コロナ公立中学の1年を振り返る

次男初めての中学運動会

 次男が小学校を卒業する直前にコロナ自粛が始まり、あれから1年、現在は地元の公立中学の2年生です。

中学を訪問できずの1年間

 長男と次男それぞれの出産に立ち合って以来、子のイベントには積極的に参加してきましたが、コロナの1年間、次男の中学校には1度も足を踏み入れる機会なく、いつの間にか1年が過ぎてしまいました。

入学式に始まり、すべての行事に各家庭一人までの制限が伴ったため、どの行事も妻が参加する結果となったからです。

片道10分程度の通学時間の中、電車に乗ることもオンライン授業もない代わりに、休校も発生しないまま、淡々と学校に通う日々が流れています。

兄と同じ中学校に通っているため、保護者会やPTAの仕事で時々学校を訪れる妻からの情報を通じ、ある程度の学校生活は推察できるものの、それでも中学生として学校内で立ち振る舞う次男の姿は未知の世界です。

私自身の会社生活も、引き続き在宅が中心のため、朝次男を学校に送り出して帰りを迎えるという日々が続いています。家を出た先にどのような世界が広がっているのか、帰宅した次男の表情や言葉をつなぎながら想像を膨らませる毎日です。

生徒会への立候補

 中学生となった次男に関して一番意外だったのは、生徒会に立候補したことです。

次男は母親譲りの性格で、人を慮ることには長けている反面、推薦入試のように自らの主張を発信するような行為は嫌がるタイプの性格なのです。ところが、たまたま当たった担任から推薦を受け、また小学校から親交のある先輩が生徒会長を務めているという縁も重なり、生徒会に参加するモチベーションに繋がったようです。

親としては、自ら進んで人前に立つという選択に驚くと共に、長男とは明らかに異なる学生生活に、また別の面白みを感じています。

地元中学には夢中になるほど興味を引く部活があるわけでもなく、またあったとしてもコロナの影響でなかなか思うようには活動できない状況の中で、生徒会の活動に参加することは、次男の成長にとってはそれなりに意味があるものと感じています。

口下手で人前でも緊張するタイプの次男が、見ず知らずの生徒を前に自らの意見を発表する機会を経験することや、オンラインゲームに参加する時のような気の置けない環境下でのコミュニケーションとは異なり、様々な立場や考えを持った生徒や教師と意見を交わす必要が生じる状況も、内向きな次男にとっては貴重な機会のように感じます。

そして、立候補演説の原稿に対し推敲を求めてきた際には、直接聞き出すには難しい年頃の男子の内面を、文章を通じて垣間見ながら新鮮な驚きを覚えると同時に、日頃は何だかんだと父親に批判的で反抗的な態度を見せるのとは対照的に、その時ばかりは素直に従い、頼りにしてくれる点も親としてはうれしい経験となりました。

落選する生徒も少なからず出る中で得たポジションは、本人にとっては小さな成功体験の一つとなったかもしれません。不自由な学校生活が継続する中で、比較的活動の制限が少ない生徒会には、今後も携わればよいと感じています。

オンライン授業の是非

 中学生の次男と大学生の長男を通じて感じたことの一つに、オンライン授業の是非があります。

コロナが始まった当初は、オンライン授業にいち早く対応することが、教育機関の対応力や優位性を示す指標のような評価がありました。この点では兄の通う東京大学は、最も対応が早かった学校の一つですし、現在も相当授業数をオンラインで賄っています。

方や次男の通う公立中学に関しては、最もオンライン化の対応が遅れている種類の学校の一つではないかと思います。

ところがコロナの1年が経過した現在では、結果論でしかありませんが、このオンライン対応がないことが公立中学の逆説的な良さだと感じています。

毎日学校に通って授業を受け、給食を食べて部活を行って帰宅する。

このかつて当たり前だった日常を、何とか前向きに継続しようとする意識が高いのが、公立中学の強みです。

生徒を学校に集めるより他に選択肢がない故の対応といえばその通りなのですが、コロナが始まった3月の休校を除くと、幾度の緊急事態の中でも対面授業が継続していることに対して、親としては感謝の気持ちを強く抱きます。

私立中学の場合には、学校毎に対面授業とオンライン授業の実施割合は異なるのだと思いますが、最近会ったある私立中学に通う同学年の保護者の方は、緊急事態宣言になると授業がオンラインに切り替わるのだと寂しそうに語っていました。

通わない学校であれば、小中高大どの世代であっても、その学校を選んで所属する意味が半減するのではないかと思うのです。そして何よりも、心身健康な十代の若者が、日々家の中で過ごすことを余儀なくされる状況に対し、貴重な時間を削っているような気がして保護者としては痛々しい気持ちに苛まれます。

これは長男に対しても同じ思いです。

今はとにかく、授業の質や進捗度合よりも、毎日リアルに学校に通って仲間たちと過ごす何でもない時間が貴重だと感じています。

そういう意味では、毎日学校に出かけ、部活で汗を流して帰ってくる次男は、不自由な生活には違いないですが、それでもだいぶ恵まれているのだろうと感じます。

大学も、もっと学生にキャンパスを開放して、交流の機会を積極的に確保してほしいと思います。

そして初めての運動会

 そしてこの新緑の5月中旬に、次男の中学初めての運動会が行われました。

昨年はコロナ初期の拡大懸念の中で中止となりましたが、今年は時間を短縮したものの、観客を入れての運動会となりました。

私自身は引き続き見学枠から漏れたために校内には入れませんが、それでも散歩を兼ねて学校に赴きました。

外からのフェンス越しに見る中学初めての運動会は、小学生の6年間を通じてよく知った子供たちの未だ見ぬ成長の姿と、そして競技に夢中になって参加する子供や、競技を夢中になって応援する色とりどりの子供たちの笑顔に溢れていました。

ふと気づけば、子供たちが集まって一つの行事に向かう姿は、もう一年以上も目にすることのなかった光景です。これこそが、心の中で求めていたあるべき日常です。

そしてその帰り、近くの公園で集まって遊ぶたくさんの園児たちが、マスクを外して遊具に戯れる姿を見るにつれ、今でも本来あるべき社会の姿が思い出され、喜びに目頭が熱くなる思いを感じました。

ああ、こんなにも普通の光景が大切でかけがえのないものだったのだと。

大人たちが無責任に強要する人と人とが隔離された社会の中で、子供たちが大人の常識や日常を疑い抗いながら、前向きに、生きる喜びを感じながら成長してほしい。

そしてあるべき人生の喜びが、再びそれぞれの子供たちの手に帰る日が訪れることを願ってやみません。5月の風に吹かれながら、久しぶりに見る子供たちの満面の笑顔に、忘れかけた日常の喜びを思い出す一日となりました。

ではまた次回。

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