2018年8月25日更新:
中学受験も高校受験も大学受験も受験本番直前となりました。
試験本番前最後となる模試の志望校判定が思うような結果とならなかった場合、この時期相当不安に陥るでしょう。
ただし、学校生活や部活動に最後まで集中して取り組み、2学期から受験モードに切り替えた君であれば、わが家の様子を見る限り、この冬休みから本番直前までの残された期間に、まだまだ受験学力は伸びるはずです。
今回は、あまりお目にかかることのない、駿台模試の結果推移を垣間見ながら、現在受験生である君への応援メッセージとして、またこれから公立中学に入る君やこれから受験生となる君への参考情報を含め、本番直前の追い込みの重要性について考えたいと思います。
30年前の兄の背中とわが子の姿
わが子は開成高校に合格し、日比谷高校に入学していますが、受験を傍で見守った父親の実感としては、開成高校合格圏に到達したのは、試験本番の前日か数日前ではないかという気がしています。
塾の選抜クラスでは、周囲に駿台模試などの上位成績者が多くいる中で、開成高校はいつも努力圏が定位置。最後まで、周りに引っ張られて何とかついていくという状況にありました。
しかし受験が終わってみれば見事合格。
練習試合では強豪校に連敗を喫するも、最後の大会では勝利を手にして全国大会出場、あるいはマラソンの最後の100mでライバルを抜いて優勝という感じでしょうか、最後まで諦めずに継続した努力が報われたという感じです。
だいぶ昔の話となりますが、実兄は遥か30年以上も前に旧六医科大の医学部に現役で合格したのですが、ちょうどその時の試験追い込み時期の後ろ姿に、今回のわが子の姿が重なります。
その際も、周囲には常に兄より成績優秀な仲間が多くいたようですが、周囲の評価をよそに、結局は浪人組が多数出る中で、兄は現役合格組となったのでした。
その時の兄も、合格圏に達したのは試験本番の直前だった、という気がします。
そしてこの、時を経た身近な二人の姿を見て思うに、どちらも同じ状況と、その状況への対処により、同じように最終的な勝利をつかんだのだと感じています。
直前期に兄はとにかく毎日、寝る時間と食事と風呂とトイレ以外は勉強しているという感じでしたが、わが子も全く同じだったのです。
当時は、黙々と机に向かうそんな兄の後姿を見て、なんだかすごいなと感じたものですが、元来怠け者の私から見れば、わが子にして同じことを思います。当家の血筋に流れる長男の系譜なのではないかと。
だから分かるのです。
学校生活を大切に過ごし、短期集中で受験に向かう君であれば、正月休みを機に、本番までの残り1、2か月の直前期に受験学力はまだまだ伸びるのだと。
わが子の場合、受験勉強時間の確保という意味においては、必ずしも恵まれた環境ではありませんでした。中学入学後から開成高校を目指してひたすら勉強、という状況とは無縁な生活です。しかも中学受験も経験していません。
日比谷高校を3年先に目指しながらも、いつの間にか学力が上がり、受験勉強においてより高いレベルを求めた結果、試験直前に開成合格圏に到達したという感じです。
中学3年間の駿台模試偏差値推移
客観的な裏付け根拠がないので親バカの言葉と自覚してお伝えしますが、長男は物心ついた頃からかなり地頭のある子供だというのは分かっていました。
しかしながら、小学校時代は中学受験どころか模試さえ1度も受けたことがない生活。
したがって、高校受験に向けた実績は、全て地元の公立中学入学後に始めた、一からの積み上げです。
小学生時代、中学受験や塾というものに無縁だった生徒の中学時代の模試や学校の成績がどの程度だったのか、どのような軌跡をたどって難関高校合格に至ったのかという情報は、例え何百人の中の一人の特殊解だったとしても、現在受験生の君だけではなく、これから高校受験を目指す後輩や保護者の方にも参考になるでしょう。
ネット上にも中学3年間の学力推移を追った情報は見ないように思いますので、公立中学から上を目指す君にとっての一つのベンチマークとして、またこれから受験に向かう君のために、可能な範囲で事実をお伝えしたいと思います。
尚、ここでいう駿台模試とは、高校受験生向けの「駿台中学生テスト」を指します。
そしてこの模試の偏差値は、実際は小数点第1位まで表示されますが、ここでは整数値として記載しています。
では早速見てみましょう。
区立中学1年生時代
駿台模試(全国偏差値)
3教科
8月 54
1月 53
塾の何たるかも分からず、他の塾との比較検討も全く行わないまま、早慶難関私立受験志向の学習塾に、様子見を兼ねて、とりあえず英数のみ通うことになったのです。ちょうど初めての定期試験が終わる時期、試験結果が返ってきていないこともありなんとなく落ち着かず、2年後に始まる高校受験も気になったのでしょう。
大失敗で大成功!? わが家の塾選び - 日比谷高校を志す君に贈る父の言葉
夏休み前から、何の縁があってかたまたま近所にあった学習塾に英・数の2教科に限り通うようになっていました。従って、最初の8月の成績は、主に公立小中学校の授業のみによる結果だと言えるでしょう。
この数字は、見方によっては非常に意味のあるサンプルだと思います。
なぜならば、小学校時代に受験産業に染まらず、都内公立中学校入学後の最初の定期考査で学年1位となった生徒が、人生で初めて記した駿台模試の結果だからです。
海外の日本人学校に所属していた期間も含まれますが、ある意味日本の小学校義務教育の純粋な成果を示す大いなる参考値といっていいかもしれません。
私は塾関係者でも教育関係者でもないので、この偏差値54という数字が良いのか悪いのかは判断がつきませんが、駿台模試は偏差値60が一つの目安のようですから、可もなく不可もなくかもしれません。
いずれにしても、上位校を狙う受験生全体から見れば中庸な成績には違いありません。
また、中学受験をした生徒や保護者から見れば、やはり公立中学の学年1番であっても大したことないな、という数字かもしれません。
科目毎の情報は敢えて省略していますが、どちらの試験も英語は偏差値50台、数学は40台、国語は60台ですから、数学が今後のカギになりそうな予感です。
そして年明け1月もほぼ同じ状況ですから、1年生の間は概ね駿台模試の偏差値が54前後で推移したとみてよいのではないでしょうか。
そして受験業界の状況とは別に、学校では9教科は通年通して学年1位、5教科も概ね1位、落ちても3位程度という状況が続きました。
区立中学2年生時代
駿台模試(全国偏差値)
3教科
6月 63
8月 63
1月 63
中1の冬から中2の春にかけての駿台模試はありませんが、中学2年の1年間を通じて、安定的に偏差値63を残しています。
塾は相変わらず英・数2教科に通う状況です。
学校と塾の宿題をこなし、定期試験では5教科であれ9教科であれ、全教科真摯に教科書に取組むという、ある意味特徴のない一般的な学習姿勢です。
偏差値の内訳は、英語が60台前半、数学が50台、国語は60代後半から70台という傾向ですから、1年生から2年生にかけての1年間で、駿台模試ベースですが偏差値が3教科とも安定的に+10上がったことになります。
ところがこの時期学校生活では、受験勉強にも大きく影響する出来事がありました。
わが子は比較的人数の多い部活に所属していたのですが、次の部活代表に選ばれてしまったのです。その当時内部的にいろいろと揉めていた事もあり、3年の2学期に部活を引退するまでの1年間、精神的にかなり辛い日々が続いたようです。
よく母親に弱音を漏らしていました。
14歳のそれなりに知性のある少年にとって、大人との仲介役を務めながら、公立中学の様々な学生が混在する大所帯を一つにまとめるのは相当骨が折れたようです。
特に、皆が同じ目標に向かって心を一つにして突き進むという組織であればよいのでしょうが、やる気のある者から腰掛程度に参加する者まで雑多な組織構成の部活であることに加え、大人側も意見がいろいろ分かれているという状況であれば、部員代表としては心労が絶えなかったのだろうと思います。
しかし今にして思えば、これはなかなか得難い経験だという事も言えるでしょう。
なぜならば、我々一般市民が生きる現実の世の中は、間違いなく中高一貫校ではなく公立中学に近い世界なのですから。
社会に出るまでなるべく均質な価値観の中で育った方がよいのか、初めから種々多様性の中で揉まれながら成長したほうが良いのか、答えは状況や個人によっても様々。絶対的な正解はないでしょう。
ただ、支配的な階級に安住し続ける一握りの人間を除いては、いずれはみんな公立中学と同質の世界へと旅立つのです。
そうした混沌世界の中のある種のマネジメントを10代半ばに肌で感じるという経験は、良くも悪くも、一つの人生経験には違いありません。
私自身、海外の社員を切り盛りする立場になった際の苦労を思えば、問題の性質や責任の大小は異なるでしょうが、10代の若者が概ね同質の経験をしたことは、偏差値を上げる努力とは全く異質な経験ながら、必ず将来の糧となるだろうと思います。
そしていろいろありながらこの時期も、学校では5教科9教科とも1位という状況は変わらずに確保していました。
区立中学3年生 高校受験時代
駿台模試(全国偏差値)
3科 5科 日比谷 開成 塾高
8月 62 60 60% 30% 60%
9月 72 70 80% - 80%
11月 61 59 60% 30% 50%
都立自校作成校対策もぎ
3科 5科 日比谷 開成 塾高
10月 71 69 80% 40% 50%
11月 74 73 80% 50% 60%
12月 70 70 80% 40% 50%
中学3年生となり、高校受験を意識しつつも、10月まで部活に引っ張られる生活が続いたため、学校と部活と受験勉強を並行して進める日々です。
それでも2学期からは、英、数に加え、日曜に行われる塾の選抜特訓クラスに参加し、受験に向けた最後の追い込み準備にかかります。
今にして思えば、わが子は開成高校合格のための勉強に邁進するばかりで、日比谷高校の受験対策は行っていなかったのです。
都立の入試問題は、日比谷であれ他の進学重点校であれ、難関私立の入試問題と比較すれば決して難易度の高いものではありません。それは都立進学重点校を受ける受験生のレベルが低いためではなく、単に行政上の条例や規約に縛られているためです。
日比谷に合格するために、学習塾は必要か? - 日比谷高校を志す君に贈る父の言葉
このため、もともと最優秀層の生徒にとって、日比谷高校入試は特別に対策するべき試験ではないのです。
これは都立トップ校を目指す受験生に共通する課題だと思いますが、早い段階で合格レベルにある生徒がどのような受験勉強を行うのか、という問題があります。
同じ日比谷対策といっても、自校作成問題の受験対策をしている受験生がいる一方で、中学の学習要領を超えた勉強をしている受験生もいるからです。
わが家が通った学習塾では、成績上位者は開成など5教科難関校の受験対策組に回されるため、息子もそこで開成合格向けの対策をしていたのです。
本人の中では、開成受験対策をすることが、すなわち日比谷高校の受験対策を包括するという意識があったようです。
そしてちょうどこの時期、中学入学以来積み上げてきた蓄積が一気にはじけたかのように、突然、9月の駿台模試の偏差値が70台に跳ね上がります。
8月の模試の結果からか、あるいは記載ミスか、開成高校を志望欄に記載しなかったようで、合格判定はありませんが、書いていれば何とか合格圏に近い値が出たかもしれません。
本人も開成高校の合格を、改めて現実的な目標として捉えたように思います。
中学受験を経験していない一般中学生としては、この駿台模試の偏差値70越えは、一つの到達点だと言えるかもしれません。
ただし、駿台模試の最後となった11月では、今までの成績を下回るような結果となってしまいました。
一方で、日比谷向けに並行して受験した自校作成校模擬については、安定的に合格圏を確保していることで、安心して開成合格に向けた勉強に集中できたのだと思います。
冬休みから本番までの短期集中勝負
これまでの模試の結果を見て、君はどう感じたでしょう?
見て分かる通り、安定的に開成高校合格圏にいたわけではありません。
むしろその逆です。良くて五分五分、そんな状況だといえるでしょう。
11月以降は模試の結果がないので何とも言えませんが、親としては冬休みから本番までの1か月余りの間に受験学力を相当伸ばしたな、という感覚があります。
開成試験当日は、七三または六四で合格、という段階に達していたように思います。
それは根拠のない想像でしかありませんが、ただ息子の状況を傍で見守った父親としての実感です。
受験学力がどこまでも右肩上がりで伸びていくのではなく、ある上限に向けて収束していくとするならば、早くから受験に取り組んだ受験生とは異なり、2学期から短期集中勝負の生徒は、最後の1日まで受験学力を上げることができると思うのです。
むしろ、最後の収束点に近づく前に受験が終わることが多いように思います。
それはつまり、まだまだ伸びしろが残されているということ。
だから部活や学校生活に集中してきた君の前には、最後の最後まで、可能性が残されていると思うのです。何よりも、実際に合格したという事実がそれを物語るに十分ではありませんか。
部活を引退した10月以降、受験に向けた臨戦態勢となるわけですが、特にこの冬休みからは冒頭にも記載したように、生活に必要な最低限の時間以外はずっと机に向かうという状態が続きました。
受験直前期に学校を休むか
そしてこの時期、既に内申点が確定しているため、受験勉強のために学校を休むような生徒も散見されますが、結局わが家では休ませることなく学校に行かせました。
学校を休んで受験勉強に充てるという、抜け駆け的な対応を潔しとしなかったこともありますし、教師や学校への配慮という点も少なからずあります。誰でも勉強時間を確保したいに決まっています。
お天道様が見ていると考えるのか見ていないと考えるのか、この辺りは家庭の価値観によるものでしょう。
わが子は、内申点を上げるため素直に先生に従うというようなタイプでは決してないので、授業でも教師を茶化したり論破しようとするような生意気なことも度々やっていたようですが、卒業式にはそうした態度も含めて楽しかったと言っていただける先生が何人もいましたので、受験時期の通学も含めて、小生意気だけではない信頼感も多分にあったのだろうと思います。
いずれにしても、息子本人からも、学校を休んで勉強させてくれという切実な願いもなく、結局、試験日などを除いては、1年間皆勤で卒業を迎えます。
お天道様はやっぱり見ていたな、そう思える受験結果となりました。
受験も部活の試合や発表会も、本番は一度きり。
世界選手権は負けなしの強さを誇っても、オリンピックではなかなか勝てない選手もいれば、また逆の選手もいます。
部活引退以降、頭を切り替え合格のために必死になって頑張る君であれば、この冬休みから合格のために打つべき手はまだまだたくさんあるでしょう。
そして何よりも、最後まで焦らず、睡眠時間や栄養は十分とりながら、これから意外に長く続く試験本番までを体調万全で迎えることが一番です。
日比谷の先輩は、冬休みには受験に励む君をよそに志賀高原でのスキー教室。
クリスマスや正月を返上して憧れの第一志望を目指す君も、来年の今頃は新しい仲間と共に、新雪の中で青春の想い出を刻むことができますように。
ではまた次回。
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