若葉で行こう!はじめての運転

初心者わかばドライバー

 長男が運転免許を取得しました。

生来の計画性のなさと新型コロナの影響で、だいぶ遅い取得となったようです。

そして父親のすべきこととして、任意保険の契約内容更新を済ませることと、初心者運転のコドライバーとして、しばらくの間長男のドライブに付合うことになりそうです。

 

高校卒業と成人とお酒と運転免許

 冷静に考えれば自明の理ですが、子が高校を卒業すると、急激に社会との接点が増えることに改めて気づきます。

大学生なったと思ったら、アッというまの成人でお酒も普通に飲むようになり、運転免許を持つに至っては、自ら公道を疾走するようになります。

大学生となるまでは、親が保護すべき対象という感覚がありましたが、実際に大学に入り、コロナを除けば家にいるのかいないのか分からないような状況になってみると、子どもというよりは一個人という印象が強くなります。

学校や友人関係、バイトやお酒やその他の社会活動であれば、公序良俗を意識しながら自分の価値観に従って自由に活動すればよいと思いますが、車の運転に関しては、特に23区を中心に乗る機会が多い場合には、ある程度の助走期間というものは必要だと感じます。

歩行者と密に交わる危険の低い地方の運転環境と異なり、都心のドライブは、家から出た瞬間からいきなり難易度の高い状況が連続する環境であるため、社会のためにも自衛のためにも、自動車学校卒業後も、ある程度の保護観察期間はあってよいと思います。 

 

初心者ドライバーと親心

 免許取りたての長男ですが、運転は大好きなようで車に乗りたがります。

本当はマニュアル車に乗りたいようですが、その気持ちは分かります。子が巣立って妻と二人だけになった暁には、ジムニーのマニュアル車がほしいと密かに思う私自身も、本当はシフトレバーをガチャガチャ操作しながら走るのが好きなのです。

新型コロナ以降、現在も自由裁量で在宅勤務を選択できる環境にあり、また労働時間もフレキシブルであるため、長男の初めての運転は平日の日中に行いました。

初心者の助手席に座って公道を走って初めて感じることですが、30年ほど前に田舎道で運転を練習した身からすると、都内で運転デビューするのは本当に厳しい気がします。

幹線に出るまでの一般道さえ、というよりも住宅街の生活道こそ、テレビゲームのようにあちこちから絶え間なく現れる危険キャラにより、気の抜けない状況が連続します。

最初の内は、目まぐるしく変わる交通状況を見ながらいちいち声をかけ、かえって口論になる状況もありましたが、10分程も走ると案外大丈夫と思うようになりました。

そして初めての運転に付き合ってみて改めて感じるのは、親が心配するまでもなく、子は学校なり自ら調べ考えた知識や経験により、自分なりの社会性やルールを培ってそれなりに生きていくものだということです。

行き過ぎた老婆心からくる過保護に陥りがちな現在の保護者にとっては、子の主体性に任せるということが親として最も必要な能力の一つだと思うのですが、初のドライブに付き合って思うことは正にその点です。

先回りしてあれこれアドバイスを出すことが、必ずしも運転者の成長につながるとは限らないばかりか、現実的には、運転する本人にとってはむしろ運転しにくく危険な状況さえ生み出し兼ねないということです。

もちろん指摘したい点は少なからず発生するのですが、本当に危険を回避するような注意喚起以外は聞かれるまで何も言わず、ただただ横に座ることに徹しました。

初めてのドライブに同行したいと言ってはしゃいでいた妻も、やがていつの間にか眠ってしまい、特に特筆すべき事件や騒動も発生しないままに、初めての公道デビューは終わったのです。

 

渋谷スクランブル交差点通過

 2回目の運転は、週末に弟を渋谷まで乗せていくというミッションです。

次男も案外嫌がらず、兄の運転する車に乗り込んできました。なんだかんだ言っても、電車で渋谷に向かうよりは、車で送ってもらえる方が圧倒的に楽なのでしょう。

まだ1回しか実運転したことがない初心者ドライバーに、週末の渋谷の街を走らせるのもどうかと少し考えましたが、そうはいっても免許は持っているのであるし、一般道にはかわりないし、単独で都会の雑踏を走らなければならない状況がいつ発生するかも分からないことを考えると、躊躇する気持ちもそれほど強くは生じませんでした。

ただいつもとは少し経路を変え、生活道路はなるべく避けるようにし、幹線道路を結んで渋谷の中心を目指しました。

週末の246号は大した渋滞も発生することなく、スムーズに流れます。

今まで自分自身でハンドルを握ることしかなかった道を、長男の運転する車で走ることは、ある種新鮮な経験です。

中学、高校、大学へと進む過程で生じる節目の行事や、二十歳になったら一緒にお酒を飲むという意識されやすいイベントとは異なり、子の運転する車に乗るという経験は、ほとんど意識すらしなかったイベントであるものの、実際のところは親子の強い関わりが生じる体験であり、同時に子育ての終焉が近づいたことを実感させる出来事です。

親が気付かない内に、子は着実に成長しているものです。

そして家族4人を乗せた車は、秋の週末のスクランブル交差点に滑り込みます。

コロナ自粛期間には、運転しながら赤信号を待つ人の数を数えられるほど人の出が少なかった世界有数の知名度を持つ交差点も、この週末はコロナが嘘であったかのような人ごみに溢れかえっていました。

いつの頃からか渋谷のスクランブルを走り去ることが半ば習慣化し、ある意味日常的な風景の一つになっていたものの、助手席の窓からこの交差点の通過を眺めることには、ある種の感慨が込み上げます。

大学生活がまだまだ不自由な中で、長男にとっても車に乗って新しい街に出かけることが、しばらくは新たな好奇心と自由を手に入れることに寄与するのかもしれません。

出不精な私自身に代わって様々な場所を訪ね走り、その時々の場所や出来事について、いろいろ聞かせてほしいなと思います。

 

自動車保険の条件変更

 そして長男が運転することで変化することの一つに、自動車保険があります。

これまでは当たり前であった年齢制限を外すことで、保険料は相当跳ね上がります。

今まで知識としては認識し、実感としては気づかなかったことですが、20歳以下のドライバーの運転に対して保険を適用するためには、30歳限定と比較して何倍もの負担が必要となります。 

これに対し、イメージと異なり影響が小さいのが家族限定割引です。

年齢制限なしの場合の数万円の負担増加に対し、家族限定はせいぜい数百円の差です。 長男が友人とドライブに出かける場合、誰が運転するかも分からない状況にあって、家族限定を付加する動機には乏しい金額です。

わが家の車はぶつけてもあまりショックに感じないような小さな大衆車ですので、対人対物事故には十分気をつけるのは当然としても、オンライン授業が継続するこの機会に、大いに運転に慣れ、また友人との交流を深めるに至ってほしいなと思います。

今にして思えば30年も前、私自身が地方の大学生だった頃、当然のように親に専用車を与えてもらい自由に乗り回していた状況を思うと、不動産にかかる負担は桁違いに異なるとはいえ、両親の家計に対する計画性や経済力については頭の下がる思いです。

翻って親としての私自身にできることといえば、子が車で出かけることに対し、黙って容認し、無事な帰りをじっと待ち続けることでしょうか。

これからは今までとは異なる、また別の親力が試されそうです。

いずれにしても安全運転には最大の注意を払いながら、自他共に望まない事態が生じないような自動車ライフを送ってほしいと思います。

次に発生する大きなイベントとしては、社会人としての旅立ちや結婚といった、人生の中でとりわけ大きな意味を持つ節目の出来事になるのだと思うのですが、現在の長男を見ている限りにおいては、どちらも全く実現性が乏しい出来事のように感じます。

またいつの間にか親の預かり知らない場所で、自分自身の人生の歩みを固めるのでしょうか。

親として観察すべき行事やイベントは、まだまだ続きそうな予感です。

ではまた次回。

 

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