新成人の皆さん、おめでとうございます。
本日はわが家の長男も含め、西暦2000年辰年生まれの若者のための祝日です。
しかし残念ながら、晴れの日となるべき成人の日の直前まで、式典を開催するかどうかの判断に行政が揺れていました。23区では、杉並区のみが予定通り会場開催を実施するという報道です。
人とのリアルなつながりを求めて
成人式の集会がリアルで行われる地域の成人の皆さん、おめでとうございます。
一人の保護者としては、一年近くも続く新型コロナのネガティブ報道に負けず、開催を取り止めなかった地域の首長や関係者の方の努力と誠意に感謝です。
おそらくそうした市町村は、マスコミやSNS上だけでなく、地域住民からも徹底的に叩かれるかもしれません。
それでも開催に踏み切るのは、おそらくは、これからの社会を背負う若者に対する思いやりではないかと感じます。
現在この成人年代は、大学への登校を拒まれるなど、コロナ禍の中で社会から最も不遇な扱いを受けている年代の一つだと思いますので、わずか数時間でも、昔の仲間たちとリアルに集う機会が確保されることに対し、嬉しく思います。
「社会人として信頼」思い込め
成人の日前日の2021年1月10日付の日刊スポーツによると、杉並区の話として以下の内容が記載されています(一部抜粋、下線は本ブログによる)。
この数日は平均約100件の成人式関連の問い合わせがあり、中止や延期を望む声が8割ほどあったという。区で慎重に検討した結果、予定通りの開催を決めた。
延期やオンライン開催の協力要請は、式典後に若者が大勢で集まって飲食してどんちゃん騒ぎをするからと、最初から信頼していないことが根底にある。
成人式は新社会人として信頼しているとメッセージを最初に伝える場でもあるし、こちらも開催すると約束していた。
イベント開催条件(=大規模イベントは収容人数の50%を上限に最大5000人)も満たしている。来場しないという選択肢もあります。
感染対策は万全を期しています。式典後は新成人の自覚を持って速やかに帰宅し、両親に感謝していただければ。
杉並区のこの判断は、新成人の親から見ると素直に嬉しい。
国のガイドラインに沿って万全の対策を期して行うイベントであれば、確かに規模に関わらず開催を避ける理由がありません。
そういう意味で行政側は、新成人への配慮はもちろんですが、結果的にどのような状況が発生しようとも、非難される立場や根拠がないという冷静な判断を下しただけかもしれません。
いずれにせよ根底にあるのは、社会への正しい信頼なのだと感じます。
首都圏の大学も、ただただ学生を締め出すのではなく、リアルな集いの場を提供することの社会的な意味を改めて見つめ直して、前向きな対応を行って欲しいと思います。
全うな”延期”判断
ある意味で、今回延期を決めた行政は最も適切な判断を行ったのかもしれません。早い段階で、既に春先や夏に開催を設定している行政も散見されます。
杉並区の問い合わせの8割が中止や延期の要請であることが確かであれば、新成人本人や家族だけでなく、地域住民の不安も相当大きいと考えられるからです。
延期であれば、行政としては開催を望む声にも、中止を求める声にも現時点では応えることになります。
緊急事態宣言の中で開催するよりは、仕切り直した方が参加者は増えると思いますし、批判のある中参加する若者の心理的なプレッシャーも緩和されます。反対を求める立場の方も、感染が落ち着いた状態での開催であれば、理解の余地は増すでしょう。
逆に最終的に中止となるような場合でも、例えばオリンピックが中止になったり無観客開催となるような状況が伴う状況であれば致し方ないと理解が得られるでしょう。
若者への一定の配慮をしたことに対する行政への感謝の気持ちも残るはずです。
ですから緊急事態宣言下での開催よりも、延期の方が現在の社会情勢であれば望まれる判断であるかもしれません。しかし緊急事態宣言下のこの時期に、信頼に基づき敢えて開催する勇気は、やはり行政の主権ある判断として評価したいと思います。
成人式があれば、私自身は楽しんで来いと言って長男の背中を押します。
もちろん、リアル式典に参加するかどうかは、本人や各家庭の考え次第だと思いますし、辞退する方も例年よりも多いでしょう。問題は、その判断が自ら決断した判断かどうかということです。
両親や報道も含めた外野の意見ではなく、成人としての責任において、参加者それぞれが自分の環境や立場を踏まえて判断すべきことだと思います。
それが成人になるということの意味です。
成人式中止またはオンライン開催の愚
改めて、一市民であり、新成人の親の立場からすると、本年度成人式を中止した行政に対しては憤りを感じずには入られません。なぜ延期にしないのかと。
東京オリンピックが中止にならない段階で、延期ではなく早々中止を決定する理由は、調整の難しさ、要するに面倒臭い以外に何かあるのだろうかと考えてしまいます。
おそらくは、新たな会場の確保や参加者の日程調整、あるいは予算上の問題が中心ではないかと思いますが、これは行政の怠慢か、若者への配慮不足のように感じます。
予算の確保は、行政管轄の公共施設で実施することを想定すれば、主な理由にはならないように思います。参加者や会場のスケジュール調整も、直ちに中止を決定する理由にはならないでしょう。予め告知するのであれば、土日以外でも仕方ないでしょう。
同時に、オンライン開催のみで済ませようとする行政に対しても、民意との意識のズレが大きいのではないかと感じてしまいます。
オンライン成人式が、参加予定者のアバターが集まる「あつまれ動物の森」のようなバーチャル式典であればそれは新しい試みとしてありかもしれません。
そうではなく、オンライン授業形式やYouTubeのような視聴型のイベントであれば、全く成人式の意味がありません。有識者の話を聞いたり余興を鑑賞することが目的ではないからです。
成人式の目的の一つは、小学校や中学校卒業以降ばらばらになった地元の仲間と交流し、成長や近況を確認し合うということであって、行政や来賓の話を聞くことは、式典の形式を保つための飾りにすぎません。
オンラインの開催であっても、行政は義務を果たしたことに対して満足し、主人公である新成人は不満が残るという構図が生じます。これは、オンライン授業で片付けようとする大学主催者や講師と同じ発想です。
単純なオンライン対応で済ませる感覚は、首長であれば本来政治家やリーダーであるはずの、大学であれば本来教育者やメンターであるはずの立場からかけ離れた、事なかれ主義の心ない対応のようで残念です。
Z世代の若者たち
マーケティングや社会学的にZ世代と呼ばれる今年の新成人は、小学生となったばかりの2007年に初代iphoneが発売され、スマホと共に育った世代です。
B to Cビジネスに関わる企業にとっては、これからの消費動向やライフスタイルの変化の主導権を握る意識すべき顧客となります。
この世代は、少なくともわが家の二人のZ世代の子供たちは、テレビをほとんど見ることなく、スマホやタブレットとの関わりが深いのが特徴です。
わが家は新聞も取っていませんので、日々のニュースや世論の形成は個々の端末に委ねられていることになります。
長男はツイッターやラインから、次男はYoutubeから取得する情報が多いように思いますが、私自身はこうしたSNSに対しては、インターフェイスは異なるにしても、中身はもはや旧世代のテレビや新聞と大して変わらない情報統制されたオールドメディアになってしまった感覚を受けています。
新型コロナや米大統領選を通じて情報や行動が制限され始めた世界の中で、Z世代の若者たちには、自由で健全な希望ある未来を実現してほしいと期待しています。
新成人おめでとうございます。
ではまた次回。
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