日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

はじめて選挙に臨む18歳高校生の君へ ~ダイバーシティと外国人参政権を考える

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 画像出典:NHK NEWS WEB

※今回は、衆議院選に絡む政治色の強い話題を取り上げますが、本ブログでは特定の団体や信条に対する推奨、誹謗中傷を行う意図がない旨を予めお断りしておきます。

 

 10月22日の衆議院選挙では、初めて18歳の有権者が投票します。

それはつまり、現役大学受験生の多くに投票権があるということ。
そして日比谷高校の3年生の多くも有権者。

日常的に首相官邸や国会議事堂の存在を肌で感じ、体育の授業では衆参議院会館の前に位置するグランドで、政権与党の青い看板を目にしながら走る日比谷高校生。

そして学校の行き帰りには機動隊の車両や警察官の横を歩き、授業中には右や左の政治主張団体の街頭演説のダミ声や、学生団体の風に乗って届く声を耳にする。

そんな日比谷高校有権者が、政治の中心にあってどんな一票を投じるのかは興味を引くところ。

理系・文系に関わらず、3年生全員が必修科目として学ぶ政治経済の授業の応用課題としては、ちょうどよいタイミングで臨む国政選挙。

個人的には、今回の衆議院選が初めての投票になるなんてすごく羨ましい。
なぜなら今回の選挙は、

  • 日本の転換期となり得る重要性を持つ。
  • 注目度が高い。
  • 政党のカラーが明確になり分かりやすい。

要するに、話題性があって選択肢が明確で、かつ歴史的重要度が高い。
つまり、投票のし甲斐がある。

だから、今回の選挙デビューを回避するなんてもったいない。
選挙当日の小1時間か、あるいは事前投票を済ませることで、受験勉強にも大きな影響なく国政に参加できる。

しかしながら、日ごろから政治に向き合う高校生は多くはないように思いますし、正直この受験直前期に選挙に意識を向ける時間もないのだろうと思います。

そこで今回は、政治的な立場について考える時間もないまま初めての選挙に臨む、大学受験生であり高校生である君に向け、一人の社会人がどのような立場で投票対象を決めようとしているのか、その判断の過程をささやかにお話ししたいと思います。

 

君が守り大切にしたいもの

 投票するといっても、明確な政治信条や支持政党、政策があるという高校生は少ないでしょう。では何をどう選べばいい?

私自身、固定した支持政党はありません。
でも大切にし、強く守りたいものはある。

  • 個人としては家族を見守ること
  • 自然人としては日本語を未来に残すこと

もちろん社会人として個人として、いろいろな欲求や望みはあるにしても、自分の中の哲学や価値観を突き詰めると、最後はこの二つが残るように思います。

家族を大切にするという個人の信条は一般的にあるにしても、日本語を未来に残すってどういうことだろう?
そんなことわざわざ気にしなくても、当たり前のことではないのか?
君はそう思うかもしれません。

しかし半世紀を生きた一人の日本人としては、その当たり前に思う状況に対して、今や強い危機感や焦りがあります。このままでは遠くない将来、日本語が奪われてしまうのではないかという焦燥感。
そして日本語を消してはならないという強い想い。
世界の中で日本語を、生きた言語として未来まで残していきたいと思うのです。


これは省略語やカタカナ言葉の反乱、若者言葉のような日本語の乱れによって、本来のあるべき日本語が失われてしまうといった日本語の変質に対する危惧ではありません。
その自己変革は、良くも悪くもいつの時代にも経験する生きた言葉の宿命。
時代に合わせて言葉が形を変えるのは、生き続けるためのある種の成長の証です。

そうではなく、文字通り、日本語が地球上から消えてしまう。いや、宇宙から消えてしまうということに対する恐れ。
あるいは日本語が学問上の興味、例えばアトランティスのようにかつて栄えた文明が用いた言葉として、言語学の対象としてのみ残る道を辿るのではないかという恐れ。
そんな本能的な危機感が今、私の中で警告を発しています。

ですから一時代を生きた日本人として、大人として、親として、次の若い世代に残すべき財産として、生きた日本語を母語として使う環境を、守りたいのです。

そしてそれは、選挙で投じる1票が決定する世界なのです。

 

はじめに言葉ありき

 日本語が継続的に存続するためには、日本語を母語とし、唯一の公用語とする受け皿となる国家がどうしても必要です。他にはない唯一の環境。

だから日本語を守ることは、日本としてあるべき国家の枠組みを維持することに限りなく等しい。そして母語を守ることは、ある意味国を守るよりもずっと重く大切なものではないかと思うのです。

仮に地政学的に日本という国土が失われたとしても、日本語が生きていればまた立ち上がることができる。
あるいは人類が地球を捨て、宇宙に新天地を求めたとしても、日本語があればまた日本という価値観や枠組を新たに築き上げることができる。

言葉の中に、文明や民族やその他再生に必要なすべての遺伝子が含まれているように思うのです。

ミサイルで、核爆弾で、あるいは自然災害や小惑星の衝突で、日本の国土や国家の枠組みが脅かされたとしても、言葉があればやり直しができる。
その言霊は魔法の螺旋階段。一つの文明世界を構築する設計図、DNAです。

しかし逆に、日本という国家の枠組みが存在し続けたとしても、例えばそこで使われる母語や公用語が別の言語になったとしたらどうだろう。学校で、職場で、駅や空港で、そしてレストランで。もしかすると家庭の中でさえ。

それは日本と呼べる状態だろうか?
日本という国家は存在する。
しかしそれは、日本語を母語とする文明の継続と呼べるだろうか?

答えはNo。
それは日本とは呼べない別の世界。私はそれを望みません。
時代とともに言葉が変わってもいい。ただ、日本語を母語とした文明が、未来に向けてこの宇宙の片隅に継続してほしいと思うのです。
ただその理由は、論理的に第三者には説明できない。
日本人のアイデンティティや愛国心という感傷的な理由とはちょっと違う。日本語の中に宇宙の根源と響き合うような大切な何かが含まれる、そんな精神世界の感覚と近いのかもしれない。その説明は今はいい。ただ、日本語を守りたい。

その思いの中に、政治信条が生まれるのです。

 

政治信条が生まれるとき

 自分が大切にしたい、その何かを守るために、国の在り方をどう作るのか、国家予算をどう配分するのか、どのような法律の枠組を作り何を制限し、何を推し進めるのか。

その思いを託すのが政治であるはず。
自分の思いが先にあるのだと思うのです。

新聞やテレビ、雑誌などに代表されるマスコミも、SNSやブログ、掲示板などを中心とするネットメディアも、どれも固有の信条や団体の目的を実現するためのプロパガンダを流す場所。中立という立場はありません。

だから君は、マスコミやネットが流す大量の情報を追い駆けて自分の政治信条を作り上げたり、既存の何かに合わせたりするのではなく、自分が大切にしたい価値観やモノやコトが何であるのか、むしろ外部の情報を遮断して内省してみるのがいい。

そしてその大切な何かを守るために、君が持つ1票をどのように投じることが、その思いの実現を助けてくれるのか、実現が難しい場合でも、間違いが少なそうか、そういう目線で投票を行うのがよいのではないかと思います。

保守とかリベラルとか、右とか左とか、カッコいいとかダサいとか、そういうものはどうでもいい。君が大切にしたい思いがあれば基準は何でもいい。

私の場合は、日本語を守り未来につなぐこと。
君にとっての大切な思いは何だろう?

それが今の君にとって、政治に参加する一つの意味。
その行動理由は、もちろん一人一人異なってもいい。君にとって初めてとなる選挙に、行って投票すること。
その経験が、日本の未来をつくる力として、大切ではないかと思うのです。


それにしても、日本語が奪われるということはどういうことでしょうか?

それは身近な例でいえば、台湾やチベットのように、かつて母語であり公用語であった言葉が公の場から消えてしまうこと。
つまりそれは、日本という国家の主権が、日本人と呼ばれる人々の手から失われてしまうこと。外国による主権の剥奪。占領。実効支配。

日本が今も継続してアメリカの占領下にあるかどうかという議論は別にして、今の時代に、そんなことって本当に起きるのでしょうか?

 

日本を実効支配するって案外簡単だ

 最近、土地に関するニュースに個人的にナーバスです。

所有者不明の土地の問題だとか、全国の水源や北海道の森林を外国籍の人々が買い漁っているということなど。

例えば私が日本と対立する国家戦略家なら、次のような対日アジェンダを推進します。

  • 国家予算を日本の土地買収に回すこと。
  • 実質的な移民を大量に送ること。
  • 外国人参政権を認めさせること。

この3点を実行するのなら、日本の実効支配は地方から案外簡単に進むのではないか。

竹島や北方領土のような土地が、日本の内陸部、例えば君の住む隣町に生まれたらどうだろう。しかもそれは日本国憲法が認めた権利を有した合法行為として。

土地は日本国籍を有する者を通じて購入すればいい。そうすることで、外国の足跡さえ残すことはない。

2017年6月現在、日本の国土の20%以上、九州を上回る国土面積の土地所有者が不明な状況の中、既に現時点でも、統計上の外国籍の土地所有よりも遥かに広い面積が実質的な外国所有の国土であるかもしない。
経済成長や利益を追求する間に、いつの間にか国土の管理もできない状況に陥ってしまっているのです。


外国人参政権とトロイの木馬

 そのような中で地方参政権が認められれば、限界村落や人口減少、高齢化の進む自治体を抑えるのは難しいことではないように思われる。その場合、例え日本国籍を有する者が選ばれるとしても、市町村の首長は外国の利益を実現する代表となる。

政治家は、票を食べなければ生きてはいけない存在。
多くの職業政治家は、票を与える者に従う定めから逃れられない弱い立場です。

そして実質的に、日本語を母語や公用語としない自治体が、合法的な存在として各地に立ち上がる。

外国の利益を追求する市町村が足元に広がれば、各地域を支持基盤とする都道府県政を司る議員や知事も、国政を司る国会議員も、外国の利益を日本国憲法の保護の基に追求する者が現れる。

そうなれば、将来あわよくば、政権を奪うことができるかもしれない。仮にそれができないとしても、国家を分断し、弱体化させ、漁夫の利を得る準備は整うことになる。

しかもこの方法は、ミサイルを配備したり空母を建設したりするような軍事予算の投入と比較して、圧倒的に経済的かつクリーンで、何より水面下でアジェンダの実行を進めることができる。戦車も戦闘機も多くの軍人も必要としない。
場合によっては経済協力や、友好の印として表立って進めることができる。

そのように、トロイの木馬は次々に上陸し、日本の各地に配備される。
しかもそれが木馬であることは、扉が開くまでは誰も気づかない。そこに潜む者でさえ、自らが木馬に住む者であることに気づかないかもしれない。

トロイの木馬は現代におけるサイバー上の悪意だけではなく、実社会におけるアジェンダとして、静かに進行しているのかもしれない。民泊も、結果的に木馬の進行を助長する一つの手法のように思われる。

そして木馬の扉を開ける鍵は、外国人参政権。
その時初めてアジェンダは人々の前に起動し、現実に触れるのです。

潜水艇や哨戒機やミサイル発射による日本領土への侵犯は、手品師の左手が大きく弧を描くのと同じように、むしろ人々の注意を引き付けるためのおとりかもしれない。
海を越えて飛んで来る悪意あるミサイルよりも、木馬に隠れた悪意なき大衆に、むしろ母語への脅威を感じます。 

だから今回、外国人参政権が新たな政党の枠組づくりの基本方針に登場したことは、国政を司る者としてはある意味当たり前のことのように思います。
外国人参政権は、人権や外交上の課題ではなく、安全保障上の問題。核ミサイルの発射を意識するのと同じ国防上の課題です。
それを支持するかしないかは、国民に対する重要な意思表示。

驚くことではなく当たり前の線引き。
逆にそういう線引きを、敢えて文章として明示しなければならない程に、既にアジェンダは進行しているのかもしれません。

日本語を守るために、むしろすべての政治家にその態度をはっきり示してほしい。
そう願わずにはいられません。
 

外国人参政権とダイバーシティ 

 外交人参政権への反対と、ダイバーシティの実現は矛盾しない。
そんな明らかなことを何で疑問に思うのだろう?

日本人が日本人と働き、共に生きるこれまでの社会の中において、自己と他者、家族と社会との区別は当たり前のこと。これは差別ではなく区別。
家族同様親しく付き合うことはあっても、自宅の鍵を仲間に配ることなどしない。

国籍や性別、年齢、信条など多様性のある仲間たちと共に働き、共に生きる社会においても、自己と他者、家族と社会との区別は当たり前。何も変わりはしない。
日本人であれ、外国籍の仲間であれ、人としての対応に差異がないのと同じく、自宅の鍵を他人に配ったりはしない。鍵をかけずに眠ることなどしない。

外国人参政権は、自宅の鍵を配ること。
自宅を社会に向けて開放することはしない。
それは家族を見守るための最低限の条件です。
そしてそれは、日本語を守るための最低限の条件なのです。

外国語を話し、働き暮らすことと、外国語を公用語や母語として認めることは次元が異なることなのです。

それは外国に暮らした場合でも同じこと。
外国人である自分に対する参政権を主張するなど考えもしないこと。

むしろ人類の多様性を維持し守るためには、外国人参政権は逆効果。
数の論理が優先されるその仕組みは、世界の民族や国家の信条などの独自性を否定し、多様性の破壊につながると思うのです。 
それが扉を開け、暴れださないようにしっかり鍵をかける。

企業であれば、メールボックスに届いた不審なメールを絶対開けないように指導されることでしょう。万一開けたとしても、トロイの木馬が仕込まれた添付ファイルは実行するなと。
それはシステムの中枢を奪われないための、水際の約束です。

しかし今、日本の各地には、それとは知らずトロイの木馬が多く配置されている。その扉を開け、アジェンダの第3段階を展開する実行ファイルが、外国人参政権。
悪意ある隠れた兵士ばかりでなく、それがなければ善意の住民として暮らす仲間たちも、ひとたび権利が発動したのなら、自らの立場を主張せずにはいられない。

その先にあるのは内紛や民族間の対立。
それはかつて、東欧やアラブ諸国で見かけた悲惨な光景。現在アメリカで見る対立。
あるいはネット上で大人たちが繰り広げる、学校間の優劣の競い合いや誹謗中傷合戦のような、醜い現実だと思うのです。

そのような状況を、私は望みません。


私は選挙の度に、こうした思いに怯えます。
この日本で誰にも憚られることなく、日本語を当たり前のように話す。そうした世の中はこれからも続くのでしょうか。

投票先は現在まだ決めていません。
でも大切にし、強く守りたいものはある。

  • 個人としては家族を見守ること
  • 自然人としては日本語を未来に残すこと

この私の信条を、実現してくれそうな政党や候補者は誰なのか。
それを改めて探す日がまた訪れます。

ただ、現時点で気がかりなことはあります。
外国人参政権に反対で、改憲にも安保法案にも及び腰な、特定の宗教や信条を持たない一般の保守的な人々は、どの船に乗ればいいのかと。

大切な何かを守るために、1票をどのように投じることが、その思いの実現を助けてくれそうか、あるいは間違いが少なそうなのか、これから2週間をかけて、自分の五感でしっかり見極めてみたいと思います。

投票する君へ 

君の思いと、親である私の思いはきっと違う。
年齢も立場も大きく異なるのですから、違って当たり前。
高校生の若い力が、未来の日本の形をつくるためにどんな選択をするのだろう?
君が学んだ政治経済や倫理の授業は、どのような効果をもたらすのだろうか?
今までとは少し違った、楽しみのある選挙になりそうです。

最後にもう一度。
マスコミやSNS上の見解は、特定の利益を実現するためのプロパガンダが含まれます。君の1票を獲得するための広告塔であり、中立ということは難しい。
本記事に主張があるように、すべての報道記事にはそれを書く目的や主義がある。

政治家もマスコミも、主義主張を確かめるためには、真の資金提供者を確かめるのが一番。でもそのような足跡は残しはしないでしょう。
だから君は、携帯上に流れる情報に答えを求めるのではなく、最後は自らの内なる感性を信じてみるのが一番君らしい。


本ブログでは、特定の団体や信条への誘導が目的ではない旨を改めて記載すると共に、ここに書かれた意見については如何なる団体の考えを代表するものでもなく、あくまで私個人に帰属することをお断りしておきます。

ではまた次回。 


>外国の土地取得を巡る課題 (一財)土地総合研究所

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