2021年10月5日更新:
10月5日はJobs氏の命日とか。
iPhone13は益々醜さを増し、新製品リリースまでの期間は短くなり、家電化も進む一方です。一時期アップルの株を保有していましたが、手放しました。個人的には今でもiPhone5sを使っていますが、さすがにバッテリーが寿命なので、この数年来次の機種をどうしようか悩んでいるところです。
新しいSEへの淡い期待
米Appleは日本時間の4月16日に、新世代iPhone SEを発表しました。
2016年型iPhone SEの後継機種とのことですが、iPhone 8とほぼ同じ筐体を採用しているためにずいぶん大きくなってしまい、少し期待外れかなという第一印象です。
個人携帯として今も愛用しているiPhone 5sですが、最近になってバッテリーの劣化が著しく、電池残量が半分になる頃からいきなり電池切れを起こすようになってきました。
とりあえずモバイルバッテリーを購入して急をしのいでいますが、5sのままバッテリーを交換するか機種を変えるべきか悩んでいるところです。
最後の小型機種であるiPhone SEが、今でもそれなりの価格で購入可能であれば迷わずSEを選択するところですが、市場では既に入手困難となっており、プレミアム的な価格であることからどうするべきか迷っています。
iPhone 6以降の製品には、残念ながら魅力を感じないからです。
哲学と美学なき工業製品
ジョブズ氏が亡くなり、iPhone 6が出た辺りからApple社が早くも迷い始めたなと感じました。
経済主義の足音が近づくと同時に、製品に哲学の欠如を感じたからです。
2014年のiPhone 6の登場時点では既に、Apple製品がコモディティ化、つまり大衆家電化への道を歩んでいると気づくには十分なものでした。
そして翌2015年に、光らないリンゴを冠した12インチMackbookが発売されたのを目の当たりにし、家電化路線は確実なものとなりました。Macというよりは、ただのパソコンになってしまったなという感覚です。
かつては近未来的なまぶしさを伴って輝いていた世界のSonyが辿った道を、Appleも順当に歩んでいることが明らかでした。
アップルフリークではないものの、現在わが家には結構なアップル製品が現役で活躍しています。
- iPad2(母パッド)
- 新しいiPad(父パッド)
- iPhone 5s x 2台(夫妻スマホ)
- iPhone SE(弟スマホ)
- iPhone 6sx2台(妻兄スマホ)
- Mackbook air 13' x 2台(妻兄PC)
- Mackbook air 11'(父PC)
- ワイヤレスキーボード x 2台
- iPad(第7世代・弟パッド)
タブレット学習用のアプリが旧世代では動かなくなったために最近購入した次男のiPadを除き、どれもずいぶん時間の経つ古い機種ばかりですが、まだまだ現役で十分活躍しています。
11インチのMackbook airについては、13インチでは大きすぎると感じたため、わざわざ状態の良い中古を探しだして購入するなど、今でもジョブズ製品が活躍しています。
私自身はジョブズ信奉者でも何でもないただの一般消費者ですが、Apple社に対しては若い頃にはそれなりの敬意をもって接してきました。
Windows95とマッキントッシュ
ちょうど大学を卒業する前後にWindows95が発売され、世の中に一大センセーショナルを起こしました。
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)が世界標準になった瞬間です。
今では当たり前すぎてそうではない状況を想像しにくい世の中ですが、Windows95発売前のパソコンといえば、真っ黒な画面が当たり前の時代。何もない宇宙空間のような画面に数字や文字を入力して処理を実行するのが一般的だったのです。
そして95の登場以降、企業に爆発的にPCが普及し、会社でWindowsに触れる日々となりましたが、心の中では先進的なMacのGUIの明らかな2番煎であると感じるWindowsは、アイコンをはじめ何もかもがMacと比較していちいち美しくない事実を嘆き、日々Macへの憧れを抱きながら業務に向かっていました。
iPhoneもiPadも存在しないあの頃、マッキントッシュPCを利用すること自体が私自身の、おそらくは世界中の憧れの対象でした。
医師として、Macを業務で利用する兄がまぶしく見えたものです。
美意識と哲学の忘却
利用している方には大変申し訳ないですが、最新機種のiPhone11を見て驚愕しました。あまりにも美しくない形状となったからです。
アップル製品は、所有しているだけで言葉に表せない満足感や幸福感あるいは優越感を所有者にもたらすフィロソフィーの結晶から、今では他社と機能を競い合うような、ただの家電に陥ってしまいました。
それを端的に表しているのがiPhoneです。
犬のCMを初めて見た時には、センスの悪さに驚愕しましたが、よく考えてみると広告代理店のせいというよりも、機能差を訴えるしかない製品となっていたことが原因なのでしょう。
また、Macbook airのリンゴが光るか光らないかという点もよく話題に上りますが、あれは光る光らない自体の問題というよりも美意識や哲学の問題でしょう。なぜ光るかは美意識で説明できますが、なぜ光らないかは美意識ではなく、経済合理性でしか説明できない種類のものではないでしょうか。
アップルの業績は伸びたか?
ジョブズ氏以降、Appleの業績が伸びたかと問えば、誰もがYESと答えるでしょう。
ジョブズ氏が亡くなったのが2011年10月5日。
永眠後直近の2012年9月期と6年後の2018年9月期の売上高を比較すると以下の通り。
- 2012年9月期 1565億800万$
- 2018年9月期 2655億9500万$
6年間で売上高が1.7倍となり、文句なしの業績伸長です。ところが営業利益率を見てみると、以下のようになります。
- 2012年9月期 35.3%
- 2018年9月期 26.7%(▲8.6%)
これらの数字を見て思うことは、ジョブズ氏以降、アップルは製品をコモディティ化、つまり大衆化することでユーザーを増やして売り上げを伸ばす反面、製品価値の毀損、つまり見えない細部まで浸透した哲学や美意識へのこだわりを捨てたということです。
あるいは、企業の判断として業績を伸ばすためにそのようにしたというよりは、カリスマを失ったことにより、選択の余地なくそのようになったというべきかもしれません。
これと同じ変化は、最近ではディズニー化した『スターウォーズ』にも言えるでしょう。若い頃、何年も次作が出るのを待たされながら、キラキラと輝き憧れの対象だったスペースオペラは、今や大量の消費を促す高度に商業化されたSF映画となってしまいました。
あるいは、1日〇組限定のこだわりの店が、銀行融資を受けて店舗拡大したり、のれん分けのフランチャイズ化をした結果、創業者の細部までのこだわりが薄れ、大衆化、商業化することにも通ずることでしょう。
このようなブランドは街中に数多くあります。
もちろんこうした経営判断は、株式会社であればむしろ選択すべき全うな道かもしれません。ただ、世界を明るく照らすようなワクワク感が失われることは、一般消費者の立場からすると非常に残念な結果です。
iPhone SE2登場への期待と不安
このような文章を書いている過程で、2020年春にiPhone SE「2」なるものが発売されるとの情報を得ました。
SE2に関しては、実はだいぶ前から既にリークされているようです。
この手のひらサイズのiPhoneは、正に私自身のスマホの劣化を待っていたかのようなタイミングで発売されそうなので期待したいところですが、様々な機能を突っ込んで、大きくなったり出っ張ったり、やはりかつての機種とは異なるのではないかと心配しています。
欲張らないでよいので、旧型への敬意やオマージュをこめて、物理ボタンを残したSE当時の筐体のままで登場してほしい。
しかしながら、確定した筐体の大きさを見ると期待は裏切られたようです。
製造効率とマーケティングから生まれた製品といった感じでしょうか。物理ボタンが残っているのがせめてもの救いかもしれません。きっと売れるに違いありませんが、少し残念です。
アップルは、もう家電を超越した絶対的な憧れの対象となる哲学の塊のような工業製品を作る力がなくなってしまっているのでしょうか?
少し寂しい気持ちです。
あるいは、現在のAppleに代わる、新たなAppleが世の中に登場してくるのでしょうか?
経済効率優先の乾いたこの時代に、圧倒的な美意識や哲学で一般消費者を魅了するような製品は再び登場するのでしょうか。
かつて映画『フォレスト・ガンプ』が描いた、人々の夢を背負ったベンチャー企業の象徴としてのアップル社の当時の虹の輝きを、再び取り戻すことができるのでしょうか。あるいはソニーやマイクロソフトの跡を追うように、迷える道を進むのでしょうか。
いずれにしても、春先のAppleの新しいラインアップを、怖いもの見たさで待とうかと思います。
Appleへの憧れを抱いた者として。
ではまた次回。
GAFAを予感した日