二子玉川・武蔵小杉水没と国分寺崖線

2023年6月4日更新:

 この数年、夏になると日本各地で街が水没するという景色が当たり前のようになってきました。

令和5年2023年も6月に入って早々、東海道新幹線が運転見合わせになるなど、台風2号のもたらした広範囲の水害が現実のものとなりました。

線状降水帯やバックウォーターといった、これまで聞きなれない言葉が当たり前に意識される今、東京に住まうことに憧れ、暮らす家族にとって、2019年の台風19号による二子玉川や武蔵小杉の高級タワーマンションの浸水被害は衝撃的な出来事だったのではないでしょうか。

二子玉川と武蔵小杉の浸水被害

 二子玉川は東急田園都市線および大井町線の、武蔵小杉は神奈川県ながら東急東横線の主要駅であり、若い子育て世代にとっては屈指の人気を誇るエリアです。

二子玉川から田園調布にかけての多摩川沿いには、堤防である多摩堤通りを彩る桜並木が続き、河川敷にはかつて読売巨人軍の練習グランドがあった通り、野球場やサッカー場などの親水公園が河口まで何キロにもわたって続いており、日々の暮らしに心のゆとりをもたらす存在となっています。

若い世代にとって明らかな勝ち組を代表するようなアイコンであったこれらの地域にとって、台風19号の被害は、タワーマンションの価値や周辺の地価にも影響が出るほどのインパクトを残すなど、多摩川に限らず住まいを探す家庭にとってハザードマップの存在を改めて意識する機会となったのではないでしょうか。

二子玉周辺洪水ハザードマップ/出典:世田谷区

二子玉周辺洪水ハザードマップ/出典:世田谷区

洪水ハザードマップとその課題

 世田谷区の洪水ハザードマップでは、二子玉川駅周辺は全域浸水エリアに指定されていますから、被害に苦しむ多くの住民の方には気の毒で申し訳ない表現になってしまいますが、今回の浸水被害はある意味行政上見込まれる範囲といえるかもしれません。

気象条件の一層の悪化が見込まれるこれからの世界にあって、新たに住居を構える方が各地のハザードマップを意識するのは当たり前の所作といえる一方で、課題となるのがハザードマップに示された情報が適切であるかどうかという問題です。

世田谷区をはじめ多くの行政が現在公表しているハザードマップの前提になるのが、平成12年9月発生の東海豪雨の計測値です。想定雨量として次の値が示されています。

  • 総雨量589ミリメートル
  • 時間最大雨量114ミリメートル

ただし報道でも既に指摘されていることですが、今回の台風ではこの想定を遥かに超える雨量が各地で報告されていますので、現在公表されているハザードマップの値が今後も有効かという点は意識する必要がありそうです。

台風19号が更新した観測雨量

 NHK NEWS WEBによると、台風19号がもたらした想定外の雨量は以下の通りです。

台風19号による大雨は各地で年間降水量の3~4割にあたる雨がわずか一日、二日で降るという記録的なものとなりました。

各地の48時間の雨量は、
▽神奈川県箱根町で1001ミリに達し、
▽静岡県伊豆市市山で760ミリ、
▽埼玉県秩父市の浦山で687ミリ、
▽東京 檜原村で649ミリと年間降水量の3~4割にあたる雨となり、いずれも観測史上1位の記録を更新しました。

さらに東北でも断続的に猛烈な雨が降って、13日未明までの24時間の雨量は、
▽宮城県丸森町筆甫で587.5ミリ、
▽福島県川内村で441ミリ、
▽岩手県普代村で413ミリと年間降水量の3~4割にあたる雨が一日で降り、いずれも観測史上1位の記録を更新する記録的な大雨となりました。

出典:NHK NEWS WEB 2019/10/13

このように、今回の台風は想定総雨量589mmを遥かに超えています。 テレビの映像で恐ろしささえ感じた箱根エリアでは、想定の2倍に迫る1,000mmを超えています。

ですから、多摩川をはじめ河川流域で新たに暮らすことを検討する場合には、更新されたマップが公表されるまでは、想定雨量を超えた状況を予め留意するという心構えが求められるのかもしれません。

多摩川と国分寺崖線

 実は、東京の子育て住まいとして人気の城南地区に位置する世田谷区、大田区などの多摩川流域に暮らす23区の人々が、古の昔より日々の暮らしの中で潜在的に意識している地形的特徴があります。

それが『国分寺崖線(がいせん)』の存在です。

出典:世田谷区/国分寺崖線ってなあに?

図1)出典:世田谷区/国分寺崖線ってなあに?

国分寺崖線断面/出典:首都圏地盤解析ネットワーク

図2)国分寺崖線断面/出典:首都圏地盤解析ネットワーク

簡単に言ってしまえば、多摩川流域の国分寺崖線は自然が作った太古の多摩川堤防ということになり、崖線の上と下では20mにも及ぶような相当な高低差があります。

崖の上は武蔵野台地、下は多摩川の低地という方が分かりやすいかもしれません。

例えば現在であれば、砧公園の近く、聖ドミニコ学園や静嘉堂文庫が並ぶ世田谷区岡本周辺や、東京都市大学に近い等々力渓谷、お受験ママの憧れである田園調布雙葉小学校などを訪れてみれば、23区の中に現れるその急峻な高低差を実感することができます。

その坂道は、電動自転車でも上ることが大変なほどの傾斜です。

岡本三丁目富士見坂/撮影:mommapapa

岡本三丁目富士見坂/撮影:mommapapa

そしてこの都市部に近い特殊な地形的特色が、近代日本の形成とともに富裕層の目に留まります。

風光明媚な世田谷の国分寺崖線

 台風19号の被害では、二子玉川の料亭をはじめとする一部の住民が、景観維持を優先したために多摩川堤防の建設が実現しないという報道がありました。客観的に聞いた場合にはとんでもなく身勝手な発想のように感じますが、実は古来よりこの地域は、風光明媚な風景を求める人々が集まる土地だったのです。

特に二子玉川周辺は「玉川八景」と呼ばれ、江戸住民の来遊も多い土地として知られるなど、日本の近代化とともに富裕層が別荘を連ねる土地へと変わっていきました。

その中の代表的な別邸の一つが先の静嘉堂文庫であり、三菱の創始者岩崎弥太郎の実弟である岩崎弥之助が開いた場所です。日産コンツェルン創始者である鮎川義介別邸も静嘉堂の向かいに存在し、あの高橋是清も別荘を構えるなど、現在の二子玉川駅の山の手側に位置する世田谷区岡本、瀬田周辺は、政財界の多くの有力者の別邸が固まる地域だったのです。

出典:国分寺崖線二子玉川周辺における明治・大正の別邸の地形的立地特性

出典:国分寺崖線二子玉川周辺における明治・大正の別邸

二子玉川から田園調布にかけての多摩川沿線は、図1)に示した地図から明らかなように、多摩川と国分寺崖線の距離が非常に迫っています。

つまり、崖線上の高台からは遥か先には富士山の眺望と、眼下に多摩川の水の流れが楽しめる、都内にあっては非常な景観が得られる希少な場所なのです。

静嘉堂文庫付近に残る岡本三丁目の富士見坂から、田園調布、多摩川駅前の富士見坂まで、その眺望を象徴する坂が随所に存在します。

この辺りは関西に例えると、眼前に海、背後に山が迫った六甲山系の芦屋から岡本、御影へと続く神戸の高級住宅街をごくコンパクトに凝縮したエリアといえば、より多くの方にイメージしやすいかもしれません。

もっとも現在では、多くの住宅やマンションが立ち並んでいるため、かつての景勝が必ずしも期待できるわけではないですが、山の手という言葉が地形とともに今でもそのまま当てはまる土地柄といえるでしょう。

余談ですが、神戸市の岡本と世田谷区の岡本の名前が一致しているのは、以前から偶然ではないように感じていましたが、その辺りは今後の研究課題の一つです。

風光明媚が引き起こす災害

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図1)国分寺崖線・再掲載

 改めて図1)を確認してみると、風光明媚な景観をもたらすこの特殊な地形こそが、多摩川氾濫による水害をもたらす原因であることが分かります。

要するに、二子玉川付近は多摩川から国分寺崖線までの距離が極端に近く、また野川や仙川といった支流が多摩川に合流する地点となっているため、美しい景観をもたらす一方で、水量が重なりやすく、また一たび河川が氾濫を起こした場合には、背後の丘に阻まれて水が逃げにくく限られた場所で水位が上がりやすいという状況が発生します。

昨今よく耳にするようになった「バックウォーター」の危険性も高い地形といえるかもしれません。

出典:生物多様性の視点でとらえた世田谷の特徴と課題

出典:生物多様性の視点でとらえた世田谷の特徴と課題

つまり、世田谷区から大田区にかけての多摩川沿いに暮らす場合には、国分寺崖線の上であるか下であるかを意識して住まいを選択することになります。

そして図1)に示した通り、二子玉川駅は崖線の下、田園調布駅や自由が丘駅は崖線の上という位置関係があります。

近年新しく形成された人気のエリアには、大規模工場跡地など大型の再開発が可能となった理由が隠れているものです。

ここ数年で開発された二子玉川東部の大型ショッピングモールや高層ビル群は、私の知る限りでも10年ほど前までは、「いぬたま・ねこたま」と呼ばれる、大きなお金を生むとは考えられない空き地同然だった場所であり、武蔵小杉周辺の大型再開発や数年前に地盤改良問題で傾いた横浜市のマンションなどは工場跡地という背景があります。

東京への人口集中に対する住居確保のためのソリューションと、投資効果を上げたい不動産業界の利益が一致して、従来住宅地ではなかった都心のエリアに新しい人気の都市が次々と生みだされている状況が伺えます。

大型の再開発が集中する地域には、土地が抱える問題以外にも、急激な人口増加に伴う交通手段や教育施設その他のインフラ不足など、冷静に見極めるべき課題も多く存在することを改めて意識する必要がありそうです。

新海誠「天気の子」と歴史的地形

 今回のように観測史上と呼ばれる大きな自然災害が発生する度に考えることは、古の時代より人々が暮らす土地というものが、少なくとも歴史的には災害に対するアドバンテージの高い場所なのではないかということです。

太古より様々な天変地異を乗り越えて人が住まう地域には、やはり何らかの住むべき理由があるはずです。裏を返せば、歴史的に人が住まなかった地域にも、その理由があるということになります。

ただし古くからの居住地は、全国どの場所でも相対的に地価が高く、特に東京に移り住む若い世帯が住まうには、相当敷居が高いという現実があります。

もちろんそれだからこそ、新しい住民のための新しい街を切り開く不動産開発側も、駅や大型商業施設その他のインフラ整備などとの複合的な開発を同時並行で進め、古くからの街並みに魅力も不動産価値も負けない付加価値の高い街づくりを行うのでしょう。

いずれにしても、最近の台風や雨雲の状況を見る限りでは、地球環境の変化からか、過去の観測結果を軽く上回るような勢力や雨量をもたらすことが当たり前のようになりました。

出典:国土交通省・浸水ナビ(想定最大規模)

出典:国土交通省・浸水ナビ(想定最大規模)

もし仮に、新海誠『天気の子』が描いた水没する東京の街並みが現実のものとなった場合、そこには国分寺崖線を海岸線とする、武蔵野台地の形状が現れることになるのかもしれません。

地球温暖化による海面上昇や、荒れ狂う気象変動などにより、その世界がいつか現実のものとして訪れるのか、でき得るならばアニメの中の世界であるように願いながら、先人の残した土地の記憶を今改めて確認することが求められるのではないかと感じます。

2019年の台風19号では、地下神殿の守備力で難を逃れた荒川や江戸川地区も、国交省の想定最大浸水情報では、最大規模の水害に対し、埼玉県の本庄市や足利市方面まですっかり水没した世界が現れています。

これから移転しようと考える場所の洪水ハザードマップがどのようであるかの確認は基本中の基本とし、歴史的な地名が地形的特徴をどのように表しているのか、古地図上の集落の分布がどのようであるのか、これからのまさかの水害時代を考える時、華やかで煌びやかではない地道な事前の情報確認作業が求められるのかもしれません。

今回は、度重なる台風の影響で被災された方をはじめ、現に暮らす場所に対する不快な情報が含まれている可能性を認識しつつも、これから新しい場所を求めて転居する若い世帯のために、子育て家族に人気の二子玉川の2019年の浸水被害を中心に、公の情報に基づく客観的な判断と想定を、個人的な見解としてお届けしています。

東京に限らず、初めての土地に暮らす際に求められる判断材料の一つとして、参考になれば幸いです。

ではまた次回。