東大生の親という感情

2023年5月14日追記:

東京大学本郷キャンパス

東京大学本郷キャンパス

 長男の東京大学入学から幾年月。

合格後、五月祭あたりまでは少し特別な感情が残っていたわが家も、3ヶ月も経てば合格の特別感やキラキラ感は消え、変わることのない日常生活に戻ります。

高校時代と異なることといえば、複数のサークルを掛け持ちしたり、塾講師のアルバイトをしたりと毎日大忙しで、どこで何をしているのやら、平日か週末かを問わず本人がほとんど家にいないことでしょうか。

日々多忙な大学生活の中で、家に戻ればスマホ片手にソファーで寝落ちする、学校の課題や試験は直前まで取り掛からないなど、大学に入学したからといって本人の中に何か特別な変化が生じるわけでもなく、ストイックだった受験モードも鳴りを潜め、今では少なくとも日常的には高校生の頃と同じように、計画性のない夜型の若者にすっかり戻っている様子です。

”東大生”というと、特に最近はメディアの影響か、ある種特別な才能であるように思われがちですが、親から見れば、以前と何も変わらない等身大の長男がそこにいるだけ。

そんな当たり前のことを、いま改めて感じています。

東大生、周囲の憧憬と現実世界

 既に子の大学に特別な感情を持たない一方で、弟の小学校では、むしろ情報を伏せていたはずの中でいつの間に伝わったのか、運動会を見学した際に、多くの保護者の方から積極的に祝福の言葉をかけていただき驚かされました。

毎年東京大学の学部入学者が3千人程度、その内東京出身の合格者が1千人程度いるとはいえ、全国の小学校数は約2万校、都内だけでも13百校以上存在する中では、東京在住であっても身近に東大生を感じる機会はそれほど多くはないのでしょう。

特に、弟が一握りの親しい友達にだけ打ち明けたらしい兄の”秘密”を、中学受験組が聞きつけた段階で校内がざわついて、子どもたちが各家庭に”極秘情報”を持ち帰って爆発的に噂が広がったのだとか。

東大合格という響きには、一般的にはやはり今でも無条件に盲目的な憧憬にも似た響きが備わっているようです。

この3月までは、どこか遠くの特別な家庭や子供たちの世界の出来事とぼんやり感じていたことが、いざわが身の現実的な世界となって生じてみたところで、家庭内には特別な何かがあるわけでもなく、逆に周囲の反応に恐縮してしまうような、時には夢幻のようでもあり、それでいて今までと何ら変わりのない日常の延長線上にある不思議な現実感に包まれています。

ブログで家庭内の状況を発信していることと矛盾していると指摘されるかもしれませんが、実際には日常生活において、子の大学名を聞かれることには小さくはないストレスを感じます。それはまるで身を隠して密かに暮らす逃亡犯が、警察に突然職務質問される瞬間を恐れるような、ある種の抵抗感です。

その点はかなりの自意識過剰であるような、それでいて毎回実際に相手が驚く顔を見た後に流れる空気に戸惑うような、嬉しいというよりもこちらが恐縮してしまうような複雑な気持ちです。

東大生の親であるということは、自分自身が獲得したものではない子育ての過程における一過性の立場でありながら、周囲との日々の関係性の中で、普通ではない何かであるような感覚を持つことがあり、その結果、親としては積極的に周囲に語ることがないばかりか、むしろ職場も含めて家庭の外ではなるべくその話題に触れないようにしようという消極的な心理が働くこともまた事実です。

現実の生活は、人さまに見せられるような優雅な知的生活とでもいうべき雑誌の1ページを飾るような洗練された世界とは程遠い、ごくありふれた地道で平凡な家族の日常に近いように思います。

東大生の親のイメージ

 東京大学に特別な何かを感じる点は、世間の保護者から見た場合でも同じなのでしょう。「東大生 親」などと検索してみれば、

  • 東大生の親に「お受験ママ」が異様に少ないワケ
  • 東大生の親が子にかけた「本好きになる」魔法
  • 東大生を育てる親は家の中で何をしているのか?
  • 東大生の親に聞いた「頭のいい子」「集中力のある子」の育て方
  • 東大生の親の年収
  • 東大生が小学生時代に持っていた”3つの力”と”親が与えていたご褒美”
  • 東大生の親の4つの特徴。「勉強できる子」の脳を育てるために、親がする ...
  • 東大生の親は
  • 東大生の親の6割以上は年収950万円以上

出るわ出るわ、子育て関連の記事や書籍が溢れるようにヒットします。

ちなみに、京大生や医学部のようなキーワードを叩いても、東京大学を対象としたような膨大な件数、特に書籍としてのヒットは多くありません。

東大生の親としての当事者となった現在、そしてその前からも、そうした保護者が何を考えどのように子供に接しながら生活しているかという点に特に興味があったわけではありませんが、一般的には子が東大(多くは学力を軸としたヒエラルキーの、大学入学時点でのトップとされる立場を象徴的に表す言葉だと思います)に合格するための子育て環境や方法論について知りたい、と考える保護者の方は少なからず世の中に存在するようです。

もしかすると、この日比父ブログを定期的にご覧いただいている保護者の方の中にも、そのような気持ちを抱いている方が一定数いるのかもしれません。

残念ながら?わが家では、長男を東大に入れるために何か特別なことをしたわけではありません。そのようなことを目標にして子育てをしてきたわけではないからです。

元から賢い子を授かり、家庭の方針や状況から無理に勉強を押し付けることなく育てた結果、という状況に近いように思います。

東大を受験する心理的障壁

 長男が、東大を目標にして受験勉強すると親に伝えたのは、高校2年生の秋が終わろうとする季節のことです。論述対策として塾に行かせてほしいと相談がありました。

それまで受験勉強はおろか、高校では学校の勉強にも真摯に取り組んでいるようには見えなかった子が、東大を目指したいと語った際には、不思議な感覚がありました。

私の知る限りでは、自分を含めて親類縁者の中に東京大学に合格した者、というよりは受験した者さえなかったため、わが子が受験するという現実に対し、心の準備ができていなかったのかも知れません。

個人的には、かつて京都大学を受験しようとリアルに考えたことは幾度となくありましたが、東大を受験することを現実的な選択として考えたことは一度もありません。

私自身にとって東京大学は、受験対象というよりは『三四郎』の物語の世界と同様に、どこか自分には手の届かない、憧憬の対象であるような存在であったからです。

もちろん、長男が高校受験で最難関とされる学校に軒並み合格した際は、大学受験でも最難関を狙えるのではないかという、ある程度できる子を持つ親が漠然と頭に浮かべる程度の潜在的羨望に似た感覚があったことは確かです。

一方で、地方出身で地方国立大に入り、様々な紆余曲折を経て何とか卒業した親の身からすると、東大を受験するということを現実的選択として口に出して語るわが子に対しては、強さというべきか無神経さというべきか、ある種の羨ましさを感じたものです。

それこそが、東京の進学校に通うということの強みであり意味なのかもしれません。

見えない障壁を越えて

 東京大学に関しては、学部も含めてあくまで本人が希望し、自ら受験勉強を組み立てて入った大学ですから、親が誘導したり努力をした結果ということはありません。

強いて何かしたと言えば、受験勉強に口出ししなかったということでしょうか。

本人の中には、それでも当初は自分が東大を受験することに対し、父親の心情にも近い心理的な壁が少なからずあったようです。

しかし長男の周囲には、東大をはじめとする難関大学に実際に進学した先輩や、それらの学校を目指す仲間がごく自然に周囲に存在していたため、最終的には本人も、東京大学を第一志望として定めることに対し、それほど大きな違和感もなく受け入れることができたようです。

親が感じた目に見えない障壁を、子が軽やかに超えて人生の先に歩みを進めると共に、忙しくも充実した姿を日々見るにつれ、一人の保護者としてはやはり嬉しく思います。

東大生の親であること、それ自体は保護者である私自身が直接的に獲得した立場ではない以上、日々の生活の中で特に意識するものではありません。ただし周囲との関係性の中で、時に強く意識せざるを得ないことがあるのもまた確かです。

日常的には何でもなく、ある時には少し特別で、そして同時に世間の誤解に満ちたその立場を日々正に経験していることに対し感謝すると共に、日比父ブログを語る上での拠り所として、積極的に世の中に還元できればよいと考えています。

これからも引き続き、教育や子育ての在り方について考えていきたいと思います。

ではまた次回。