グーグルは君を見ている ~情報統制プラットフォーム

2021年8月9日更新:

Googleプラットフォーム

 まだGAFAという言葉が現れる前に書いた本文章から5年が経ちました。

現在ではテキスト中心のブログに代わり、YouTubeが基幹情報プラットフォームとして、テレビに代わって大衆と社会監視側双方の欲求を満たすようになりました。

ブログ開始10日でアカウント停止

 2016年7月開始した当ブログですが、サイト開設後10日ほど経った頃、投稿記事も数えるほどしかない状況で、何故か突然、サイトが検索上に出現しなくなっている事実に気づきました。

ネット上を調べてみると、どうやらグーグル社が定めた規約違反に引っかかり、検索対象から除外制裁を受けたようなのです。 

ブログやウェブ管理に携わる方ならお分かりと思いますが、同社の提供するウェブ管理ツールを見ると、おかしいと思った翌日に、このサイト全体が、悪質なスパムであると認定を受け、アカウント停止が施された旨の通知が届きました。

つまり、グーグル社のサイト監視担当者から、不適切なサイト運営者として退場を命じられたわけです。

都内の高校入試に関し、信頼できる有意義な情報が少ないと感じ、これから受験を迎える方々に少しでも価値のある情報を提供しようとして始めたばかりのブログです。悪意などなく、しかもまだ書き始めて僅か10日余りです。

こうしたことは普通に生じることなのでしょうか?試合開始直後のレッドカードとでも言うべき出来事。その状況に愕然としました。

グーグル検索の仕組みと影響力 

 さて、今回の事件?で初めて認識したことですが、グーグル検索は、何も世の中に存在する全てのウェブページを検索結果として提供しているわけではないのです。

実際はクローラーと呼ばれる徘徊ロボットが、四六時中世界中のネット上を這いずり回って(クロールして)収集した情報を、その親玉である検索エンジンが吟味し、適切で意味のある(とグーグル社が定義した)情報のみを「インデックス」と呼ばれる棚に収めます。

そして、その棚の中に並んだ情報の中から、検索エンジンは利用者に検索結果として情報を提供しているということなのです。ある意味情報のセレクトショップです。

価値ある情報を提供し続けなければ、顧客から見放されるというわけです。つまり我々一般市民は、ある種の検閲を通過した情報だけを検索結果として見ているわけです。

では、同社から退場処分を受けるというのは、どれほどの影響があるのでしょう?

それは、ほぼ全てのインターネット利用者から隔離された、という事に他なりません。

例えば、日本の検索サイトの利用率は、Googleが約7割、Yahooが約2割で、両社でほぼ9割以上を占めています。

しかも実際のところは、どちらも中身はグーグル社の検索アルゴリズムを利用しているため、結局は、並び順などに独自性が現れる程度で、Yahooも実際にはグーグルのOEM商品ということになります。

つまり、グーグル社のインデックスから外された時点で、インターネット利用者の9割以上から断絶されたウェブコンテンツとなり、一般利用者の目には留まらないということになるわけです。要するに存在しないに等しい情報というわけです。

インターネットで情報発信やビジネスを展開する個人や企業にとっては、まさに死活問題となる一大事です。 

情報社会の覇者とグーグル帝国 

 そしてこの出来事をきっかけに、現在の情報社会の覇者が誰なのか、はっきり認識させられました。そう、グーグル社です。

現在では多くの方が、ショップの選択、商品の調査、旅行先やホテルの評判など、四六時中何でも検索しているという人は少なくないでしょう。

必要な行動を起こす前に、まず検索です。

直接目に触れ、手にする主観的な生の情報よりも、検索結果を優先し、誰かの意見を重用する風潮が、いつの間にかできてしまっています。

検索なきところに人生なし。世の中は変わりました。

このように見ると、例えば一時期世界のITプラットフォームを押さえたかに見えたマイクロソフト社などは、既に情報産業ではなく旧世代の製造業者となってしまったことが理解できます。

なぜならば、インターネット情報の利用者にとって、どのOSや端末を経由するかはどうでもいいことなのです。使いやすさや好き嫌いはあるでしょうが、本質的なことではありません。

しかも同社は、自らPCなどの情報端末を商品化したり、強制的なアップデートを送りつけて批判されたり、すっかりかつての余裕や存在感が失われた印象です。盤石に見えたビジネスモデルの崩壊です。

疑いなく、現在の情報プラットフォームは検索エンジンを入り口とするSNSに移行したと言えるでしょう。

繰り返しになりますが、寡占的な検索インデックスの対象から外されるということは、情報の発信者からすると決して起きてはならないことになります。

そして検索の対象は、商品であれサービスであれ、思想や形而上学的な問題であれ、すべての文字情報に及んでいるのです。

情報社会の中で生きている我々は、ネットに繋がる限り、圧倒的な存在であるグーグル社の掌の上で生きていることに等しいのです。物流から思想まで、すべての人間の活動が対象になり、しかも、同一のインフラの上を流れているのです。

素晴らしいビジネスモデルの構築です。

同社が何故、Gmailをはじめとする至れり尽くせりの高度なインフラを無償で世界中に提供できるのか、莫大な事業資金をどこから得ることができるのか、不思議に思ったことはありませんか?

でもこうして考えてみると、現代の情報社会に生きている全ての人々が、検索ボタンを押す度に、日々生活の中で購入するサービスや商品等を通じて、間接的かつ無意識の内に同社にサービス料を払い続けていることになるのです。

しかも同社が提供する情報商品は、公園に転がる空き缶と同じく、検索エンジンにとってはネット上に無償で、しかも無尽蔵に落ちているものなのです。そしてその情報ソースは爆発的に拡大し続けている。

無償どころか、情報の提供者は検索エンジンに釣り上げられるのを期待して、大きな口を開けて待っている。ただ待っているばかりでなく、一番先に針に引っかかるように必死に競争を行っている。

仕入れ原価が0に等しい商品を顧客に提供する一方で、企業からサービス料を徴収しているわけですから、大掛かりなインフラ投資をせよ、無尽蔵の利益が生じるわけです。

ある意味、中央銀行だけが持つ特権的な「通貨発行権」に匹敵する現代の利権、「情報発行権」を同社が握っていることになります。無から利益を生む仕組み、しかも国家の枠組に依存しない一社独占の情報帝国です。

こうなると、組織の健全性や独立性などが気になるところです。隣国政府であれば、あからさまなネット監視を行っているということが常識化している中、我々も気づかないままに大掛かりな情報操作を受けていないという保証はありません。

それどころか2021年現在、YouTubeやツイッター、Facebookなどでは、もはや特定のキーワードに対して規制をかけていることは各社が公に公表する周知の事実です。

アメリカ大統領選挙やパンデミックを通じ明らかになった通り、同社の思想やモラルは歴史を左右するほどに重要な意味を持つ状況です。

検索ロボットと共に生きる

ところで、当ブログの何がグーグル社の機嫌を損ねたのかとタネ明かしすると、どうやら特定のキーワードを重複利用しすぎたようなのです。検索エンジンの上位を狙うための安易で悪質な対策と判断されたのでしょう。

最初の数日は絶望や喪失感を感じたものの、文章を修正して報告したところ、数日の内に早々ペナルティ解除のお知らせが届きました。

その間、日常では気づくことのない、このような疑念を抱きながら過ごしたのです。

その体験は、これから船を漕ぎ出そうとする者にとっては、いきなり襲い掛かった嵐と呼べる苦しい時間でありながら、逆に日頃は気づくことのない彼らの存在を感じることができたという意味で、良い機会を得ることができたといえるでしょう。

インターネットを利用する限り、検索ロボットは、常にあなたを見ています。

そしてスマホを持って暮らす限り、彼らはあなたのそばを片時も離れません。

そして位置情報の発信や検索という行動を通じて、彼らは常にあなたの思想や指向を探り、あなたを四六時中監視しているのです。

あなたが誰かの意にそぐわないと判断されたとき、あなたが発信する位置情報を目がけて、社会的な制裁が飛んでくる日が来るかもしれません。

そしてそれは今、現実社会の中で日々生じていることです。

SNSやマイナンバー時代に生きる我々を把握し操作することは、ネット上に生きるロボットやAIにとっては容易なことかもしれません。

終わりなきパンデミックの広がりと、人々の絆が分断されるこの世界で、情報というもう一つの姿なきウィルスとの闘いが始まっているのかもしれません。

ではまた次回。

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