日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

都立学校群制度導入50年 ~日比谷高校の今昔

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 『日比谷潰し』と世間で呼ばれた都立高校学校群制度が導入されたのは1967年、今からちょうど半世紀前のことです。

現在日比谷高校生の保護者となる方は、ちょうどこの時代に生まれた世代が多いのではないでしょうか。私自身も当てはまります。

時代は1964年の東京オリンピックから、1970年の大阪万博が象徴するような高度成長期真っただ中の日本。右肩上がりが当たり前の明るい時代とは対照的に、日比谷高校の東京大学進学実績や人気度は、右肩下がりで一気に落ちていきました。

それでも私が地方都市の公立高校に通っていた1980年代後半、東京ではちょうど日比谷高校の東大合格者が1桁を推移し始めた時代にあって、地方から強く日比谷高校を意識していたことを覚えています。

その理由は今となっては全くの思い違いですが、同時代を生きる若者の言葉として夢中になって聴いた尾崎豊氏が、なぜだか日比谷高校生なのだとずっと思っていたのです。今とは異なり情報を気軽に確認する手段のない時代、そんな日比谷高校に対して地方から長い間、ずっと羨望の念を抱いていたのです。

あれから30年。
何の縁があってかわが子が日比谷高校に入学し、私自身がこのような文章を書くようになって1年以上が経過したこの11月、実家に帰って昔の部屋の本棚を開けた拍子に1冊の文庫本がポロリと棚から落ちてきました。

カバーがかかって何の本だか外からは分からないその表紙をめくってみると、中から顔を覗かせたのは、

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

そう、学校群前最後の日比谷高校生の姿を描き出した作品です。
実はその時、私はまだその本を読んではいませんでした。30年近く前に買ったはずの本が本棚に置かれたまま放置され、買ったことさえ忘れていたのです。だから本当はそれがどのような物語なのか、なぜ芥川賞を獲るに至ったのか、分かりませんでした。

学校群制度から50年経ったある日、今では滅多に開ける機会のない実家の本棚から1冊の本がポロリと落ちてきて、中を見ると輝かしい時代の日比谷生を描いた物語。
少し芝居じみた状況の中、これを読まずして何を読むかという思いでページをめくる。

そこに描かれていたのは、半世紀前に今と同じ敷地に確かにあった青春像。
見たことはないはずの、それでもどこか懐かしい光景です。

今回は、目の前に突然現れた、時代のちょっとした悪戯に敬意を表しながら、学校群制度前の日比谷高校の姿と、半世紀を経た遥か後輩にあたる現在の日比谷生の姿について考えてみたいと思います。

 

都立学校群制度導入の背景

 学校群制度の導入は、一般的には過熱した受験競争を排除することが目的だと言われますが、当時日本の大学受験業界の頂点に君臨した当の日比谷高校自身は、この学校群制度導入についてどう捉えていたのでしょう。

それを示した文章が、日比谷高校百年史に掲載されていますので、見てみましょう。

東京都教育委員会が41年1月に設置した「東京都立高等学校選抜制度審議会」は学校群制度を設ける必要があるという答申を出した。
理由は、「都立高等学校間の格差の現状と、それにともなう中学校における入試準備教育の過熱した状況を緩和し、中学校教育の正常化をはかるため」とされている。
教育委員会はこの答申に沿って準備を進め、7月14日に通達「高等学校入学選抜制度の改善と教育の正常化について」で、四十二年度より学校群制度を実施することを通達した。多くの異論があったにもかかわらず早急な実施決定で唐突の感をまぬがれなかった。

出典:日比谷高校百年史・上巻

ここでは学校群制度導入について、当時の教育委員会が周囲の意見を聞き入れることなく、制度検討からわずか1年足らずで実施に踏み切る見切り発車であったことを指摘しています。
これに対する日比谷高校関係者の意見は、次のようなものとなっています。

 田中喜一郎校長以下、本校の教職員をはじめ、PTA、如蘭会などの本校関係者は、この制度が、創立以来の本校の歴史と伝統に反するのみならず、受験生の志望を生かせないものであるとして、極力この実施に反対の意向を表明したのであるが、「中学校における入試準備教育の過熱」を緩和するという、都教育委員会の方針に、やむなく従わざるを得なかったものである。

後述のように、昭和53年にいたり、都教委は、学校群制度を廃止する方向で検討中であると、公式に表明した。学校群制度の抱えている諸矛盾のうえに、都立高校全体のイメージ・ダウンを放置できなくなったからである。

出典:日比谷高校百年史・上巻


当時の日比谷高校関係者は、当然というべきか、誰もがこの学校群制度導入に反対した様子が描かれています。
理由は、日比谷イズムとでもいうべき文化の継承が困難になるという、容易に予測可能でネガティブな状況に対する危惧から出たものだといえるでしょう。

日比谷高校入学を熱望する学生ではなく、機械的な振り分けにより入学者が決まる制度がもたらす結果の破壊力に対しては、相当な危機感があったものと思われます。
そして制導入後は、関係者が懸念していた通りの矛盾に満ちた結果となったわけですが、導入10年後に見直しを検討し始めた頃には、時既に遅しという状況です。 

学校群制度導入の影響は、例えば、日比谷伝統行事の一つであり、神伝流日本泳法を習得する勝山臨海合宿の参加状況に端的に表れます。

・・・そして戦後直ぐの昭和21年から徐々に盛り返し、復興期と重なるように、昭和31年から41年までは概ね200~300人超が参加するまでに復活したのです。
ところが、昭和42年に突然前年の約半数となる150人を切って以来、参加者が急減してしまいます。 その後はずっと30~60人前後で推移し、つい最近のことですが、平成21年には何があったのか、30人を割っているのです。そして東日本大震災を乗り越えて、またこの数年で100人規模まで急激に増えている。
生徒の自主的な参加が基本ですから、時代背景や生徒のモチベーションで大きく揺れ動くのです。 これは想像ですが、いわゆる学校群制度が導入された時期と参加者が激減した時期が見事に一致するので、個人的には確実にその影響だと思います。

いざ、伝統の第126回 勝山臨海合宿~日本泳法の伝承 - 日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

 

そしてこの種の危機感は、現在筑波大付属駒場高校に代表されるような、改革が叫ばれる国立附属中学高校関係者にもそのまま当てはまるものではないでしょうか。

ちょうど半世紀前に日比谷高校を襲った巨大な津波のような改革のうねりは、当事者にとっては改革というよりは、改悪以外の何物でもない、出る杭を打つ見せしめのような理不尽さを伴った変化として自覚されることでしょう。

かつて日比谷高校が飲み込まれた歴史的事実を知るからこそ、その恐怖は現実の痛みとして生々しく感じられるのです。
そして当時の日比谷高校と比較して、それまで歩んだ歴史や伝統の浅い学校であれば、痛みを伴う改革の結果は、関係者にとっては一層無残なものとなることでしょう。

 

学校群制度により失われたもの

 当時そのように、ある意味日比谷高校的であるものの破壊を目的として導入された学校群制度は、日常的な学校生活に対して、実際はどのような影響をもたらしたのでしょうか。私が特に重要だと感じる点は、東京大学の合格実績のような、表面上の変化ではありません。

それは、日比谷高校が140年の歴史の中で脈々と受け継いだ血であり肉であるところの歴史と伝統、つまり空気や文化といった目に見えないながらもそこにある確かな存在。
大学進学実績とは異なる、学校が持つ特有の文化的無形資産です。

・・・つまり、ぼくは確かにいわゆる「学校群以前」の日比谷の生徒で、学校群によって、まさに見事というかなんというか、すっかり変わってしまった日比谷の姿をいわば砂かぶりで眺めていたわけなのだ。そしてまあ実にいろいろなことを感じ考えた。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」


この、学校における歴史的文化遺産、伝統と呼ばれる種類の無形文化の断絶を肌で感じ、身近に経験した学生の一人が、芥川賞受賞作である『赤頭巾ちゃん気をつけて』の作者であり、ピアニスト中村紘子の夫でもある庄司薫氏です。
氏は、学校群制度前の日比谷高校の様子について、以下のように語っています。

・・・それも、よくみんなが考えるような、受験第一の優等生が勢揃いしたいやらしさなんて、そんな可愛げのあるものじゃないのだ。
つまり、当時の日比谷といえば東大受験競争の総本山みたいなものだってことはわかりきったことなのに、入ってみると試験なんて年に二度っきりで、成績の発表なんてのもないから、誰ができて誰ができないのかという優等生にとって肝心なこと(?)すらさっぱり分からないような仕組みになっている。その上授業そのものも、ほとんど生徒が交替で勝手な講釈をやっているなんてわけだ。
そして馬鹿でかいオーケストラがしょっ中演奏会をやっていたり、おかしな雑誌がボコボコでたり、とにかくクラブ活動が滅多やたらとさかんで、生徒会活動もいつも超満員の生徒総会を中心に猛烈に活潑で、といったありさまで、これを要するに、なんてことだ、学校中が受験競争なんて全く忘れたような顔をして、まるで絵にかいたような戦後民主教育の理想みたいなものを演じていたってわけなのだ。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」


学校群制度導入前の日比谷高校は、実際には大学受験を相当意識しているはずなのに、それをおくびにも出さないような学内の空気に満ちていたことが描かれています。
氏はそれをある種の欺瞞に満ちたインチキ芝居だと、最大限の愛情をこめて皮肉っています。 

・・・日比谷って学校は、先生や普通の生徒はもちろん、こういった口うるさい芸術派やそれに革命派までもが呼吸を合わせて、受験競争などどこ吹く風、みんなその個性を自由にのばしているのだという大インチキ芝居を、学校あげて演じていたというわけなのだ・・・(中略)・・・さっきも言ったように、優等生が集まって受験勉強でガリガリやっているなんていうのはまだいいのだ。
全国の高校生がみんな頭を悩ましている受験競争を、そのまさに焦点にいながら全く無視したような顔をしていること、これは(たとえそれが表面だけのことにしろ)まさに激烈なる現在の生存競争への一侮辱であり、鼻持ちならぬ傲慢さであり、この民主主義社会では許すべからざるエリート意識なのではあるまいか。
この意味でぼくは、民主主義の徹底をはかるという趣旨の学校群制度ができ、それによって日比谷高校が完膚なまでに変わったのは、或る意味で当然のことだとも思うのだ。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」

 

そしてその鼻持ちならない状態が極まった時、突然バブルがはじけるように、その大芝居を含む学校文化が、学校群制度の登場により木っ端みじんに砕け散ったことが述べられます。
氏は、学校群制度が日比谷高校に流れ込んできたその変化の過程を、まるで白い絵の具の中に色のついた異物が流れ込んできたかのような感覚で描いています。

・・・そして実際問題としてこの学校群制度は、この日比谷のいやったらしさを実に見事に一掃したものだ。要するに、インチキお芝居は終わった何もかも、ということになったのだ。
まず影響は芸術派に現れた。芸術っていうのはいつの時代でも一種の贅沢品なのかもしれないが、とにかく受験生には余計なものだってことなのだろう。芸術派はもちろん曲者や変り者は少なくなり、オーケストラも雑誌も各種クラブもいつの間にかだめになり、そして生徒総会も空席が目立ちはじめ、やがて半分にそして三分の一にと減って死んでしまった。・・・(中略)・・・下級生の一部からは、こういう変化に対する反撥の抗議やら署名運動も起こったけれど、それもほんの少数でもう誰もついてきはしない。
みんな小サラリーマンのように受験受験で明けくれて、上級生が生徒総会に誘っても、勉強がありますから、と平然と断る生徒が入ってくるようになったのだから、要するにお芝居はやめよう、キザなインチキはやめて、受験生は受験生らしく素直に受験勉強に邁進しようということなのだ。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」


ここに描かれているのは文化の風薫る、誇り高き名門と呼ばれたある学校の痛々しいまでの変化であることに違いありません。

そこには、天下に轟く大インチキ芝居に加担することを求めて自ら進んで入学した学生ではなく、指定学区の中の進学校の一つとして割り振られた顔のない冷めた学生が異物のように入り込んでくる様が描かれます。

学校群制度は、伝統ある名門校が長い年月の内に培った無形遺産を、まるで百年続いたぬか床をアルコールできれいさっぱり消毒し、ステンレス製のぬか床に入れ替えるような作業であることが描かれます。
 

・・・だからつまりぼくが言いたいのは、ただ、たとえば(いまになるとつくづく思うことだけれど)、あのかつてのいやったらしい日比谷をどうしようもないほどがっちり支えていたようなもの、つまりあの現実を無視したインチキ大芝居なんてものが、実は本当に脆いものものだったなあというようなことなんだ。
つまりぼくは、僕の下級生たちが、たとえば学校群という福引みたいな形で入ってきたとしても、実際問題としてそんなにも極端に程度が落ちたとは思わない(それに、考えてみれば、下級生たちはむしろ気の毒なんだ)。でも問題はそんなことではないのだ。
ああいうキザでいやったらしい大芝居というには、それを続けるにはそれこそ全員が意地を張って見栄を張って無理をして大騒ぎしなければならないけれど、壊すだんになればそれこそ刃物はいらない。誰かほんの一にぎりの生徒が、この受験競争のさ中になりふりかかまっていられるか、と一言口に出せばもうそれで終わり、だれか一握りの生徒が「勉強がありますから」と平気で生徒総会を欠席すればもうそれで最後といったそんなものだったのではないだろうか。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」


坂の上の雲の時代から近代日本を支え続けた偉大な先輩たちの演じた伝統的な大芝居を、新しい制度による一突きで一瞬にして粉々にしてしまう。

ここに描かれた状況は、日比谷高校という一つの学校に生じた悲劇にとどまらず、例えば戦後GHQによる日本的な価値観に対する占領政策や、現代ではグローバル社会という名の元に猛威を振るう資本第一主義が、日本社会だけでなく世界中の家庭や生活にもたらした、ある種の劣化した世界、残念ながら我々が生まれ育った半世紀の間に起きた、そうした人間の後退した状況を端的に表しているのではないかと感じます。

一般的には、学校群制度によって、従来日比谷高校に入学していた学生層が、周辺の私立や国立附属に流れ、現在までの半世紀続く新しい学校序列が生じたという事になっています。

そして同時に学校群制度というある種の社会的事件によって、首都圏の多くの子供たちが中学受験に向かい、善悪の価値観もはっきりしないより早い段階で、グローバル経済という合理的でマトモな芝居の片棒を、何の疑いもなく自ら進んで担ぐことになったのです。  

 でも、それにしてもかつての日比谷高校ほど、あんなにもいやったらしくてキザで、鼻持ちならぬほどカッコよく気取っていた高等学校はなかったのだよ。そしてこれだけは確かだけれど、ああいう学校をつぶすのは簡単だけれど、これをまた作ろうとしたってもう絶対に、それこそちょっとやそっとではできはしないんだよ。

出典:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」

 

そして私の見る限り、「ああいう学校」は、日比谷高校からバトンを受けたどの学校も実現できずに現在まで続いているのではないかと思います。
確かに東京大学をはじめとする、大学進学実績は後を継いで十分足るでしょう。

しかしあれから半世紀経った今でさえ、どの学校もあの一声、「この受験競争のさ中になりふりかかまっていられるか」という一言を克服するには至っていない。
そして正にその状況が、塾依存という状況を生み出したのではないでしょうか。

「本校は大学受験を意識した授業や指導は行っていません。むしろ課外活動に力を入れています。進学実績は結果にすぎません。」

学校側がこうした言葉を述べ始めれば、それは確かに中程度のインチキに到達したサインのように響きます。
衣食足りて礼節を知るの如く、他校を圧倒する高い進学実績と引き換えに、初めてこうしたインチキたる言葉を吐くことができる立場を得ることになります。

ただ学校側が、その礼節を支える学習塾の存在に蓋をしているのであれば、それはインチキとさえ言えない、ある種の社会悪といえる状況であり、もし仮に、本当に塾という存在を意識さえしない言葉であれば、それはもう悲劇を通り越した一大喜劇というべき滑稽な状況であるのではないでしょうか。

 

新生日比谷高校が獲得したもの

 学校群制度で壊滅的に破壊された日比谷高校は、昨今再び耳目を集める存在に浮上してきました。
特に2016年春の、東京大学合格者が45年ぶりに50人を越えたことによって、世間の風向きが大きく変わったように感じます。
それはまるで、もうずっと昔から変わらずそうだったかのような、当たり前の状況のように錯覚する程です。

もちろん往年の日比谷高校と比較すれば、進学実績もさることながら、今まで見てきた無形資産という意味での復活は、まだまだ足元にさえ及ばない状況といえるでしょう。

しかし個人的には、それは決して悲観すべきことではないと思います。
なぜならば、インチキ大芝居を始めるにしても、まずは先のような、ほどほどのインチキを確立しなくてはならないからです。

しかも新しい日比谷高校が目指すのは、実は、もはや大中小のインチキ芝居などではなく、あるいは現在教育界が変えようとしている今目の前に溢れる中インチキな仕組みでもなく、それこそあの時代に大真面目に演じ続けた「絵にかいたような戦後民主教育の理想みたいなもの」そのものなのだから。

それを、中学受験や、公立中学における内申点のような、日比谷生になるために目の前に転がる誘惑や障害を無視したりやっつけたり、あるいは中高一貫校の先取り授業のようなずる賢い仕組みに抗って前に進めていかないといけないのだから。

往年の日比谷高校に入学するような家庭の子供は、この半世紀の間は、早々に麻布中学にでも行ってしまっただろうし、今なら小石川にでも行こうとするかもしれない。
だから今の日比谷高校に入るのは、実はある意味学校群前の日比谷高校に入るよりもずっと厳しいハードルを乗り越えなければならない。

何しろ中高一貫校に行かないという大芝居を世間に向かって演じなければならないのだから、それこそガチガチの信念の持ち主か、何らかの理由で一貫校に行かなかったという幸運が求められる。

そしてその中で、「戦後民主教育の理想みたいなもの」を、学校も教師も生徒も保護者も皆、大マジメにやろうとしているのだから堪らない。
それこそ学校群前の日比谷生でも気恥ずかしくてまともに取り合わなかった、受験も勉強も部活もそして恋愛も、芝居どころか全部隠さず正面から大真面目に取組もうという態度なのだから。

だから今の日比谷は学校群前の日比谷とは違うのは、当たり前のこと。
半世紀経った今、社会環境も、求められているものも異なるのだから。
そして現在の日比谷生が得るある種の幸運は、往年の日比谷生では獲得しえない、これからの新しい時代に求められる資質そのものといえるのだから。

 

新生ミニと旧型ミニ

 BMWミニとローバーミニが違うって、当り前じゃないか?
でもどちらも皆が好きなミニはミニ。

個人的には、現行ミニはいわゆるクラッシックミニとは全然違う車だと思うし、だいたい大きさがもうミニじゃない。
全然小さくないのに皆がミニだと思っているし、正当進化だと認めている。
旧型ミニに手を出せなかったオーナーだって、今なら大歓迎。

つまりだれか一握りのオーナーが、「これが今のミニなんだ」と一言口に出せばもうそれで終わり。先輩たちに最大限の敬意を払うにしても、もう昔のミニがどれほど優れた名車であったか気にはしない。

これは今の日比谷高校と全く同じ状況ではないだろうか?
今の時代を走り抜き未来を切り開く、新しいエンジンやボディーが備わっている。
その上で、その名前や形やその土地が宿す遺伝子のような過去から未来への繋がりが、暖簾や伝統の力として日比谷マインドを再構築し、無形文化である先輩方の偉大な志と遺産を受け継ぎ未来へと導く。

君は今、新しいミニに乗って走り出す。
その時にはもう、後ろを振り返る必要はないのだと思うのです。

そして将来、数字やAIが我が物顔で闊歩する世界の中で、我々が血の通わないもののふの奴隷となってしまわないよう、そして我々の生活そのものが、マトリクスのような仮想現実と呼ばれる大インチキ芝居の中に納まってしまわないよう、新しい日比谷生には大真面目に、人間が輝く明るい世界の実現を目指してもらいたいと思います。

そしてきっとそのために、新生日比谷生は辛抱強く泥臭い通過儀礼によって、その資質を試されているのではないかと思います。

もしかすると、日比谷高校が学校群制度によって一度死の淵をさまよったのは、半世紀後の危惧すべき日本の教育の状況を打開する存在となるための、歴史が与えた死と再生のプログラムであったのかもしれません。

ささやかなあとがき

 最後にちょっと告白すると、僕(初めてぼくと書いた。文章的影響を受けやすいのかもしれない)は今こんなことをいろいろ話してしまって、何となく恥ずかしいというか困っているところがあるのだ。
というのは(もうバレているかもしれないが)、実は僕は日比谷高校とは何の関係もない人間なのだ。

OBでもないし学校関係者でもないし、もちろん都立専門塾の講師でも何でもない。

ただちょっと子供が縁あってほんの短い時間だけ(たった3年だ)、保護者という立場から、このとてつもなく皆が嫌いであり実は大好きな日比谷高校を通じて、自分の考えを書いているだけなのだ。

そしてこれはなんだかもう最終回みたいな書き方だけど、でも大丈夫。

今回は少し、いつもと違う感傷的な気分になっているだけなのだから。
でも仕方ない、何しろこの日をじっと待つかのように、空から1冊の本が突然降ってきたのだから。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

このタイトルはどうしても好きになれないけれど、でも中身はなかなかのものだ。
正直言うと、半世紀も生きてきて初めて読んだ芥川賞なのだけれど、選考委員もなかなかちゃんと選ぶじゃないかと思ったほどだ(なぜか上から目線なのだが)。

だから君は学校帰りに赤坂見附のサイゼにでも寄って、この本片手に新旧日比谷生の生態をリアルに体験する、というのもありかもしれない。

そしてこれは、『中国行きのスロウ・ボウト』以降の村上春樹を読む気になれない君や、サリンジャーや漱石が好きな君にもオススメできる本には違いない。

それにしても一冊の本が、何らかの意志をもって棚から落ちてくるなんてあることなのだろうか?

実はもしかするとそれこそが、大インチキなウソつき猿芝居なのではなかろうか。
やれやれ。

ではまた次回。

 学校群制度50年後が紡ぐ不思議

往年の日比谷高校を知る 

 大先輩夏目漱石と日比谷高校