日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

幻の日比谷高校附属中学校 〜妄想編

日比谷高校附属中学校<妄想>候補地(旧永田町小学校)

日比谷高校附属中学校<妄想>候補地(旧永田町小学校)

 世の中には、日比谷高校に附属中学があればよいと思う方が存在するようです。

個人的には、日比谷附属中学は世の中にあってはならない学校の一つだと思うのですが、実は長男が日比谷に入学した後の一時期、本当にそのような中学が設立されてしまうのではないかと根拠のない焦りを覚えたことがあります。

日比谷の中高一貫化に反対する理由は、仮にそのような学校ができてしまった場合には、半世紀前に学校群制度が導入された当時と同様の衝撃を伴って、都内の高校受験組のモチベーションが壊滅的に下がることが明らかだと思うからです。

2000年からの並々ならぬ努力で積み上げた、高校単独校という都立進学校再評価の流れを、学力上位の高校受験生の希望の星である日比谷高校自身が自ら否定してしまったら、そこに残るのは教育委員会への恨みと、都立高校への回復不能な不信感でしかあり得ません。

私立進学校の高校受験枠が令和に入り再び減りつつある状況において、日比谷附属中学のような学校を設立するのは都政としての愚の極みです。

ただし現在では、2022年までに併設型の都立一貫校が高校募集をすべて停止し、中学募集枠に一本化される計画が正式に都教育委員会より発表されていますので、日比谷附属はもはや実現することのない妄想上の産物であることが確かとなりほっとしています。

そこで今回は、日比谷高校附属中学校に関する個人的な妄想上の計画をお話しするとともに、千代田区の小学校事情や都立高校の在り方について考えたいと思います。

尚、繰り返しになりますが、今回お伝えする日比谷附属中学については、現にそのような計画はない点を改めてお断りしておきます。

 

日比谷附属中学の<妄想>敷地

 仮に日比谷附属中学を設立するのであれば、ここしかないという候補地があります。

それは旧永田町小学校校舎です。

自民党本部の正面に位置し、1993年閉校のかつての有名小学校は、現在でも千代田区「子どもの遊び場事業」の対象施設として、時間を特定しながら遊び場として一般に開放されています。

この旧永田町小学校と日比谷高校は、直線距離で200m程の至近に位置します。

今までその存在に気づかなかった方でも、永田町駅から日比谷高校に向かう道中、首都高の走る青山通りから星陵会館へと向かう緩い坂道の、衆議院議長公邸の前に建つコンクリート造の白い建物だと聞けば、その存在がなんとなく思い出されるのではないでしょうか。

旧永田小学校グランド側見上げ

旧永田小学校グランド側見上げ

不気味なのは、昨今統廃合の進む都内の公立小中学校において、廃校となった校舎がどことなく陰鬱な状況で放置されている事が多い中で、この旧永田町小学校は閉校となった現在でも、良好な状態を維持したままで保存利用されていることです。

外観写真から分かるように、とても25年以上前に廃校された校舎とは思えないほど白く良好な状態が維持されている事が伺えます。

実はその理由の一つは、公立中学とは思えない程素晴らしい校舎として2012年に蘇った麹町中学が建て替わるまでの間、臨時校舎として利用されていたことにあります。

旧永田町小学校グランド/出典:千代田遺産HPより

旧永田町小学校グランド/出典:千代田遺産HPより

現在こどもの遊び場として利用されるのは、日曜日の2時間程度にしか過ぎない中での施設管理ですから、次の本格稼働に備えているようにも感じます。

またこの敷地は上空から俯瞰すると、自民党本部の敷地や星陵会館の建物と比較してみても十分広いことが理解されます。一等地にあるこれだけ大きな学校建物を、利用対象者の多いとは言えない週末の遊び場としてのみ維持するのは勿体ない。

旧永田町小学校敷地

旧永田町小学校敷地

このため、実際には他の何かに転用される想定の元、有閑敷地の当面の活用策か維持管理の予算付けとして子育て応援施策として開放しているのではないか。そしてその活用方法とは、日比谷附属中学の設立のためではないかとの妄想が極大化したのです。 

長男が日比谷高校に通っていた3年間、永田町駅から学校に向かう道すがら、この校舎を目にする度に、そのような不安を抱きながら眺めていましたが、そのような計画が現実的ではなくなった現在、将来的にどのような施設として利用されるのか、逆に新たな興味をもって見守っています。

 

名門永田町小学校の再活用

 日比谷附属中から離れて改めて永田町小学校に着目してみると、別の活用方法が浮かぶように感じます。

千代田区の区立小学校分布/作成:日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

千代田区の区立小学校分布

そこで千代田区内の区立小学校を確認してみると、皇居を囲んで東西の北半分にのみ区立小学校が分布していることがはっきりと確認できます。永田町小学校が閉校となった現在、赤坂、虎の門寄りの南西部には、公立小学校が存在しないことになります。

東京駅、大手町から虎ノ門、永田町にかけてはビジネスと行政の街であるためか、住居が少ないことが伺えます。

ところが千代田区の人口分布をみてみると、永田町小学校が閉校となった1993年、ちょうどバブル景気崩壊と重なるその後の1995年(平成7年)を境に、人口が増加に転じていることが統計から読み取れます。1995年といえば、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した、日本の暗黒面が最大化した年です。

千代田区総人口推移/千代田区政策経営部企画調整課作成

千代田区総人口推移/千代田区政策経営部企画調整課作成

千代田区転入超過数/千代田区政策経営部企画調整課作成

千代田区転入超過数/千代田区政策経営部企画調整課作成

特に最近では、ブランド学区への憧れや、九段中等教育校や麹町中学といった区内教育施設の充実からか、20代から40代にかけての子育て世代の転入超過が顕著です。

平成26年の統計で、上記世代は転入超過数では1,697人、5歳から14歳では196人、千代田区全体でじわじわと若い世代の人口が増加しています。

特に今後、人気の高い番町、九段、麹町小学校のトライアングル周辺の再開発が進み、マンションの住居数が増加するような場合には、上記3校の収容力も限界に達することがないとも言えません。実際に新校舎となったばかりの九段小学校は、計画当初の予想を超える生徒増加が進んだ事実が区報に報告されています。

もしかすると、案外近い将来、千代田区西側エリアの小学生の増加に伴い、永田町小学校が再び復活して子供たちの声に包まれることがあるのかもしれません。小学校が小学校として利用される。それが最も良い活用方法ではないでしょうか。

 

日比谷の高校独立を保て

 さて、中学受験しないわが家にとっては、高校単独の公立進学校が存在するのは非常に意味があります。それは、海外や都外から中学受験期の後に転入する家庭にとっても同様です。

おそらく日比谷高校を中高一貫校化したいと考える方の頭の中にあるのは、一貫化した暁には、中学受験において現在の小石川を超えるような相当高い人気が集まり、中学受験の偏差値トップに位置するような私立校への進学の流れを変える、かつて都立高校が大学進学実績上位を独占していた往年の時代の復活への期待ではないでしょうか。

そう考えるのは誰なのか?

ネット上で執拗に繰り返される生産性のない学校間の優劣アピールや誹謗中傷合戦は、誰が何の目的で繰り広げているのか?

公立中学への進学を考えている保護者の目から見ると、そうした学校間の進学実績や偏差値ランクを競い合うような一義的な価値観は無意味であるばかりか、むしろ迷惑以外の何物でもありません。

現在の都立高校の入試システムを理解していれば、都立高校が大学受験合格実績において偏差値上位の中高一貫校を上回ることは考えにくいと分かるはずです。

なぜならば、都立入試は受験学力の高い生徒だけを集める制度にはなっていないため、日比谷高校であっても学力が高い生徒ばかりが集まっているわけではないからです。

でもそれはそれでいいではないですか。

東京大学でさえ、受験偏差値の高い学生しか入学できないことを、自らの欠陥だと公に表明して頭を抱える時代。

都立高校の環境は、逆の見方をすると、中高一貫校には実現できない多様な背景を持った母集団を入学させる懐が備わっているのです。

私立の場合、大学合格実績の悪化は即学校の衰退につながるために、受験学力での輪切り入試から脱却することができない。そうしたジレンマを構造的に抱えています。

私立高校無償化によって、所得が相対的に低い家庭の受け入れ機能から解放される都立高校が今後どのように変わってゆくのか。3年後に再び高校受験を控える保護者としては、その辺りの動向に関心が高まります。

そして日比谷高校は、これからも高校からしか入学できない単独校の立場を守り、高校受験の憧れとして存続してほしいと思います。

東大生の兄ほどの鋭い賢さは持たない反面、兄よりもしっかり者の弟は、地元中学でどのような喜怒哀楽を学び、そしてどのような高校受験に向かうのでしょうか。

23区で中学受験しない家庭が歩む苦悩や喜びを、学力も性格も全く異なる兄弟を通じてしっかり確かめてみたいと思います。

ではまた次回。


中学受験か高校受験か、受験カツオ論

中学受験しない高校入試組の実力

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