香川県ネットゲーム依存条例と新しい学び

 2020年1月10日、香川県が全国初となる「ネット・ゲーム依存症対策条例」施行に向けた素案を公開しました。

具体的な内容としては、

「子どもが睡眠時間を確保し、規則正しい生活習慣を身に付けられるよう、子どものネット依存症につながるようなスマートフォン等の使用に当たっては」

  • 1日60分、学校休日は90分まで
  • 中学生以下は21時まで
  • 高校生は22時まで
  • 罰則規定などはなし

の施行を予定しているようです。言葉の定義としては、

  • ネット・ゲーム:インターネット及びコンピュータゲームをいう。
  • 子ども:18歳未満の者をいう。
  • スマートフォン等:インターネットを利用して情報を閲覧(視聴を含む。)することができるスマートフォン、パソコン等及びコンピュータゲームをいう。

ということですから、ネトゲ(ネットゲーム)だけでなく、依存症につながるような子どものネットの利用全般を規制する条例だということになります。

WHOが定めるゲーム障害

 世界保健機構・WHOは2018年に「国際疾病分類(ICD)」にゲーム障害を追加しています。WHOによると、

  • ゲーム時間や頻度を自ら制御できない
  • 他の関心事や生活よりゲームを最優先する
  • 生活に支障があっても止められない

などの状態が12か月以上続き、朝起きられないなど社会生活に重大な支障が出ている場合にゲーム障害とみなされます。

わが家の次男もその様な傾向が見え隠れすることは事実ですが、今のところ自分自身でプレイ時間と勉強時間の使い分けはしているようですので、経過を観察しながら本人の自主性に任せて遊ばせています。

ただし今回の条例が施行されると、WHOの指針に関わらず、わが家は香川県からネトゲ不良環境家庭に認定され、行政指導の対象となりそうです。

なぜならば、オンライン対戦ゲームに夢中な次男の平均プレイ時間は、香川県の指針を遥かに超えているからです。

小6次男の2019年末ネトゲ平均プレイ時間

小6次男の2019年末ネトゲ平均プレイ時間

ゲーム機の見守り機能でプレイ時間は正確に把握できますが、特に時間制限は設定していませんので自由に遊べます。

2019年度末は冬休みが近づくにつれプレイ時間が延びるとともに、連続ではないものの、冬休みには毎日合計で5時間近く遊んでいました。

テレビゲームは夕食までと決めているため19時以降のプレイはないでが、それでも香川県在住であれば、子育て不適格保護者の仲間入りかもしれません。

ネトゲ規制条例検討委員会

 報道を耳にした際に感じたことは、今回の方針はどのような立場の方が決定したのかということです。

その点は、香川県のホームページに公開されています。

第5回ネトゲ対策検討委員会案内/出典:香川県HP

第5回ネトゲ対策検討委員会案内/出典:香川県HP

上の告知を見ると、素案を作成したのは赤線部の主語となる「議会事務局」になろうかと思いますので、香川県の県職員(実質的には県が発注しているコンサルかもしれません)です。

残念ながら第1回から4回までに行われた提案や意見、議事録などは公開されていないようですので議論の中身は分かりませんが、結果的に冒頭に記載した通りのルールが定められました。

事務局が定めた素案について、最終的に妥当かどうか条例検討委員会で審議するメンバーは以下の通りです。

香川県ネトゲ依存症対策条例検討委員会名簿(年齢追加)

香川県ネトゲ依存症対策条例検討委員会名簿(年齢追加)

委員の平均年齢は60歳近く、40代が不在で30代前半が2名であれば、おそらく多くの委員が現在の小中学生の実像を肌で理解できていないのではないでしょうか。そしてネットゲームがどのようなものか、正しく認識さえしていないように想像してしまいます。

そのような委員会が何を審議するのか。

私自身も日常的にゲームはしませんが、スプラトゥーンが発売された当初は子どもたちと一緒に相当時間プレイして、Sランク程度には到達しました。

現在は、次男がフォートナイトやマイクラを通じて学校の友達と通信しながら遊んでいるのをソファの横で一緒に見たりしています。

保護者であればわが子のピアノ演奏会やサッカーの試合を鑑賞することに喜びを感じると思いますが、家で子がネトゲをプレイしているのを見るのも、習い事や試合を見るのと同じように楽しいですし、実はこれからの教育を考える上で結構勉強になります。

カードゲームからネットゲームへ

 私自身はかつてはゲーム否定派で、長男にはテレビゲームやDSを与えませんでした。その結果、長男は近くの児童館で周りの子がDSで遊んでいるのをじっと見ているということもよくあったようです。

その代わり、モノポリーのようなボードゲームやカードゲームは積極的に一緒に遊んでいました。

ポケモンカードに至っては、東京ドームシティで行われる世界予選に、長男に付き添うついでに私自身も何度も参加しました。ドダイトスやゴウカザルの時代です。

次男とは、デュエルマスターズのバトルを求めてアキバのカードショップによく行ったものです。兄の影響で早くから始めたデュエマですが、多様性社会が進んでいるゲーム界隈では、小学校低学年の次男が将棋や碁の世界と同様に、高校生や大人とも対戦するのです。

そんなわが家がテレビゲームを容認するようになったのは、海外赴任の際に子供たちが自由に外出して友達と遊ぶことができない暮らしが続いたからです。

私自身もテレビゲームで子と一緒に遊ぶようになりました。そして自然とネット上の第三者が参加する、オンラインゲームをプレイするようになったのです。

ネトゲといってもはじめはマリオカートのようなファミリー型のオンラインゲームで遊んでいましたが、帰国後に長男が、高校受験が終わったらスプラトゥーンをやりたいとなり、いわゆるネトゲと言われる世界との接点が生まれました。

初期スプラトゥーンの魅力

 スプラトゥーンをプレイした当初、驚くほどよくできたゲームだなと感じました。

おそらくはネトゲ依存対策の対象となっているTPS、Third Person shooter(第三者視点シューティングゲーム、要するに画面上に自分が動かすキャラクターの姿が見えている戦闘ゲーム)でありながら、過激な表現は控えると共に、オセロや将棋のような対称性のあるプレイ空間に、チームが勝つためには立ち回りの戦略や戦術が重要であるなど、単に相手をキルするだけでない賢さが求められるゲームに仕上がっていたからです。

スプラトゥーン上のmommapapaアバター

スプラトゥーン上のmommapapaアバター

画像は私自身が操るキャラで、恥ずかしながら一時期子ども以上にハマって何時間も夢中で連続プレイしていたことがあります。ゲーム障害に近い状態があったかもしれません。

だから分かるのですが、確かに大人が心配するように、ネットゲームの多くは依存性や射幸性が高まるように、おそらくは意図して作られています。

ただし見方によっては、ネットゲームの中には、日本が世界に後れを取り、これからの教育に必要だと考えられる教育的な要素が多く含まれていることもまた事実なのです。

ネトゲで学ぶ21世紀型教育

「新しい学び」が必要な理由

これからの社会では、情報技術の発展などにより、予測不可能で誰もが避けられない変化が、猛スピードで起こっていきます。これらの変化に対応するために必要なのは、単に「知識を豊富に持っていること」ではありません。今までの常識や先例が通用しない未知の状況下において、「手持ちの知識を活用して解決策を見出す思考力」が重要です。

さらに、「1人で考える」のではなく、「他者と考える」姿勢も重要です。自分の知識・思考だけで激しい変化に対応するのは難しくても、他者の知識・思考を共有することによって、よりよい解決策を見出すことが可能になるからです。特に、グローバリゼーションの進展により、異文化圏に所属する他者とのコミュニケーションが、今後はさらに重要となってくるでしょう。

出典:Z会ミライ研究室ホームページ

ネットゲームに夢中になって遊んでいる次男を見る際に、Z会が指摘する「新し学び」をリアルタイムで実践しているのではないかと感じることがよくあります。

この文章の「知識」をゲームの「技術」、「考える」を「闘う」などと置き換えると、新しい学びが求める姿勢や効果がネットゲームの中で100%実現できるからです。

次男の場合は、ネットゲームの本番であるバトルロイヤル(サバイバル戦闘モード)に参加する前に、装備する武器の種類や特徴、戦闘地形やエリアの特徴など必要な情報を予めネット上で調べ、練習モードで武器の使い方や照準精度を確認したり建築技術を高めたり、動画サイトで強者の立ち振る舞いを研究したりします。

調べるのはネット上の個人サイトやYoutubeなどであり、大人が表現するサイトが多いため、行政が心配するような危険への接点も確かに多いですが、逆に教科書や中学受験では学べないようなレベル設定のない実学的な環境に触れられることも確かです。

そして試合本番ではヘッドセットを装着して仲間と交信し、武器やアイテムを融通し合ったりお互いの進路やターゲットを確認調整しながら、最終目標である生き残りを目指して闘っています。

現在は小学校の仲間との協働が中心ですが、その中には海外に赴任した仲間も含まれることがあり、状況によっては肌の色や言葉の音なる海外の仲間たちとの協働の場として、リアルな異文化コミュニケーションが成り立ちます。

そうした一連の活動を見ていると、ゲームという商業目的で作られた特定の価値観と有限世界に閉じ込められたサイバー空間上の小さな活動に過ぎないのは確かですが、そこには新しい学びが求める、

「今までの常識や先例が通用しない未知の状況下において、異文化圏に所属する他者とのコミュニケーションをとりながら、他者の知識・思考を共有することによって、よりよい解決策を見出す」ことを、楽しみながら経験的に学んでいるのではないか。

かつては山や川で仲間と学んだ社会に必要なリアルな体験を、仮想マネーが象徴するような現代のリアルであるバーチャル世界の中でAIと共に高速体験している。

そんな気持ちになることが多々あります。 

子が算数や昆虫や歴史や地学的な何かに対し、食事も惜しむほど何時間も夢中になって集中していると称賛される日本社会ですが、ネトゲに夢中になっていると1時間で止めるように制限される。

次男を観察していると、対象こそ違うとはいえ、子どもの興味や動機としては学術的な要素に向かう姿と全く同じではないかと感じることがあります。

ですから、ネットゲームについて自ら体験したり理解する努力のない大人たちが、国連や社会の常識的な言論に追従する形で、安易に優等生的な結論を下してしまうことには違和感を感じることもまた確かです。

転ばせない先の杖の行方

 いずれにしても、高校生以下は平日60分、休日は90分以内というゲーム時間を無条件に条例で定めることは、ある意味乱暴なことではないかと感じます。

これはもう、スマホやタブレットが当たり前のデジタルネイティブの時代には馴染まない価値観ではないか。

次男の小学校では男子も女子も、将来なりたい職業の上位に医者やスポーツ選手と並んで「ユーチューバー」がランクしている現実世界で、子どもたちがネトゲに夢中になる理由が何なのか、その事実を理解する前に依存性や射幸性を排除するために興味の対象に近づかせさえしない。

行政や政治家の傾向として、時代や若者の現実を把握しないままに専門家の意見を参考に方針を決定するということが往々にしてあります。直近であれば、大学共通テストにおける民間試験を利用した英語4技能テストの運用決定が挙げられるでしょう。

本物志向、リアルな体験が求められる新しい学びの時代に、これからのリアルであるバーチャル世界のリテラシーに触れる機会からすべての子供たちを無条件に遠ざけることが正しい選択であるのか、張られたフェンスの位置が現実から遠すぎるのではないかと考えてしまいます。

おそらくは多くの保護者の方が家庭の中で、ネトゲに夢中になる子供をゲームから引き剥がすことに苦労していることでしょう。実際には私自身も次男の状況を心配している部分も多々ありますし、同様の課題を抱えています。

そんな親にとっては、行政が条例という形でルール化することは、歓迎すべきことかもしれません。

ただし、ネットを条例で規制することと、子どもたちの関心がネットから離れることとは根本的に異なることだということもまた事実です。

AIと共存する新しい学びの時代にどのようにネットと関わり活用していくべきなのか、時間の長短とは異なる関わり方の本質が求められます。

ネトゲ依存規制は、どのような形で全国に広がるのでしょうか。同時代に対象となる子を持つ親の責任として、わが子のネットへの関心と共に見守っていきたいと思います。

ではまた次回。