ボーカロイドとYouTubeチャンネル

ボーカルキーボード・ポケットミク

 新型コロナ緊急事態宣言が解除された現在も、週の大半を在宅勤務で過ごす日々が続いています。

会社が出勤率50%というガイドラインを出しており、勤務の在り方は社員個人の裁量に任されているため、積極的に在宅を選択しているというのが実際のところです。定期券も必要ないので早い段階で解約しています。

現在の職務状況に関しては、学校や社会生活は一日も早く正常化した上で、労働の在り方は現在の状況が続けばよいと感じています。

子が自立して生活できるようになった現在、在宅勤務は仕事が本当にはかどりますし、日光浴をしながらパソコンを叩いたり、明るい時間に外に出て体を動かす機会も増えるなど、体調もよいです。

コロナの影響で仕事や家計に甚大な影響を受けている方には大変申し訳ないですが、現在は固定給と社会的身分と必要経費が確保された上でフリーランスのような状況にあり、企業の被雇用者としては望ましい環境と感じています。

会社が経費削減のために事務所を解約しても一向に構いません。その代わり、浮いた固定費の一部を設備準備金として毎月社員に還元し、自宅にSOHO的なスタジオ機能を構築できることができれば、個人的にはむしろ好都合です。

 

在宅とボーカロイドソフト

 何年も前からずっと気になっており、在宅が始まってから実際に購入したいなと考えるようになったのがボーカロイドソフトです。

「初音ミク」という名前なら聞いたことがある保護者の方もいるかもしれませんが、現在では複数の会社から様々な音声をもったキャラクターが登場しています。

ボカロを欲しいと思う理由には二つあって、

  • ブログの動画チャンネル化
  • 作詞楽曲の製作

この2点について試してみたいと思っているからです。

何年か前に駅前の本屋をのぞいた際に、学研の大人の科学がリリースしている「歌うキーボード・ポケット ミク」というオモチャ的な簡易ボカロキーボードが8割引きの特価で並んでいるのを見て、思わず買ってしまったことがあります。

自分が書いたものを音声化してくれるボーカロイドに対しては、声優ファンではないものの何故だか心惹かれるものがあります。

自身の詩や文章が、第三者によって客観的な作品として提示されるという状況に対して、潜在的な憧れや欲求があるのかもしれません。

 

日比父YouTubeチャンネル

 業務の周辺でも、コンテンツの動画配信やWEB配信化が進んでいます。

ビジネスがオンライン化する恩恵の一つとして、これまでは東京をはじめとする主要都市圏の生活者にアドバンテージがあった大規模イベント等に対し、どこからでも自由にアクセス参加できるということがあります。

実際4月以降に多くのウェビナー(ウェブセミナー)に参加しましたが、都内であってもわざわざ会場まで出かける必要がなくドレスコードも自由な上、任意に退出したり他の業務も並行して行うことができる気軽さや利便性の高さが際立っています。

そしてこれまで講演などを数多くこなしてきた識者の側も、リアルな集会を敬遠する社会の中で、一気にオンライン化に進む傾向も現れています。

従来の人を集めて行う有料コンテンツをYouTube上で公開することにより、より多くの視聴者を通じて薄く広く回収しようとする動きです。

しかも現地に出かけて特定の相手に直接話しかけるよりも、確かにネットに問いかける方が相対的により多くの方に主張が届き、自分の存在も広く認知されることが期待できるかもしれない。

特にこの1か月の内にそのような印象を受けるに至った次第です。

そうした中で、日比父ブログも動画で配信してみようかなと思うようになりました。

教育や受験ブログは数えきれないくらい存在するものの、質の良い動画に関してはまだまだコンテンツが少ないように感じたからです。

私自身はビジネスとしてブログを書いているわけでも、特定の団体の利益を実現するために書いているわけでもありませんので、多くの方に意見を届けなければならないという使命や目標設定があるわけではないのですが、それでもこれからの時代に求められる個人の財産の一つとして、ブログだけでなく様々な情報発信プラットフォームを育てることは意味があるかなと感じています。

実際に動画を始めるには、現在は仕事が忙しすぎて現実的ではなさそうですが、それでも在宅が今後とも継続的に続く場合や週休3日が実現するような場合には、実際に挑戦してみたいなと考えています。

 

作詞楽曲という自己表現

 コンテンツの動画化と並んで実現したいと考えている事の一つに、作った詩に楽曲をつけてボーカロイドに歌ってもらう(歌わせる)ということがあります。

こちらも今更新しい活動ではないことや、自身の音楽センスが著しく欠如していることも十分承知の上で、それでも自らが起こした詩に曲を載せて表現することに対しては、若い頃から憧れのような気持ちを抱いています。

尾崎豊の「17歳の地図」リリースと同時代に高校生活を過ごした当時、真似事の詩を一生懸命ノートに書き起こしていたことを覚えています。

人生で最も輝く年代の一つである高校時代を憂鬱な気持ちで過ごす中で、あの当時は並行してサリンジャーや夏目漱石の小説を非常なる共感を持って好んで読んでいました。漱石の文章の美しさや完璧さに心が震えたのもあの頃です。

そして今でも、十代の自分がどのような価値観を持ち、何を感じ何を考えていたのかはっきり覚えています。今こうして文章を書いているのも、あの当時の記憶に刻まれた現代社会への疑問と無関係ではありません。

そうした気持ちを文章ではなくメロディーに載せて表現できればと密かに考えており、その想いの実現は年々ハードルが下がっているようにも感じます。

もちろんプロでもビジネスでもないただの地道な道楽の一つに過ぎないのですが、いつかそのようなことが実現できればと考えています。

 

新しい生活様式の中の新しい習慣

 幸いなことに、人生の折り返し地点を回って相当月日が経つ現在でも、新しい挑戦へのエネルギーは尽きることがありありません。業務でも、日々新しい価値観の創出に奔走している毎日です。

とはいっても、私自身は社交的でも活動的でもない、どちらかというと出不精で人付き合いも好きではないタイプの人間です。

会社での飲み会やゴルフ、異業種との交流やサークル的な社会的活動にはほとんど参加しない方ですので、在宅勤務が始まったこと以外には、実はコロナ前後であまり生活は変わっていません。

そのような内向的な性格であっても、というよりはそのような志向の人間にとっては、これからの新しい生活様式が求める世界は、むしろ今までより穏やかで心地のよい環境であるのかもしれません。

子供たちの世代の将来を想う時、もちろんこれまでの平和で活動的な生活が戻ってほしいのは疑いようのない希望に違いありませんが、たとえ新型コロナが収束しても、新たな感染源の発生やその他の地球規模の災害、あるいは政治的、イデオロギー的な争いにより、これからは平成の時代に享受した比較的自由で平和な時代とは隔絶された世界となってしまう可能性も否定できません。

そのような状況の中で、個人がこのように文章を書き、発信するということの意味とはいったい何であろうかと考えることがあります。ましてや動画の配信に、どのような社会的意味があるのだろうかとの疑問も確かにあります。

日比父ブログは間もなく丸4年。

本当は子育てや教育以上にもっと書きたいテーマがあるのですが、遅々として進まない文筆力に打ちひしがれながら、それでも今はまだ確かなプラットフォームの構築に向けて、一歩一歩可能なペースで進みたいと考えています。

これから迎える新しい時代の新しい価値観を手探りしつつ、これからも少しずつ新しいことに挑戦しながら、あるべき時代の実現に向けて、子供たちや社会の変化を見守っていきたいと考えています。

ではまた次回。

 

新型コロナとその後の世界

新しい生活の始まり

子供たちの新しい時代