子が成人を迎える親のこころ

2021年1月11日更新:

元服の儀

 長男が成人を迎えました。

そして外のお店で初めて一緒にお酒を飲みました。

出産に立ち会ったあの日から20年、本当に多くのイベントがある中で、感覚的にはあっという間の出来事です。

地方都市から都内への転勤、海外赴任、海外での異動と転居、そして帰国から長男の受験と、本当に目まぐるしく年月が流れた感じです。

そして天命を過ぎた現在でも、仕事においてもプライベートでも、まだまだ創作意欲が沸き上がる自分自身の幸運に感謝しつつ、これからは長男成長を見守る立場から、一人の先輩として、共に歩む人生が新たな楽しみです。

 

親譲りのド短期決戦体質で

 「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」 

のは 、かの坊ちゃんですが、私自身は締め切りギリギリにならないと何事も真剣に取り組めないという質に、子供の頃から辟易しています。

夏休みの宿題が、というのはよく聞かれる話ですが、大学入試の1年前になって初めて大学受験を意識した程度の、地方都市の中にあっても社会や人生に相当鈍感な学生でした。

もっと早い時期から進学や将来というものを意識していたら、また違った結果になったのではないかと感じなくもないですが、今となっては当時に戻りたいとも思いませんし、意識があっても結局は同じようにギリギリに追い詰められてからしか勉強などできていなかったのではないかと逆に感じます。

社会人となってからも20年以上、結局は三つ子の魂を抱えたまま苦労しています。

長男も、実際に大学受験を開始したのは高校2年の11月頃でしたから、都内の一般学生の意識と比べると相当遅いのだと思いますが、それでも短期間の内に結果を出すノウハウは十八番といった感じで、最後は流石に本番に帳尻を合わせてきたなと感じたものです。

その点が1世代を経た進化であればよいのですが、ギリギリまで何もしないという気質は周囲を本当にやきもきさせるものです。これまで自分の周りにいた者の思いが、親となって初めて理解できたような形です。

これから先社会人になっても、何事も追いつめられるまで手を付けないという親譲りの質はおそらくは変わることないと諦めつつも、何事に対しても自分自身が納得できるクオリティの実現だけは妥協することなく追及してほしいと思います。

 

社会人か大学院進学か

 新型コロナの影響で、折角の学生生活が不自由さの中に埋もれていくことに対しては、わが子に限らず全ての学生に対し、本当に気の毒な気持ちでいっぱいです。

この点は大学に限らず、高校、中学、小学校どの世代でも同じ状況だと思いますが、人生で最も自由を贅沢に謳歌できそうな時期である大学2年の前期に外出自粛が重なったことは、やはり気の毒でなりません。

それでも新入生や卒業を控えた学年と比較すると、時間にゆとりがある中での行動制限は、社会的にはまだまだ恵まれた状況なのかもしれません。

夏休みの自由な旅行や自転車での日本横断のような活動はなかなか実現しにくいことには変わりありませんが、何れにしても、駒場での残された仲間との自由な時間を思い切り満喫して欲しいと思います。

親から見るとモラトリアム人間的なイメージの強い長男ですが、意外にも本人は早く社会に出て働きたいと考えているようです。

サークルなどの組織や運営者に対して高い水準を求めることの多い長男であれば、入社後に本人が満足するような企業などなかなか存在しないと思うと同時に、親から見れば性格的にも大学に残って研究者の道に進む方が合うように思うのですが、本人としては年齢や社会的な地位よりも、親から実際に自立するための資本を早く手にしたいという思いが強いようです。

 

親への配慮、親からの気持ち 

 今まで親として長男に何ができたかといえば、経済的に特にゆとりがあるわけでもないわが家では、大したこともしてやれずに過ごしてしまったかなと反省する部分も多々あります。

海外旅行に出かけるわけでもなく、習い事に投資するわけでもなく、また私立の学校に行かせることもせずにここまで過ごしてきました。

長男が日比谷高校に進学したのも、東京大学を選択したのも、私自身が進学先を指定しているわけではないのですが、本人の中では親の気持ちや家計への配慮が大きく占めていたようです。

東京の大学に通いたいという長男に対し、むしろ京大に進んで下宿でもしたらという言葉を度々かけたことに対しても、長男の中では本当はそうしたいと思う気持ちを抑えていたところがあるようで、気の毒なことをしたかなと感じています。

そのような背景も手伝って、早く経済的に自立して独り立ちしたいという気持ちに繋がっているのだと理解しています。

そうした我が家ですので、子供達のために何か特別なことができたわけではないのですが、それでも二十歳を迎えた日には、長男が生まれた際に本人名義で作った株式口座を手渡しました。

この中には、学生にとっては少なくはない金額が入っていることは確かで、社会人になる際や結婚して本当の意味で独立する際に渡そうかとも考えたのですが、先のような長男の気持ちも汲み、また証券会社からも本人の成人としての自立を促す新しいパスワードが送られてきたために、この機会に本人に口座の管理を委ねることにしたのです。

手元資金に余裕のないわが家が投資にお金を回せたのは、日経平均でいえば7,000円を割るような時期に限られているのですが、それでもそうした時期に拾った投資資産が、日頃はいざという際の保険として、願わくば将来ここぞというタイミングで子の背中を押すような活用がされれば良いなと願っています。

それ以上に子に対して果たせた特別なことがあるといえば、よくも悪くもいつもそばにいて、子の成長にしっかりと寄り添ったことかもしれません。

そしてこれからは、一歩も二歩も離れて静かに見守ることが、親として果たすべき責任なのかなと感じます。

 

そして次男の物語

 長男が成人したことで、親として一つの区切りがついた子育てですが、次男が成人し社会人として自立するまでは、まだまだ長い時間があります。

弟が成人を迎えるのはまだ7年先、その期間を新たな子育ての苦労か楽しみかと問われたら、正直楽しみとしか答えようがありません。

よくも悪くも、好みも性格も頭の良さも全く異なる二人の子がゆとりあるスパンで育つことで、一つの幕が下り、また新しい子育ての物語が始まるという期待感が強いです。

兄ほどの賢さはないものの、感受性豊かで心優しい弟がどのような喜怒哀楽の感情をもたらしてくれるのか、別の視点を通じて社会を見る新たな経験の始まりです。

離れた年の子を持つことは、子育てが終わるのが遅くなるという反面、上の子が小さな父親のように下の子の面倒を見てくれるという点や、経済的には何と言っても教育費のピークが重ならないという優れた点があります。

7歳年が離れていると、ちょうど上が大学を卒業する年に下が高校に入学するといったように、子育てが長引く反面、学費面では一人分の負担が長く続く形となり、ピークの山が低く平坦に抑えられるといったメリットを感じます。

まだ始まったばかりの青年期へと続く次男の第二章がどのような物語となるか、これからの展開が待ち望まれます。

ではまた次回。

 

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