隠れトランプと大統領選の行方

10/30大統領選状況/出典:RealClearPolitics

10/30大統領選状況/出典:RealClearPolitics

 いよいよアメリカ大統領選本番。

個人的にはトランプが再選する方が世界にとっては望ましいと考えていますが、今回もなかなかの劣勢で厳しい状況には変わりありません。

それにしても、民主党は何故バイデンのような候補を立てたのでしょうか?

実績に関わらず、もっと若くて誠実そうでエネルギーに満ち溢れた候補を擁立さえすれば、ずっと楽勝だっただろうにと思います。

直近の東京都知事選挙で野党連合が推した宇都宮候補の際も同じことを感じましたが、選挙プロモーションの立案担当者は、実際の有権者心理や時代に求められる選挙の在り方について、理解が不足しているのではないかと感じてしまいます。

マーケティングやブランディング理論の最先端であるはずの政治世界は、既存価値へのしがらみなどにより、実際には思うように機能しないのかもしれません。

2020年の大統領選は、果たしてどのような結果となるのでしょうか?

 

トランプとエゴの力

 一般的にトランプ支持を表明することは、憚られる行為と見做されるようです。

マスコミの報道を通じて伝わる、知性も品性も感じられない、攻撃的で傲慢で偏見に満ちた偶像イメージからすると、知的で洗練された社会を標榜する常識的な市民であれば、そのように感じるのはごく自然な感情だと思います。

トランプへの支持を大々的に表明しているのが、白人至上主義などの偏った意識を持つ活動団体や得体の知れない集団という印象も、一般の支持者が声を上げにくい土壌を作っていると思われます。

オバマを日経新聞に例えるとするならば、トランプは夕刊フジや東スポというイメージでしょうか。TPOによっては堂々と紙面を広げることが憚られる、といった印象です。

ただ私自身は、現在の世界情勢における大統領としてのトランプは、結構好きなキャラクターです。

少なくとも、今の世界の中ではオバマでなくトランプでよかったと感じています。

新聞やテレビをあまり見ない一人の日本人の立場からすると、オバマの8年間は世界にとって何だったのだろうという感じがします。大統領就任期間に何を行ったのか、世界をよりよい方向に導いたのか、あまり伝わってきません。

これに対してトランプは、情報の接点に対して同じ状況であるにもかかわらず、否が応にも動静が毎日伝わってきます。

そして何よりも、やはり全体主義社会が世界制覇を目指して着々と準備を進める中で、オバマ型の洗練された指導者ではとても抗いきれないと思うのです。

独裁国家の最大の強みは、仕方がないと思わせるそのキャラの力だと思います。

エゴの力とでもいうべきでしょうか。

○○だから約束やルールを守らなくても仕方がない、○○だからこんなに恥ずかし気もなく図々しい真似ができる。

ビジネスにおいても政治においても個人においても、この、一般常識や他者の利益や立場に配慮せずに自らの主張を臆面もなく推し進めることができるという資質は、物凄く強い力であると感じます。

いわゆる反社会勢力や半グレと呼ばれる人々が強いのも、政治家や活動家が幅を効かせるのもこの理屈だと思います。

軍事力や暴力といった物理的な強制力や資金力ということ以上に、この対面(面子ではなく)を気にしないという感覚が、常識的な市民社会の中では、自らの意思や主張を押し通すことに対して非常に寄与するのだと思います。

第三者の批判や意見を気にしないという、ある種の無神経さを伴う資質は、顔の見えない誹謗中傷に心が折れてしまう状況が多数を占める人間世界の中では、嫌になる程強いのです。

俗な例えで見ると、静かで幸福な時間の流れるレストランにおいて、落ち度さえないような些細な事象に対し、大声をあげて飲食費を踏み倒すというような能力でしょうか。

そしてトランプは、世界の誰よりも、この力が圧倒的に強いのだと思います。

習近平や金正恩やプーチンといった、日本を取り巻く周辺諸国に位置する独裁的な立場の面々よりも、むしろトランプの方がこうしたエゴ力が強そうなイメージがあります。

そして個人的には、自由世界の秩序を維持するためには、現在のアメリカ大統領には、むしろ全体主義に対応し得るこの圧倒的な無神経さとエゴの力が必要だと思うのです。

 

トランプは国際社会のリトマス紙

 トランプ大統領は、この現実の世の中や人間の本性というものが実際にはどのようなものであるか、分かりやすく炙り出す触媒のように機能しているように感じます。

一見知性と秩序で満たされたように見える現実社会が、実際には『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールドの目を通して見る建前と欺瞞に満ちたインチキな大人の世界であることが、トランプによって白日の下に晒される。

感情を逆なでするような彼の態度や悪態により、立場を異にする者であれば何人も、日頃は深層に隠れた潜在的な感情や人間性を呼び覚まさずにはいられず、ついつい本心をむき出しにしてしまう。

政治家も大企業の経営者も、役人や学者や知識人も、新聞やテレビやマスコミといった公に近く社会的信用や立場があるとされる人々もまた、というよりもそのような人々の方が正に、本当は下種な人種の集まりであることが暴かれることとなり、社会的には小さく弱く愚かで管理される立場であるはずの一般大衆の方が、むしろ健全な人間に見えるという点において、トランプがもたらす世界はむしろ非常に健全な社会ではないかと感じることさえあります。

そしてトランプの登場によってアメリカ社会が分断された、という意見を目にすることがあります。

しかし分断が事実とすれば、本当のところは、彼の登場により社会が分断されたのではなく、分断された社会が初めから存在し、社会全体としてその存在を無視、あるいは人々の日常的な努力の積み重ねでそのような状況が覆い隠され続けていたという方が正しいのではないかと感じます。

トランプがもたらしたもの、その一つは、赤と青の立場の違いを、あるいは社会の隙間に身を隠しながら密かに社会全体に影響を及ぼそうとしている悪意ある立場のものを、リトマス紙のように改めて鮮明に浮かび上がらせたことではないかと感じています。

 

Qアノンと陰謀論

 そしてトランプ大統領がもたらした社会的変化の一つが、これもやはり従来社会の裏側に隠れて表向き存在しないように扱われていた陰謀論や社会的タブーといったものが、一般の目に触れるようになったことではないかと思います。

私自身は「Qアノン」と呼ばれるトランプ支持の人々のことはよく理解していません。

ただ個人的には30代の頃に、いわゆる陰謀論やオカルトとして扱われるような内容の本、例えばデヴィッド・アイク氏が主張している人類を陰で操る爬虫類的宇宙人の存在に代表されるような、まともな大人であれば相手にしないような種類の書籍を相当数読み込んだ経験があるので、そうした主張やそれらを展開する人々が存在すること自体には、あまり違和感は感じません。

そしてこれまでは社会の陰に追いやられていたそうした社会的立場の弱い人々が、アメリカ大統領選の行方に影響を与えるような社会的ムーブメントの一つとして表に現れてきたことは、BLMやLGBTといった少数派が市民権を得ることが社会の正しい方向性とするのであれば、やはり同様に社会的な前進ということになるでしょう。

何れにしても我々一般市民にとっては、こうしたQアノンやBLMやLGBTやあるいはグレタ女史の掲げる地球規模の気候変動といった社会的問題提起が、よりよい社会を実現するための純粋な社会運動であるのか、あるいは特定の政治や利益団体の権利を実現するためのロビー活動の一形態であるのか、本当に分からないことだらけです。

我が国で言えば、日本学術会議のような社会の隙間に隠れて特定の利益を享受しているような公的な活動団体が、おそらくは他にも五万とある気がしますが、もっと白日の元に晒されて、民意を問うような動きが進めばよいなと思います。

個人的には、国会議員をはじめとする都道府県市町村の政治家が、本当に日本国籍所有者なのか、常時国民に報告してほしいと思っています。

この点がはっきりしない限り、政治的主張の本当の意味を問うことが出来ないばかりか、全ての政治活動への支持不支持の判断がつかないと考えるからです。

 

ライ麦畑でつかまえて

 トランプに共感が持てる側面があるとすれば、「現実の大人の世界はインチキとフェイクに満ちている!」と、人類代表の一人とみなされるべきアメリカ大統領自らが高らかに宣言していることかもしれません。

かつてシアトル郊外のベルビュー市を出張で訪れ、現地家族の家に招かれて夕食を共にした際に感じたことは、アメリカの家庭が日々享受する、映画に登場するような芝生付き一戸建ての広くて穏やかな住環境への憧れでした。

夕日を受けてオレンジ色にキラキラと輝く芝生と街並みの美しさは、15年ほど経った今でも消えないイメージとなって心の中に残っています。

そうしたアメリカの穏やかな街並みや人々の心も、様々な意見の対立が顕在化し過激化する現在のアメリカ社会では、過去の憧憬の一部となってしまったのでしょうか。

これまでの美しく調和のとれた社会とは一体何だったのか、何が世界を変えてしまったのか、劣化し、あるいは浸食される社会の様相や、隣人や地域社会への猜疑心や不安に苛まれ余裕を失った人々の心は、アフターコロナに向けた新たな世界を再構築するために必要なスキームの一部であるのでしょうか。

 とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない・・・誰もって大人はだよ・・・僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ・・・つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ。

出典:『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳

ホールデン少年が求めた純粋で穢れのない世界への憧れを、世界が引き続き共有することができるよう、今回の大統領選挙は重要な意味を持つと考えています。

私自身の政治信条は、日本という地政学的にみた現在の国土の中で、日本語が将来にわたり活きた言語として継続するための選択を行うことにあります。

そして社会への信頼や希望を前提とした純粋な世界が、それが故にいつの間にか浸食され、あるいは誤った崖を転がり落ちないよう、ささやかに世の中を見守り続けること。

少なくともそのような観点で見た場合には、今回の大統領選はトランプの再選が現時点でのベターな選択ではないかと感じています。

バイデンが当選した場合の日本の立場やあり方については、正直見通せない要素が大きすぎると感じるからです。

11月3日、ブログを開始してから2度目のアメリカ大統領選は、どのような結果になるのでしょうか。そしてその結果、日本の外交や国防のあり方については、どのように変わり、あるいは変わらずに継続するのでしょうか。

日本にとっても大きな意味を持つ選挙となりそうです。

ではまた次回。


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