23区中学受験しない親のこころ

ネットゲームの世界で泳ぎ回る次男のイメージ

ネットゲームの世界で泳ぎ回る次男のイメージ

 わが家には小学校6年生の次男がいますが、中学受験はせず地元の公立中学に進学することに決めていますから、この年末年始ものんびりムード。

この文章も、久しぶりに家族4人で訪れた奥多摩のロッジで心と体を休めつつ、ペレットストーブの炎をぼんやり見守りながら記しています。

次男は現在ネットゲームに夢中で、平日でも2時間以上、休日ともなれば4時間以上をサイバー空間で仲間と過ごし、生き残りをかけたバーチャル世界のサバイバルに日々出かけています。

客観的に見てネット依存症気味の次男ですが、一方的にやめろと言う気にもならず、連続プレイ時間は気になるところですが、ゲーム機の見守り制限も特に設定せずに本人の意志で自由に遊ばせています。

中学受験しない苦い経験

 次男に中学受験を求めない最大の理由は、受験せずに地元の公立中学校に進学したいと本人が明確に意思表示したからです。

生まれてまだ10年そこそこの子どもが、社会の何たるかを知るはずもない中で述べるそのような主張が、子の将来を思う親を納得させるだけの説得力に乏しいことは十分理解した上で、それでも現在の彼の意思を尊重したいと思っています。

遥か40年も前、私自身が小学校5、6年生だった頃、地方に暮らしながら母親に中学受験するように促され、学習塾に通うことを求められました。

その当時、地方の田舎に住んでいた私の周りには、中学受験する小学生どころか、中学受験という概念さえ一般的でないような環境でしたから、母親のその求めに対し、子供心にひどく違和感を感じたものです。

今にして思えば、父も兄も、現在中学受験に向かう保護者の方であれば全国の誰もが知るような地方の名門中高一貫校に通う家庭でしたので、両親が次男の私に対しても同じ道を求めるのはある意味自然な流れだと理解できますが、当時の私自身は、小学校の他の仲間とは違った進路を歩むことに対し、尋常ならざる抵抗を感じたのでした。

小学校では学級委員や生徒会長を勤めるような生徒でしたが、12歳になる頃には親の前では既に期待するような素直な子どもではなく、塾まで自転車で10分程度の道のりをわざと大回りして大幅に遅刻した挙句、授業でもまともな回答を返さないなど周囲の大人を大いに困らせ続けた結果、母もいつの間にか次男には中学受験を求めることを諦めるに至ったのでした。

結果的に大人からの大勝利を収め、希望通り地元の中学校に通うこととなった私でしたが、地元の公立中学校に通った後にはもっと大きな違和感を感じることになりました。

今では既に死語となった’不良’と呼ばれる生徒たちの存在をはじめ、自分の本音を話したり価値観を共有できるような同級生に残念ながら恵まれなかったからです。

中学入学の前後から始まった長く激しい反抗期や、人生で最も輝くべき思春期に周囲との人間関係をうまく処することができず、10代、20代を陰鬱な日々の中で過ごす中で、あの時両親の指示に従って受験しておけば、伝統的な空気に包まれた気風あふれる教育環境の元、価値観の合う仲間にも出会えたり大学受験で苦労することもなく、もっと有意義で楽しい青春時代を過ごすことができたのではないかと深く後悔することも度々ありました。

それでも現在の私自身は、次男を諭して中学受験に向かわせようという強い気持ちには至りません。 

中学受験しない親の不安

 周囲や都内の多くの子供たちが中学受験のために学習塾で日夜勉強している傍らで、わが子が日々ゲームに夢中になっている状況を見て焦りがないかといえば、正直不安はもちろんあります。

それでも焦るという気持ちはありません。

不安の理由は地元の中学に進むことに対し、一般的な保護者の方が抱く例えば以下のようなネガティブな感情からです。

  • よい仲間に出会えないのではないか
  • 悪い仲間に影響を受けるのではないか
  • よい経験を与えられないのではないか
  • よい大学に合格できないのではないか
  • よい職業につけないのではないか
  • よい配偶者を得られないのではないか
  • 将来の年収が低いのではないか
  • 社会不適格者になるのではないか
  • 社会の底辺から抜けられないのではないか

などなど。

そうした不安のある中で、それでもわが子が受験しない事実に対して大きな焦りを感じない理由としては、上記のような不安をそのまま経験するような過去の様々な実体験がある中で、その結果として現れた現在の生活環境や、世の中で生じる様々な事件や出来事を鑑みた結果、結論として中学受験の有無が子や個人の将来の幸せに対して何ら確定的な影響をもたらさないと理解するに至ったからに他なりません。

要するに、中学受験したから子が将来幸せになるとか、中学受験しなかったから子が不幸になるというような確定的な因果関係が認められない中で、徒らに焦ってみても仕方がないのではないか。

様々な状況や経験を半世紀にわたり積み重ねた結果、それがどのような動機であれ本人が明確な意思表示を示している以上、親としては大いなる不安を抱きながらも、焦ることなく子の意思を見守る気持ちに至るようになったのです。

高校も大学も、次男には兄ほど出来すぎた結果は望まない中で、本人が希望する将来の目標をいずれ明確に見出して、それを実現するために必要な努力を、自ら実行するに至ればよいなと考えています。

それが高校や大学進学でなかったとしても、本人が求める道がそこにあるのであれば、それはそれで尊重すべき一つの生き方ではないかと感じます。

今どきの小学生像

 もしかすると、私自身がそう感じているのは、過去の経験以上に世の中や地球環境があまりにも大きく変わりつつある社会の中で、現代の東京にリアルに生きる子に対し、旧世代の価値観で子の未来を推し測ることへの虚しさや無力感を強く感じているからかもしれません。

これからの社会や未来を生きる子供たちにとって、本人の意思を無視してまで中学受験を促すことが、将来への正しい道なのか、私自身には自信をもって断定することができません。

次男は先日も小学校の同級生から、週末に自由が丘に子供たちだけでタピオカを飲みに行こうという誘いを受けました。

40年前に地方の小学生だった私からすると驚愕の実態ですし、現在でも地方の小学生であれば隔世の感があるかもしれませんが、これが現代東京の一般家庭の小学生像なのだと思う時、親としてどのような価値観を子に与えるべきなのか考えてしまいます。

わが家はおそらく保守的な家庭である反面、実際の子に対する対応を客観的に確認してみると、次男には訳あって5年生から電車に乗って一人で渋谷に出かける要件を定期的に与えていますし、そのために子ども携帯ではなくiphonを制限なしで渡すなど、むしろ学校側が心配するような状況を積極的に与え、独立した一個人として接するように心がけています。

もちろん、どのような小学生に対しても、そのような自由な行動を容認するわけではないですが、次男は東大生の兄よりも、一人の人間としてみた場合にはよほどしっかりしているため、親としても成長の過程で自然と信頼し、小学生ながら多くのことを本人に任せているという状況があります。

そのような背景の中で、次男が進むと決めた地元の公立中学校への進学を容認し、現在夢中になって遊んでいるネットゲームに対しても、学校からの注意喚起やSNSにまつわ様々な事件や報道があるのは認識しつつも、一方的にその環境を取り上げる気にもならず、プレイ画面を時々横で観戦しながらゆるやかに見守っているところです。

中学受験しない親の苦しさ

 正直言って、子に中学受験させる方が、親としては何倍も気が楽です。

なぜならば今のご時世には、何を目的としたものか、中学受験させない家庭に対する偏見じみた攻撃的な価値観が存在すると感じることがあるからです。

あくまで生活の中での個人の印象ですが、わが家の周辺では7割程度が外国車、小学校の半数程度が中学受験、そして雑誌の特集で見る限りでは、指定小学校区は家庭の平均年収自体が一千万近くあるようですし、主要な学習塾もその気になればどこにでも通える環境にありますから、周囲には教育に対してかなり熱心な保護者の方が集まっている地域だと思います。

そのような環境で暮らしていると、兄の学歴も相まって、次男が中学受験に向かわないことに驚かれ、その理由について説明を求められることが圧倒的に多いです。

そして中学受験する相手に対し、中学受験しない理由を述べることは、結果的に相手の価値観や子育てへの考えを全面的に否定してしまうことにつながりかねないため、具合が悪い状況が発生することになります。

結果的に、中学受験しない理由を伝える場合には、「金銭的に苦しい」という理由が最もよいということに辿り着きます。

その回答を耳にして初めて相手は、少し気の毒な表情を見せながら納得し、大いなる勝利感と満足感を得て話を終えることができるのです。

そして実際にわが家では、家計に十分な余裕があるわけではないため、次男が地元の中学校に進むということに対し、少なからず歓迎する気持ちがあるのもまた事実です。

私自身は中学受験する家庭に対して何ら否定的な感情を持たないばかりか、むしろ日々頑張る子どもたちに対して、少なからぬ敬意と応援の気持ちを抱いています。

しかし結局のところわが家では、二人の子供のどちらもが中学受験する機会なく成長することとなりました。

その結果、次に高校受験を迎える次男に対し、兄のような最上位を目指す子の保護者が感じる喜びや苦しみとは異なる、大いなる中間層が経験する感情の起伏が訪れるという確定的な未来を潔く受け容れ、そのような環境を子に与えた親の責任として、これから起こる様々な喜びや悲しみから逃げることなく、現実をしっかりと受け止めたいと考えています。

間もなく中学受験本番。

長く過ごした頑張る努力の日々を、本番で十分発揮できるようささやかに応援します。

ではまた次回。