思いやりワクチン。
この福岡県のワクチン接種のポスターを初めて目にした時、40年以上も前、小学生の頃に見たテレビアニメ「一休さん」を一瞬にして思い出しました。
家宝”おもいやり”
物語は断片的に記憶しているのですが、確か以下のようだったと思います。
何らかの困難に面した親子が家に伝わる家宝に頼ると、そこには”おもいやり”と書かれた紙が現れます。結局のところ、宝は人々を気遣う”思いやり”の心だったと親子が納得しかけたところに、一休さんがいつものように熟考の上、次のように尋ねます。
「この家に重たい槍はありませんか?」
探してみると、蔵の奥から確かに重たい槍が見つかるというもの。そしてそれを磨いてみると、何とそれは純金でできた槍であり、本当にお宝が眠っていたというもの。
この”おもいやり”という言葉から、とんちを利かせて重たい槍の宝を見抜く一休さんの利発さと機転に、小学生ながら非常に感嘆し、感銘を受けてのを覚えています。
そしてそれ以来ずっと、このシーンが頭の隅に強い記憶として刻まれていたのです。
”おもいやり”ワクチン
それから半世紀近く経ち、新型コロナワクチンの登場により、”思いやり”という言葉が日常の中で度々聞かれるようになりました。
その言葉は、ワクチン接種の正当性を裏付ける言葉として使われています。
大事な誰かを思いやって接種するワクチン。
私はその言葉を聞く度に、そのワクチンは果たして本当に”思いやり”のために打つべきものなのか、もしかすると、将来に継続的な禍根を残すような”重い槍”ワクチンでないのかと、人知れず心がざわつくような感覚に包まれていました。
成人は自分で判断すればよい。
問題は、保護者の意向で結果が決まる、未成年の子供たちです。
思いやりが重い槍に変わる時
保護者の”思いやり”の心が、”重い槍”として子に重くのしかかる瞬間があります。
それは例えば、中学受験を巡る親子の不幸な報道を目にする時であり、すなわち親が子の幸せを強く願うその気持ちが、逆に子に重い十字架を背負わせてしまうような時。
私自身も口にした瞬間、しまったと思うような言葉を子にぶつけてしまった苦い経験は少なくありません。
そして受験生や、未来ある輝く笑顔の子供たち。あるいは生後半年が経ち、ようやく人間としての所作を覚え、世界を感じ始めたばかりの赤ちゃん。
わが子への愛情や、思いやりの心を、母親や父親の思いのまま子に届けることができるのか。あるいは、取り返しのつかないような重い槍となって、わが子の身に襲い掛かりはしないだろうか。
2022年10月24日、生後6か月から4歳までの子どもを対象にした、コロナワクチン接種が解禁となります。
思いやりワクチンと重い槍ワクチン。
我々は今一度大人として、子供にとって本当に何が必要で、何が必要でないのかについて、改めて真剣に考えなければいけない時期に来ているのだと感じます。
打ちますか、打ちませんかは保護者次第です。
ではまた次回。