ることに対しては特別な意見を持っていませんが、少なくとも政治に対する公の発言を行うような場合には、その立場を明確にしてほしいと考えます。

それは、日本人の発言には耳を傾け、外国籍者の発言には配慮しないという意味とは全く異なりますし、国籍や人種に対する差別や排他的な意識とも異なります。

そこにあるのは、判断の基となる立場に対する区別の重要性です。

  • 日本人が日本人として発言する内容は意見。
  • 外国人が外国人として発言する内容も意見。
  • では、外国人が日本人を装って発言する内容は何なのか?

国会議事堂前に集結するデモ行進に参加する日本人、テレビの討論番組に日本人として参加する有識者、そして新聞や雑誌、ネット上で日本語により発言する人々。

この中に、実際には外国籍の存在がどれほど含まれているのか?

諜報機関が真実を覆い隠す方法の一つに、いくつかの嘘を紛れ込ますという手法があるという。日本における政治をめぐる報道は、発言者の立場が不明であるが故に、情報の受け手としては価値ある情報を見極めることに対して大いなる脱力感に包まれてしまうのです。

 

報道とエンターテイメント 

 個人的にはそうした背景があるからこそ、報道というものに対しては無味乾燥な事実情報のみを期待するのですが、新聞もニュース番組も、雑誌やネット上の情報も、残念ながらそのような客観的な情報を提供してはくれません。

発信する情報の中には、常に発信者の主観的な視点や主義主張が入っているからです。そしてその発信者の立場がどのようなものであるか、実際には分からない。

ですから私自身は、新聞や報道番組は一種のエンターテイメントであるという認識で接するようにしています。

情報源ではなくエンターテイメント。

こう解釈することで、情報や行動判断の根拠としての期待はなくなりますし、誤った内容を受け取ったとしても、信じた自分が悪かったと笑って過ごせるのですから。

世の中にあふれる情報は、誰がどのような立場で、何のために発信しているのか本当には分からない。少なくとも、何かの目的をもって発信されていることは確かですが、それが何なのかは情報の受け手には決して分からないのです。

この点は、政治の世界でも教育の世界でも本当に同じだなと感じます。

この日比父ブログについても、本当は誰がどのような目的で発信しているのか、情報の受け手には決して分からない。そうではないでしょうか。

人類の歴史は、ある種の騙しあいで成り立って来たといえるのではないか。

文政権にまつわるエキセントリックな報道を目にし耳にするにつれ、情報の受け手の無力さと発信者の虚しさを、同時に感じてしまうのです。

そして、選挙によって社会は変わってしまうという事実と共に、投票に対する責任と結果に対するある種の恐怖を、韓国という対岸の火を眺めながら、今リアルタイムで学ぶという稀有な機会を体験しているのです。

10代の君の一票は、日本の将来を支える確かな力なのだと思います。

だからこそ、このまたとない機会に、扇動的な情報に流されない有権者としての冷静な判断力というものを養ってみてはいかがでしょうか。

ではまた次回。

 

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