コロナで始めるモノポリーの世界

年季20年のmommapapaのモノポリー

年季20年の我が家のモノポリー

 新型コロナ休校の影響で、世界的に需要が高いゲームや娯楽商品。

ニンテンドースイッチは高すぎる需要に供給が追い付かず、発売当初よりも購入することが難しい状況が継続し、ゆるソフト「あつまれ どうぶつの森」は巣ごもり需要と発売タイミングが重なり空前のヒットを飛ばしています。

 

ネットゲーム否定派の保護者へ

 ネットゲームの世界にわが子を浸らせるのは絶対に嫌だと考える保護者の方でさえ、今回の長期外出自粛を前に、止むを得ずオンラインゲームを解禁せざるを得ない家庭も多いのではないでしょうか。

そんな中で「あつ森」は、生死をかけた殺し合いの世界とは一線を画したクリエイティブで優しい癒し系ソフトとして、世の母親の支持を集めているのでしょう。

また、以前から定番の「マイクラ」ことマインクラフトも、戦闘モードはあるにせよ、ブロック遊びのように創造性を育んだりプログラミング教育に通ずるような仕様に、やはり母親から一定の支持を得ているのだと思います。

そんな中、それでも子供にスマホやオンラインゲームの習慣をつけさせたくない保護者の方が注目するのがボードゲームです。

オセロや将棋といった教育熱心なママたちが奨励する知的競技から、昔から定番の人生ゲームまで、アナログ世界のゲーム盤もコロナの家籠りの影響で人気を博しています。

そんな中でわが家が長年愛用しているのが、世界定番の『MONOPOLY』です。

 

長男誕生を機に購入したモノポリー

 わが家のモノポリー歴は今年ちょうど20年になります。

旅行先にまで運んでプレイすることも度々あり、いつの間にかボロボロになったお馴染みの箱の右端に、”2000.12.4”と記載があります。これはモノポリーを購入した日に私自身が手書きしたものです。

理由は定かではありませんが、いつの頃から、将来子どもを持った暁には家族でモノポリーをしたいという願望を抱くようになっていました。

その影響でしょうか、夫婦二人の間は特にそのような行動は起こさなかったのですが、長男が生まれた年に早速モノポリーを購入しています。

生まれたばかりの子どもがゲームに参加できるはずがありませんから、相当気の早い話ですが、それだけ強い憧れを持っていたのかもしれません。

それでも2000年以降、わが家では主に年末年始の正月行事として、モノポリーが登場することとなります。

 

わが家のモノポリー戦歴

 今見返してみるとやっておいてよかったなと思うのですが、わが家ではモノポリーのプレイ履歴を記録として書き残しています。

我が家のMONOPOLY戦歴

我が家のMONOPOLY戦歴

このようにモノポリーのフタの裏に、プレイする度に勝者を記録しています。

勝つと何故だか”くまさんハンコ”が押せるルールなのですが、これを自分の名前の列に押す瞬間にちょっとした高揚感に包まれます。勝者が表彰台で金メダルを首に下げる瞬間の気持ちに通じるものがあるでしょうか。

2001年の記録を見ると、10月3日に「長男が初めて外で歩いた日」との記録が残っており、日記のようで面白いです。初めての子どもの目に見えた成長が、よほど嬉しい記憶として心に残ったのでしょう。

今振り返ってみると、妻と二人では、3年間に13回プレイしたことが分かります。

そして長男が初めて参戦したのが、2009年の1月2日。8歳の年です。

 

小学生とモノポリー

 長男が単独での初参戦を果たした正月は、正にモノポリー三昧となります。

1月2日に4回、3日に3回、4日に2回行っていますから、正月休みの間中ほぼ丸一日のモノポリーで遊んでいたことになります。真面目にプレイした場合、最低2時間はかかるからです。

そして1月2日の第2回目に長男初勝利。

2009年のモノポリー戦歴

2009年のモノポリー戦歴

この頃は小学生のチビが夢中になってプレイしていた記憶があります。何回もやってくとせがまれ、少々面倒くささを感じたことも正直あります。8月1日には「新記録$10600」と記載がありますから余程嬉しかったのだと思います。

モノポリーのパッケージには、”Ages 8 to Adult"と記載されていますから、8歳の小学生は想定対象年齢に入っています。

しかし実際には、大人に混じってモノポリーで勝利するためには、ただ単にサイコロを振って駒を進めているだけでは難しいです。

この辺りがすごろくの延長に近い”人生ゲーム”とはだいぶ異なります。

モノポリーの場合、もちろんダイスの目に左右される局面も多分にありますが、勝つためにはトランプ同様に状況に応じた明確な戦略や駆け引きが必要になります。そして何よりもそれ以前に、基本的なルールを理解した上でプレイを楽しいと感じるためには、年齢に関わらずある程度の知能が必要です。

モノポリーは小学生でも十分に楽しめるゲームですが、誰もが気軽に楽しめる人生ゲームとは異なり、楽しいと感じるかどうかは子ども次第というところがあるでしょう。

特にお金に興味を持つ子どもには、ぴったりのゲームといえるでしょう。

 

モノポリーで得る学び

 モノポリーは、主に不動産で占められた終わりのない40個のマスをゲームが終了するまでグルグルと回り続ける、すごろくとして見ると何の面白みもないゲームです。

停まるマス毎にイベントが提示される人生ゲームとは対照的に、イベントは最小限に、逆にマスの普遍性の高さがこのゲームの優れたところです。

すごろくのファミリーゲーム感と、将棋やトランプのような戦略性が上手く融合されているような感じでしょうか。

不動産売買を題材としたこのゲームは、マネー経済における勝者とはどのようなものであるのかをゲームを通じて直感的に学ぶ仕組みになっています。

今ではあまり聞かなくなった「金持ち父さん、貧乏父さん」の訴える世界感をゲームの中で身につけるという感じでしょうか。

モノポリーをプレイしていると、良くも悪くも気がつくことがいくつかあります。

資本家と労働者

 モノポリーを始めてまず最初に気づく点としては、定期的に給与を受け取っているだけでは絶対にゲームに勝てないということです。

プレイヤーが回り続ける40個のマスは、日常の経済活動そのものを普遍化した世界であり、1周する毎に定額の収入を得ることができます。

これは社会でいうところの給与所得に当たるものですが、このお金を留保してマスを回り続けても、絶対に手元のお金は増えません。搾取される消費者としてただただ消耗していくだけの存在になります。

この状態は、金持ち父さんでいうところの”ラットレース”、要するにネズミが回し車の中で走り続けるように同じ場所をぐるぐると回りながら、時間と肉体を使って必死に働いた挙句、手にしたなけなしの資金は支払い請求書に消えていく生活、にはまった状態なのだと思いますが、ゲームに勝利するためにはこの状況から抜け出して、事業所得(モノポリーの場合は不動産所得)を拡大し、ライバルの資本を吸収するしか方法がありません。人生ゲームに見られるような、誰かを定めて資産を巻き上げるというスペシャルな状況は発生しないからです。

モノポリーで学べることの第一は、サラリーマンと資本家および事業主のマインドや立場の在り方の違いがゲームの中で直感的に理解できることです。

資本家マインド

 資本の投資が必ずしも成功裏に終わる訳ではないのですが、少なくとも自己資金を不動産に投資しない限りは、一消費者の立場から永遠に抜け出すことができず、毎日(自分のターン)が回ってくる度に、サイコロの目とその結果として現れる支払い通知に怯えながら生きていかなくてはならない状況に陥ります。

モノポリーでは、給与所得者はゲームの勝者となることができません。

もっとも、大資本家になったとしても、ライバルの破産が現実になるまでは、安心して眠れない日々が続くこともまた同時に襲ってきます。ライバルを踏みにじるまで投資を拡大し続けないと勝てないのは確かですが、積極的に投資して成功すればするほど、その状況が失われることに不安を覚え、ダイスの目に一喜一憂することもまた確かです。

資本家の心穏やかでない状況を理解できるのが、このゲームの面白みでもあります。

学歴よりも友歴

 モノポリーをプレイすると、中学受験に死に物狂いになる家庭や、東大や医学部など難関大学進学を目指して必死になるお受験ママとは異なる価値観の存在について理解することができます。

要するに、そうしたことはラットレースの先頭を目指した競争に過ぎないという価値観です。

モノポリーの世界では、医者も博士も、ただのサラリーマンに過ぎないことになります。資本家のみが勝者として在るべき姿だからです。

こうしたルールで子育てを眺めてみると、中学受験難関校を目指す一般家庭を尻目に、附属幼稚園や私設小学校などに幼少より子を預け、物心つく頃から秘匿クラブの中で資本家マインドや将来へと続く不労所得の増大のための必勝方程式を身につけさせることが、人生における成功法則であるという結論になります。

お受験世界で見られる大衆的なアイコンで表現すれば、慶應幼稚舎に子を進学させたいと願う母親のような価値観です。

モノポリーでは、資本家として成功することが勝者になる唯一の方法ですから、ゲームを通じて、こうした方法論がリアルなマネーゲームの世界でも絶対成功者になるための近道であるということが理解できるのです。

 

モノポリーと幸福論

 モノポリーは家族でプレイしても本当に熱中して楽しい時間が過ごせます。

そして先に記載した通り、資本経済で勝者となる基本的な要素について自ずと学ぶことができます。

しかし、モノポリーで学べないこともたくさんあります。

例えば、幸せになるということです。あるいは自然や環境と共生すること。

モノポリーでマネー社会の勝者になる方法論の一つは学ぶことができたとしても、人生における幸せを手にする方法は学べません。両者は直接的には関係がないからです。これが一番大きな点です。

その上で、日本人が最も苦手と言われるお金や投資との付き合い方について、遊びながら学ぶ教材としてはとてもよく出来たツールだと感じます。

モノポリーは普遍性が高い分、時代に左右されずに通用する資本主義のルールが備わっています。その価値観は現代社会では、まるで人間の優劣を測る絶対基準であるかのように猛威を振るっているように感じます。

その一つの典型が、コロナでどこかに吹き飛んだゴーン事件かもしれません。

そうした価値観が、アフターコロナの時代にも変わることなく続くことが、国際社会にとって在るべき道なのか、今問われているようにも思います。

長い間モノポリーを楽しんできたわが家の子どもたちは、どうやらそうした価値観とは異なる世界で生きていこうとしているようです。

親としては、ゲームの中で身につけた勝利の道とは関係なく、自ら求める価値観の中で幸せを獲得できればよいなと願っています。

20年前とは異なり、今では様々なご当地版やキャラクター版などのモノポリーが販売されています。時間を持て余し気味のご家庭の保護者の方は、子供と一緒に気に入ったパッケージ版を探してみるのも楽しいかもしれません。

ではまた次回。

 

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