大学受験親の心、高校受験子の心

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 長男の高校受験からはや3年が過ぎようとしています。

現在は入試本番が直前に迫った大学受験生の親という立場ですが、特別な自覚はあまりありません。

 

高校受験から大学受験心理の変化

 高校受験の際には、日々自分が受験生の親であることを意識しており、特にこの年末の時期などは、推薦入試を受けるか受けないかの判断に始まり、併願校選びや、各校の合格発表から入学金の振込み手続き完了までの行動スケジュールの確認など、子どもと一緒に受験に臨んでいるような気持ちが強くありました。

そしてネットで配信される些細な受験情報に右往左往したり、模試やテストの結果に一喜一憂したりと、ジェットコースターで未知の軌道を駆け巡るように、気持ちの高揚や落胆を感じながら、神経が落着く暇のない、くたくたな毎日を過ごしていたのです。

例えば今年であれば、直近では東京学芸大学附属高校が12月5日に公開した「入学辞退」に関する学校の意思表明を目にして狼狽していたに違いありません。意味するところが分かりにくい通知内容に、実際多くの受験生が戸惑っているようです。

実は今春受験の母親の方からその文章に対する相談をいただいたのですが、第三者である現在であれば、その文章が入学辞退を認めない旨の通知でないことは明白だと判断がつきます。

しかしながら受験生の立場であれば、様々な意味に解釈できそうな曖昧な文章であるが故に、過剰な深読みをして落ち着かない悶々とした日々を過ごすことになったでしょう。そのように、気持ちに余裕のない日々が続いたのです。

そうした神経の尖った当時の状況と比較すると、大学受験生の親であるはずの現在は、驚くほど穏やかな気持ちです。

その理由は単純で、要するに大学受験を本人に任せているからなのですが、高校受験の際に毎日あれ程気になっていた世間の動向や子の学習状況などは半ば他人事のようにさえ感じます。

長男は父親である私自身の悪い部分を受継いだようで、何事も時間ぎりぎりまで手をつけない性格のため、大学受験においても第一志望に合格する受験学力まではまだまだ隔たりがあるようですが、それでも焦らずに淡々と自分で立てた計画に従って勉強している姿を黙って見守る私自身、親としてもそれなりに成長したのかなという気持がしみじみと湧き上がります。

ソファーに転がってスマホを長く見つめている姿を目にした場合でも、高校受験の際であれば何か言わずにはいられない感情が込み上げたものですが、今では心の中で見守り応援する気持ちに包まれます。本人も自分の置かれた状況を理解した上で、何らかの理由があってそうしているのでしょうから。

 

早期未来確定心理と教養と現実

 最近は、大学入試改革に伴う附属校人気からも明らかなように、子の成長に際し、転ばぬ先の杖以上の先物取引にも似た、未来確定心理が親の側に強く醸成されているのではないかと感じることがあります。

子がまだ自らの志向や判断基準を確立する前から、親が子の将来に対して布石を敷くような心理は、もちろんいつの時代にもあったでしょうが、特に現在はその傾向が強いのではないでしょうか。

現在保護者が初等、中等教育に期待するものは、豊かな情緒や感性の涵養といった深い人間性を獲得するための土台づくり、つまり教養の基礎を形成するというものよりも、先取りや早期化というキーワードに代表される時間軸の前倒しと、それによって期待される社会的成果、例えば受験での合格実績といった具体果実であるように思います。

言うなれば、ファスト・エデュケーション志向とでも呼ぶべき状況が強いと感じます。

そうした周囲の鼻息荒い慌ただしい環境の中で、子の自発的なやる気の発現を待ちながら、大学受験に対しても静かに見守るという立場を保ち積極的に関わることなく暮らす状況は、他の父親の状況は分かりませんが、私自身の中では長男が生まれてから18年の歳月をかけてようやく子離れに対する心の準備ができてきたのではないかと感じるところです。

もちろん、本人が第一志望の大学に合格すれば親としてもうれしいことに違いありませんが、残念ながらそうでない場合でも、高校生活や大学受験に向かう自らの計画や判断に対して現実を受け入れてしっかり前に進んでもらえばそれでいいと感じています。

どこの学校にするとかしないとか、どの学部への進学を希望するとか、将来の収入や社会的な立場が期待できるとか、逆に不利になるからやめろとか、塾に行けとか行くなとか、そうしたことは本人からの求めに応じアドバイスとして客観的に意見を言うことはあっても、基本的には全て本人任せとしていますから、長男にとっての大学受験は、よくも悪くも自分の計画と結果に対して責任を負うという、人生では当たり前の経験を積む機会の一つになることは間違いないと思います。

 

学校選び、専攻か社会的評価か

 幸いにも、長男には学問として取り組みたいテーマが明確にあるようですので、その点は、何がしたいのかよく分からないまま大学受験に突入した私自身と比較すれば評価すべき点だと感じます。

その目指すべき方向が、社会人の先輩として客観的に眺めた場合に、少なくとも短期的にはこれからの時代が求める研究の方向性とは対極のところにあったとしても、またその選択から将来期待される経済面でのリターンが高いものではなかったとしても、私自身は子の自主的な人生の選択を、否定するのではなく前向きに応援してやりたい祝福の気持ちに駆られます。

特に受験校について、学校の社会的な評価や偏差値といった他人の評価軸で選ぶことはせずに、自分の学びたい学問へ実現期待度によって学校や学部を冷静に選ぼうとしている状況は、評価すべきことだと感じます。

その結果、現在の学力であれば十分合格が期待できそうな有名大学を併願受験先から外したり、逆に本人の実力からすると一般的には受験しないと思われる難易度の大学を候補として検討したり、ぶれない自分軸を確立している本人に対し、清々しい潔さや逞しさを感じます。

 

親と子の評価と価値観の違い

 かつて異なる国立大学を二校受験することが可能だった一時代、工業デザイン分野では権威のある千葉大学工学部デザイン科を目指していた私の知人が、大阪大学の工学系学部にも合格した結果、両親や周囲の説得に押されて大阪大学に進学するという、ある種の事件を目の当たりにしたことがあります。

おそらく保護者の観点では、世間の評価、つまるところ旧帝大といった看板や偏差値のより高い大学にわが子を入学させたいという気持ちが強かったのだと思います。

それは親の虚栄心というよりは、子の将来への社会的あるいは経済的な打算、つまりは子のより輝かしい未来を願うという親心であったのかもしれませんが、学生であった当時の私は、ピンポイントで志望校を絞っていた知人の最終判断に驚くとともに、親や大人というものの子に対する影響の大きさについて、驚きをもって受け止めたのでした。

そのような親子の評価の対立した状況は、昔も今も案外多いのではないかと思います。

もし仮にそうした状況がわが子に生じた場合、現在であれば本人が自分で決めるべき課題という気持ちが強いとしても、実際目の前にいくつかの果実が並び、親である自分が思う実を子が選択しない状況が発生する場合には、現在でもやはり虚栄心や何らかの打算的な心が口をついて出てくるのではないかと不安に思う気持ちはあります。

 

自分評価と他人評価を見つめる心

 長男の高校入試では、幸いにもいくつものブランド校への入学切符を手にした結果、当初一択のはずであった日比谷高校への入学について、周囲に語る気持ちとは裏腹に、手続き締め切りの最後まで悩むという複雑な感情を経験しました。

それはたった3年前の事ではありますが、当時は日比谷高校の東大合格者が50人を超えたという事実が明るみになる直前でしたし、現在ほどメディアで持ち上げられる機会もなく、もちろんセンター試験史上初の満点が出たとか東大合格トップ10に返り咲いたとか、公に発信される前向きな情報が今ほど多くはなく、都立を選択するのは経済的な理由というのが根強い固定観念だったということもあり、進学先として日比谷を選択することが本当にベストな選択か迷う気持ちがあったことは事実です。

それはある意味、親としては非常に大きなストレスと不安を伴う選択でした。

そういう意味では、学力に関わらず自分の学びの目的を達成するために冷静に進学先を決定する学生や、家庭の経済事情などの理由により絶対合格を実現するために、何段階もランクを落とした学校を受験する学生などに対しては、ある種の畏敬の念を感じずにはいられません。

そのような自律した判断ができる、ある意味大人びた生徒たちが、将来それぞれの分野において輝く存在となればよいなと思います。

高校受験に臨む受験生の君や保護者の方は、現在様々な状況、冒頭の文章然り、内申点や模試の結果然り、先生や保護者の価値観であったり、学習塾や評論家やネット上の誰かの価値観に心乱されているかもしれません。

けれども君自身の人生は君にしか歩むことができない種類のものであるし、学校の評価どころか、10年先の社会の状況がどのようであるかさえ誰にも分かりません。

自分の下した評価や価値観が今明確にある場合には、それが周囲の多くの評価や価値観とは異なったとしても、親としても子としても、わが家が3年前に経験したように、その自分の判断を信じてみるのも素敵なことかもしれません。

今回このようなとりとめのない言葉を君に贈るのは、おそらくは志望校が決まるまでの年末年始のこの時期が、受験生や保護者にとっては最も悩ましく、家族や先生をはじめ大人と子供の葛藤や対立の多い時期であると思うからです。

そのような時期に、かつて高校受験を通じて経験した保護者の葛藤や、その先の落ち着いた心持をお伝えすることが、悩める心の一つの救いになれば幸いです。

ではまた次回。


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