日比谷高校を志す君に贈る父の言葉

日比谷高校第一志望ながら、日比谷、開成、塾高のどこに入学すべきか、都立合格発表まで悩んだ父親が贈る、上をめざす君と家族を応援する徒然日記

アメフト危険タックルから学ぶ、スポーツ少年団と中学受験に向かう保護者の在り方

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 アメフトの危険タックル問題については、専門家から一般の方まで、今更コメントする隙もないほど様々な批判や見解が溢れている一方で、この一件から保護者として何を学ぶべきかという視点からの発信は、未だ多くは見かけないように思います。

個人的には、今回の出来事は特定の大学や競技で発生した特殊なケースというよりは、子を持つ親が日常の中で経験する今そこにある危険の一つであると感じています。

それは例えば小学生の親であれば、週末に子が参加するスポーツ少年団における指導者と子供たちの間に生じる関係性の中に潜み、中学受験を目指す親子であれば、親と子の間に直接的に生じる可能性のある潜在的な危険です。

アメフト加害当事者のチームメイトが語る、『監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきた』ために知らず知らずの内に蓄積し、臨界点を超えた際に一気に表面を割って噴き出すマグマのような、内部に渦巻くリスクです。 

衝撃的な映像の拡散と明快な善悪の対立を軸に、SNS時代を象徴するような急激な劇場化と過激な公開裁判の様相を帯びた本件は、理事長や元監督が大学の要職を辞任するまでは世論が許さないといった状況です。

そのように世間が未だ興奮気味の中で、我々保護者が冷静に考えなすべきことは、スポーツ競技に限らず受験勉強等において、今回加害者となった生徒が陥ってしまった同じ状況から子を遠ざけること、そして何よりも、親である自分自身が子供にとってのハラスメントの中心人物となってしまわないことです。

そこで今回は、危険タックルの発生過程が浮き彫りにする状況を参考に、この問題を教訓として、小中学生の保護者が学び、襟を正すべき点について考えたいと思います。 

スポーツ少年団に潜む危険

 私自身の経験をお話しすると、小学校は野球、中学校はサッカー、高校ではラグビー、そして大学では中退するまでの1年余りの短い期間でしたが、正に今回の問題の発端となったアメフトを経験しました。ですから、それぞれの競技のルールはもちろん、競技の中で生じる極限状態や、体育会系運動部がどのような組織であるかは概ね承知しているつもりです。

また保護者となってからは、子の成長に伴いJFA日本サッカー協会の公認審判として地元の少年サッカーチームで父親コーチを経験していますから、現在のスポーツ少年団を取り巻く現場状況や生徒および保護者と指導者双方の考えもある程度理解しており、多少なりともその点について語ることができるのではないかと思います。

そのような立場から見ると、今回世間の非難を受けることとなったタイプの指導者は、競技に関わらず、また社会的な地位や立場に関係なく、残念ながらどこにでも存在する可能性があるだろうと言わざるを得ません。

もちろん、地域の子供たちのために惜しみなく週末の時間を無償で提供する素晴らしい指導者が多く存在することは確かです。ただ、そうでない指導者も実際には含まれるでしょう。

すなわち、子の安全の確保と心身の成長を見守ること以上に、主に勝利を通じた組織や自己の社会的評価なり承認欲求の実現を優先する指導者の存在です。

週末に潜むハラスメント

 ハラスメントをばら撒く指導者の下地として、日々の業務の中でパワハラ的な資質を繰り返す社会人が、週末の子供たちに対しても同様に高圧的な振舞いを行う今回の事件のようなケースもありますし、逆に日頃は社会の中での評価が低く、虐げられていると感じる社会人が、子供たちに対して支配的な態度を取ることで、日常では満たされない何かを昇華するという場合もあるかと思います。

いずれにしてもそうした指導者に共通するのは、預かった子供たちを自己実現のための手段の一つとして扱う点であり、『その指示に盲目的に従う』ことを生徒に求める点だといえるでしょう。

この場合に指導者が重視するのは、子供たちの競技者としての心技体の充実以上に、「やらなきゃ意味のない」指導や戦略への忠誠心です。

試合への出場を果たすために盲目的にそれに従う場合には、自分で考え行動する自律心の芽生えや、自らの課題に立ち向かい解決する対応力や精神力の醸成といった、多くの保護者がスポーツを通じて子に自発的に学んでほしいと願う資質とは裏腹に、自ら思考を停止してしまうような、後ろ向きな何かが助長されることになってしまいます。

大部分の地域少年スポーツ団の設立理念は、競技を通じた健全な心身の育成と、恒久的なファンを増やすことであり、そのために指導者が成すべきことは、安全に楽しめる競技環境を提供することであるはずです。しかし実際の現場では、いつの間にか勝利を追い求め、指導者に従うことが優先される状況に陥りがちであることもまた事実です。
 

選抜チームか平等チームか

 地域のスポーツ少年団を預かる多くの指導者は、チーム作りで次のような葛藤に直面することと思います。

  • 試合に勝つための選抜チームとするか
  • 能力に依らない機会均等チームとするか

つまり競技能力の高い子とそうでない子の扱いや、子供や保護者の競技に対するやる気や意識の違いをどう考慮し、具体的には練習での選手の組み合わせや、対外試合に出場する際のメンバーをどう構成するか悩むことになります。

 有料のクラブチームや進学塾であれば、能力や費用負担額に応じて明確に選抜チームを組むことは当たり前の対応と受け入れられますが、地域のスポーツ少年団の場合は、そうした割り切りが難しいこともしばしばです。自由参加の小学生のアマチュアスポーツである以上、所属するすべての子供に対して、保護者が納得できる程度に競技や試合への参加機会を与えることが求められるからです。

選抜チームの場合は、対外試合ではどうしても能力の高い子供が中心となり、そうでない子は勝ち負けに影響のない程度で順番に入れ替わるという状況になりがちです。逆に機会均等とする場合には、試合ではなかなか勝つことが難しいことと、能力の高い子供にとっては物足りなさが残るなど、選抜、均等どちらにしても一長一短で、生徒も保護者も指導者自身も、何らかのストレスや不満を抱くことになります。

指導者の立場から見ると、そうはいっても選手も保護者も、試合となれば勝つことを望む現実がありますし、競技団体の指導者の評価は対外試合の結果によって決まる要素も大きいため、なかなか勝てない場合は指導能力を疑われるなどつらい立場に置かれたり、実力のある生徒が他のチームに移ったりと、競技団体としては表面上どうしてもマイナスの面が多いと受け止めてしまいます。

ですから指導者の気持ちとしては、本当は、実力による選抜チームで練習や試合に臨みたいという気持ちが強いのではないでしょうか。
 

勝敗に現れない指導者の実力

 逆の見方をすると、機会均等的なチーム運営を維持する指導者の方が、より確かなリーダーシップや技術スキルが求められると同時に、子供を見守り成長を促す保護者としての深みのある対応力や包容力が必要いうことになります。

理由は先に記載した通り、チーム全体が平凡な試合結果となる状況を甘んじて受け入れる覚悟が必要であると同時に、それでも子供たちや保護者の理解を得るための団体運営が必要になるからです。試合結果以上に、組織の在り方や指導者の人物像が評価されることとなります。

どのような競技であれ、試合で勝利することはもちろん簡単なことではありませんが、単なる勝利至上主義のチームを作ることは、ですから人として未熟な指導者でも可能なことだと言ってよいでしょう。ただただ勝つために、生徒の自律心を奪い、学びの要素をそぎ落として狭義の指導や戦略を押し付ければいいわけです。

ですから試合実績はあまりパッとしなくても、どこか温かく、長く続くスポーツ少年団が存在するのであれば、それは地域の財産として温かい目で見守ってあげてほしいと思うのです。試合では華やかな実績を残すことができなくても、その中の子供たちはお互い励ましあいながら大きく成長することができる、よき思い出を残す素晴らしい組織であるのかもしれません。

勝利至上主義ではない地域のスポーツ団を生かすのは、そういう意味では、子を預ける保護者側の理解と度量にかかっていると言えるかもしれません。指導者と保護者間の、子の安全と成長を第一に願う相互理解があってこそ、勝ち負けに関わらず、心地の良い情操教育環境が実現できるものだからです。

そしてこうした状況は、最終的には大学合格実績という出口の結果で判断されがちな、中学高校の教育環境についても共通する課題です。

 

ハラスメントから遠ざかるために

 いずれにしても、スポーツ少年団に子を預ける親として気になる点は、内部ハラスメントが密かに横行する組織を避け、保護者が安心し、子供が気持ちよく過ごし成長することができる環境をどう選択するかということです。

この点は、子供の進学先選びに関してもやはり同じことが当てはまります。進学校の中には、大学合格実績を残すために、生徒に対し学びや自主自立の成長機会を提供するよりも、盲目的に受験勉強に向かわせる学校があるように思うからです。

それらを見極めるのは難しいもの。
華やかな競技実績や合格実績のみを頼りに組織を評価することは、ある意味ハラスメントの罠にかかりやすい盲目的な心理状況といえるでしょう。

組織の代表者や指導者と直接コミュニケーションを取ることができればよいのですが、そうした機会はあまり期待できません。ですから少なくとも、競技団体の場合は事前の体験入部で直接環境を確かめること、学校や学習塾であれば事前の説明会に参加して、運営側の人となりを確かめることが大切です。

そして実際に指導者の声や態度、所属する生徒の表情を確かめると共に、母親であれば、その環境に集まる他の母親の様子を観察し、可能であれば積極的にコミュニケーションを取ることで、対外的な美しい数字や文章からは得ることが難しい空気や情報を、五感で受け取ることができるでしょう。

できることなら父親も一緒に参加して、母子とは異なる視点で組織や環境を確認することが望まれます。父親であれば、多くを占める男性指導者の人となりを、職場や社会の常識とも照らし合わせて客観的に判断できることが期待されるからです。父母と当事者である子どもが前向きに評価できる組織であれば、家族にとって、長い時間を過ごす環境として、心地の良い成長空間が期待されるのではないでしょうか。

 

脱保護者ハラスメント

 競技における勝利の意味と受験における合格は、それを目指す生徒や保護者にとっては同じこと。スポーツや芸術面を将来の活動分野としない一般家庭にとっては、むしろ受験における合格が、人生においては遥かに重要な意味を持つでしょう。

それ故に、受験では昔から様々な事件やスキャンダルが発生するのもまた事実です。
特に「親の受験」と言われる中学受験の場合、身近であるが故に、競技における生徒と指導者以上に、逃れようのない支配的な状況やハラスメントが発生しやすい状況があると言えるのだと思います。

子の将来を願う気持ちを超えて、他の保護者への優越感や劣等感に敏感になり、親が希望する合格に向けた勝利至上主義に陥りやすいのです。保護者自身が子の自立心を奪い、思考停止を強要するのでは、反省すべき事件の構図と何ら変わりがありません。

「合格しなきゃ意味ないよ」

そんな言葉の暴力でわが子の手足を縛ってしまわないよう、勝利を願う理由について、今一度冷静に自問する時ではないかと感じます。今回の事件をきっかけに、わが子の進路や将来に期待するものの本質的な意味について、私自身も改めて見つめ直してみたいと思います。

ではまた次回。 

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